友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

いい加減でいいじゃーないか

2017年08月04日 17時56分56秒 | Weblog

 ジャンヌ・モローさんの死と『ひよっこ』をどう結び付けようとしていたか、もう一度考えてみた。ジャンヌ・モローはフランス映画のヌーベルバーク(新しい波)を代表する女優で、古い価値観に縛られない自由な女性を演じていた。ヌーベルバーク映画は、アメリカ映画の西部劇に代表されるような勧善懲悪やハッピーエンドではない、人の欲望やモヤモヤとした感情をシリアスに描いていた。『鞍馬天狗』や『新選組』を観てきた私には衝撃的だった。

 『ひよっこ』はNHKテレビの連続朝ドラマだから、清く正しく頑張るものが多い。もちろん『ひよっこ』もこうしたNHK路線から外れるものではない。衝撃的だったのは昨日のシーンだけだろう。主人公は私とほぼ同じ歳で、昭和40年に高校を卒業して茨城県から東京へ働きに来た女性。彼女の父親は農閑期の時だけ、東京に出稼ぎに来ていたのに前年に失踪してしまったので、父親を捜すために働いている。

 昨日はいなくなった父親が有名な女優の家にいることが分かり、母親と引き取りに行くシーンだった。父親は記憶喪失になっていて、どういう理由かは分からないが2年間女優と暮らしている。母親は女優に礼を言った後、「どうして警察に届けてくれなかったのか」となじる。「家族がどれほど心配しているか分からないのか」と責める。黙って聞いていた女優が覚悟したかのように、「放したくなかった」とポツリと告白する。そして父親に向かって、「2年間、楽しかった。もうこれで会うことはないでしょう。さようなら」と言う。

 記憶喪失という便利なもので、過去を清算してしまうドラマはあるが、NHKが夫の失踪と女優との生活をどう表現するかと思って見ていた。今朝、母親は主人公の娘に「(父親が)本当に帰りたくなるまであなたのところに居させて」と告げる。夫に何の罪もないのに美しい女優と暮らしていたことが許せないのだろう。女優と田舎の百姓女との差にコンプレックスを感じているようだ。

 人は愛することは出来ても許すことは不得意だ。ドラマは虚構だからこそ、人の本性や見せない部分を描き出すことが出来る。そうすることで人について考え、人が苦手な「許す」ことを学んでいくのだろう。絶対など無いのだから、いい加減でいいじゃーないか。

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修復不可能

2017年08月03日 20時50分44秒 | Weblog

 心臓の裏側になる背中や心臓の横になる脇の下あたりが痛む。昨日の朝、ごみの集積所に向かおうとした時、ズキッとした痛さに襲われた。これまでも心臓なのか心臓の周りの分からないところで痛みが走ることはあったが、今回は筋肉痛だろうがどうしてなのだろう。心臓の病気なら長く患うこともなしに逝くことが出来るからありがたいのに。

 40年前に内ゲバに巻き込まれて鉄パイプで滅多打ちされた。幸い命は取り留めたが、頭部と両手と左足は骨折した。最近になって動かない左手首に激痛が走る時がある。もう40年も生きながらえてきたから、もう充分に生きたと思っている。喜びや希望がなくなって生きている意味もない。夏祭りの疲れなのか、唇にヘルペスの吹き出物が出来た。土曜日には卒業生がクラス会を開いてくれるのに、「こんな顔でいくのか」と落ち込んでいる。

 私の好きなフランスの女優、ジャンヌ・モローさんが亡くなった。89歳だった。1960年代の映画では捨て鉢な目をしていた。『突然炎のごとく』はふたりの男性から恋される自由奔放な女性を演じていた。3人が自転車で林の中を駆けていく場面が印象的だった。愛することに悩む男たちに対して、ジャンヌ・モローさんが演じる女性は闊達としていた。

 今朝のテレビドラマ『ひよっこ』は衝撃的だった。こうしてブログの下書きを書いていて、もう今日はこれで完成というところだったのに、突然パソコンが動かなくなった。しばらくすると画面が真っ黒になってしまった。仕方ないので、電源を切り、再稼働させたが原稿は初めの4行しか残っていなかった。

