友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

高校時代の新聞部の集い

2016年06月27日 10時05分02秒 | Weblog

 久しぶりに高校の新聞部の集まりがある。桑名に住み始めた友だちが、「桑名でやろう」と提案しておきながらもう何年もすっぽかしたままだったが、とうとう実現することになった。高校の時の卒業アルバムを見ると、8人映っているが全員が記事を書いていたのだろうかと不思議に思う。私は1年の後半に編集長を命じられ、同じクラスで目立っていた2人に入部してもらった。

 その2人が2年の時に、生徒会の会長と副会長になった。後期の生徒会役員選挙で、私たちが推した男が不信任となり、私が立候補することになったから、新聞部が生徒会を独占する形になって嫌だったが仕方なかった。逆にそれだけ新聞部の仲間意識が強まり、学校を離れた交友も深まった。前期の生徒会長になった男からは、「将来、首相になったら官房長官、党首なら書記長」と約束する仲だった。

 1年か2年の夏に、6人で本宮山に出かけたことがある。急に雨が降って来てびしょぬれになった。雨宿りしていると止んだものの、道が分からなくなった。私はみんなを無事に下山させるために先頭に立った。道が寸断され、水かさが増している。「そこの岩に乗り、次にこちらの岩へ」と指示する。男たちはいいが、ひとり参加の女性はスカートなので、私は手を取って渡らせた。初めて女性の手の柔らかさを意識した。

 その後、友だちが彼女のことが好きだと言う。「分かった。ガンバレよ」と言ってしまった。ふたりはいい仲だと思ったが、結婚には至らなかった。彼が別の女性に目移りしたためだ。卒業する時、大学では新聞部に入ると約束したが、新聞部に入部したのは私と今日の会を呼びかけてくれた男の2人だけだった。大学の新聞部はセクトの牙城になっていて、入る気がしなかったのだ。

 不思議なことに誰も民青にならなかった。それが故に今日まで、「新聞部の集い」が続いているのだろう。制服の自由化や管理教育反対など話し合い、学校新聞は検閲があるからと自主出版の新聞まで作った青春時代の仲間意識は永遠に変わらないのだろう。しかしもう70代、どんな風に変わっているのかとも思う。

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