 身体の不調が、パソコンへ連動してしまった。腹が立って、何だか分からない文章のままだが、修復不可能と勝手に決め、終わることにする。

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若い人の記憶に残ればいい

2017年08月02日 17時29分17秒 | Weblog

 朝、マンションのごみの集積所へ行った。「段ボールの方は目をつむるが、発砲スチロールは縛って出して」と管理事務所から指示されたからだ。発砲スチロールを見ると、大きなケースの中に小さなトレイがきれいに並べてある。小さなトレイも大きなケースも洗剤で洗ってあるようで、魚臭さも肉臭さもしない。

 これのどこが悪かったのかと思いながら、蓋が外れて中のトレイが飛び出さないように縛れと解釈して縛っていると、友だちがやって来て、「中身のトレイをこちらの網の袋に入れておけと言うのではないのか」と言い出す。トレイを洗い、几帳面に整理してくれた本人だ。

 そこへ管理事務所の所長さんがやってきた。「ご迷惑をおかけしました。どうすればいいでしょう」と謝ると、「何もせずに、そのままでいいですよ。後はこちらでやりますから」と言われる。私たちは恐縮し、「よろしくお願いします」と頭を下げる。「分別していないゴミの処理は困るけれど、中身を洗い、分けてあるから後は業者が持って行くだけ」と説明される。

 市の夏祭りに貢献しているつもりだったが、マンションの人には「よそのゴミを持ち込まないで」と思われている。大きな発泡スチロールのケースを何本も収容する場所はない。ゴミの集積所に乱雑に放り込んだ訳ではなく、きちんと並べて置いた。「ご苦労様でしたね」と言われてもよさそうなのに、寛容に受け入れてはもらえない。

 看護師になった孫娘がカミさんと話していた。「日勤の時はそう思わなかったけれど、夜勤や遅番、早番が続くと、アっという間に時間が過ぎちゃう」と言う。若い時は自分の仕事で精一杯だ。カミさんの弟は町内会の副会長なので、地域の盆踊りの「準備や後片付けに追われた」と言っていた。「会長さんは公園の整備に関心がないので、結局ひとりで全部背負い込むことになった」そうだ。

 「若い人たちがもう少し地域に関心を持ってくれるといいんだが」とぼやく。若い時は自分のことで精一杯なのだから、「公園で夏祭りがあったと記憶に残してもらえばいいのでは」と私は言う。誰かがやっていれば、そのうち若い人も年老いて、「自分たちもやろう」という気になってくれるだろう。

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変化しないと生き残れないのかも知れない

2017年08月01日 18時41分53秒 | Weblog

 小2の孫娘の水泳教室を見て来た。昇級試験はプールの一番奥のレーンで行われていたので、よく見えなかったが、クロールで泳ぐテストのようだった。途中でロープに手が当たったのか、姿が見えなくなり心配したが、それでもターンまで出来たように見えた。コーチから結果が発表されるまでは神妙にしていたが、飛び跳ねていたから昇級できたのだろう。終了して保護者席の前を通る時はニコニコ顔だった。

 子どもたちはどんどん成長するが、私たちは老いるばかりだ。カミさんの叔母が骨折したと言うので、カミさんの弟夫婦と妹の5人で病院に見舞いに行って来た。色白のきれいな人だったが、いっそう痩せていた。病室は4人部屋で高齢の女性ばかりだが、他の3人はさらに痩せ細り、ただただ眠っているだけで、時折り野獣のような声をあげていた。みんなそれぞれに、戦後の自由を享受した輝かしい青春時代を生きて来たのだろうに。

 人は誰もが老いていく。それは仕方がないことなのに、不老不死の薬や死後の復活を夢見てきた。医学はどんどん進歩し、死後から復活こそは出来ないが、死を限りなく遠くへ押しやるようになってきた。工場製品は格段と進化し、人の手はますます不要になってきている。医学や看護や介護までも機械化が進んでいるという。いったい人は何をすればよいのだろう。電車に乗っているとほとんどすべての人がスマホをいじっている。

 1945年の第2次世界大戦後、人類の生活は大きく変わった。孫世代の子どもたちと夏祭りを一緒にやっていて、子どもたちの力の無さに驚いた。みんながみんなでは無いだろうが、私よりも身体が大きく体重もあるのに、重い物が持ち上げられないし持久力もない。こんなことは考えたくないが、環境によって次第に身体は変化するから、いつか人間の形も変わるのかも知れない。変化しないと生き残れないのかも知れない。

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