友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

これで作戦勝ちかな

2023年03月21日 17時22分10秒 | Weblog

 春に備えて、ペチュニアの鉢を整備する。越冬して花芽を出してきているものもあれば、こぼれた種から育ってきた小さな苗もある。咲き揃った時にキレイに見えるようにと思いながら植え替えを進めている。

 朝食の後、すぐにルーフバルコニーに出た。例年なら、1鉢毎に全ての土を出し、残っている根を取り除き、牛糞やバーク堆肥を混ぜ合わせ、赤玉土を敷き詰めた上に入れていくのだが、今年はズルして、赤玉土は取り出さずに肥料の混ざった土を入れた。

 天気予報では午後3時から雨になるという。少しでも多く作業がしたかった。カミさんはテレビの前に陣取り,WBC準決勝のメキシコ戦を観ている。ガラッと窓が開いて、「佐々木が3点取られた」と報告してくれるが、心配そうだ。

 しばらくするとまた窓が開いて、「吉田がホームラン打って同点になった」と喜々とした声で言う。「よかったね。勝つかも知れないね」と返すと、「きっと勝つわ」と消えていく。スポーツだから勝つ時もあれば負ける時もあるのに。

 日本チームは一体感もあり、それぞれが役割を果たす意欲がある。天候が良くならないから、私はそのことが心配だった。ガラッと窓が開いて、「村上が打って逆転したわよ」と大喜びで言う。カミさんの旧姓は村上だからなのか、村上選手の活躍に大興奮だ。

 私は作業を中止して、その決定的な場面を見に行く。「日本の4番だけのことはあるわ」と村上選手の2塁打にカミさんは感激している。1塁の吉田選手に代わって周東選手が代走に命じられたが、彼の走りが無ければ逆転できなかった。

 午後も急いで作業に取り掛かった。しばらくすると首に冷たいものが‥、雨が降って来た。それぞれの選手が役割を果たし、観ている私たちも大満足した。今晩は決勝戦への進出を祝ってワインで乾杯したいが、カミさんは同意してくれるだろうか。

 ワインに合う夕食の準備をしてしまおう。これで作戦勝ちかな。

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青空の下の卒業式

2023年03月20日 17時48分49秒 | Weblog

 穏やかに晴れた青い空、市の小学校の卒業式が行われた。最後に、校庭で在校生の5年生が持つ花のアーチを通り、父兄らが待つ中を嬉しそうに行進していく。男女ともに着物姿の卒業生がいる。随分、派手になったと感じるのは年寄りだからか。

 私は卒業式にあまり感激が無かった。「蛍の光」も「仰げば尊し」も思えば儀式にぴったりの音調だったのに、歌詞の意味まで考えずに歌っていた。中学校の卒業式は、担任がカメラ好きだったから、校門を入った築山の前での写真が何枚か残っている。

 高校の卒業式は大学へ進めるか否かの最中だった。2年生の時、生徒会長だったので送辞を読んだが、私の送辞の原稿を父が巻紙に清書してくれた。先生に「達筆だね」と褒められ、「父が書いてくれました」と正直に答えたことが記憶に残っている。

 大学の卒業式はどうしてなのか、すっかり忘れてしまっていた。単位は取れていたし、卒業できる状態だったのに、なぜか忘れていた。みんなは赴任校が決まっていったが、私には何の連絡も無く、アルバイト先の子ども絵画教室へ出かけていた。

 多分、春分の日の前後のギリギリに、教育委員会から何日の何時に愛知工業高校へ行くようにと連絡があった。高校へ行って校長に、「私の赴任校はどこですか?」と頓珍漢な質問をしてしまった。

 卒業生を送る側になって、むしろ感慨が深まった。1年生の初々しい幼さは全く見当たらない。堂々とした生徒たちを前に、自分は役目を果たせたのだろうかと思った。巣立っていく生徒たちが眩しかった。卒業式が終われば、もう、私と同じ社会の人なのだ。

 

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死後の世界など誰も知らない

2023年03月19日 17時49分48秒 | Weblog

 朝日新聞の土曜版に『悩みのるつぼ』という人生相談のコーナーがある。「幼なじみが急逝し、これから生きていくための頼りを失ったような、そんな喪失感、絶望感に襲われています。自分がくよくよしていては、彼が幸せになれないではないか」

 そして、「彼ならどう考えて自分に話したかを考えながらいきていきたい」「こうした思いを持つことは、彼にとってよくないことなのか、教えていただきたい」とあった。相談者は30代で,中学から大学院まで同じで、部活もサークルも一緒だった「言葉を交わさなくても気持ちが分かる親友」が急に死んでしまったという。

 相談者は親友の死後の幸せを願っている。私の中学からの友だちがブログで求めていた「親友」とは、こうした人なのかと思った。彼が父親の入院のため、大学を中退して働く場所を求めた時、同級生が兄の経営する会社へ誘った。けれども私は何も知らなかった。

 回答者の姜尚中氏は「自分が受けるはずの苦難を、親友は自ら代わって引き受けてくれた」と考え、「あなたが家庭を持ち、子どもが出来たら、親友のことを話して聞かせてあげて。そうすれば、親友の記憶は世代を超えていきていく」と説く。えっ、姜氏はこんなに観念的な人なのかとビックリした。

 私の中1の孫娘は、「人の心の中など分かりっこない」と言う。私もそう思うが、だから言葉を通して分かろうと努力することは大切だと思っている。「言葉を交わさなくても気持ちが分かる」ほど仲良しだったというのは表現で、実際は多くの言葉が飛び交っていたはずだ。

 それにしても姜氏の「子どもが出来たら、親友のことを話してあげて、記憶が世代を超えていきていく」に私は同意できない。子どもには子どもの人生がある、父親の体験の1つとして話すことはあっても押し付けてはならないと思う。

 相談者もいつか、年月を重ねていけば、目の前の雑事に追われ、親友のことも忘れてしまうだろう。人生はそんなものだから、忘れたことに罪悪感を覚えることはないが、思い出して懐かしむこともあるはずだ。死後の世界など誰も知らないから。

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もっと言葉を知れば、人の気持ちを推測できる

2023年03月18日 17時54分12秒 | Weblog

 昨日は長女一家がやって来て、午後10時過ぎまで居たのでブログを休んだ。こんな書き方をすると長女一家を非難しているように見えてしまうが、実際は来ると分かった時からブログは休むことにしていた。

 昨日は、嫁にいった一番上の孫娘が、中1の孫娘の授業参観に行くので、その後、我が家へ来ることになっていた。福井へカニを食べに行った時、孫娘のひな祭りのお祝いにとカニを送ったが、まだ食べていないと聞いたカミさんが、「じゃー、夜はウチでカニ鍋しましょう」と言う。

 カミさんは、長女の家ではカニ鍋が出来ないのではないかと心配しての提案だったが、いくら大きなカニを送ったとはいえ、私たちふたりが加わればその分、満足にカニが食べられない。遠慮したけれど料理を用意した長女のダンナが勧めてくれたので頂いてしまった。美味しいカニだった。

 「学習発表は何をしたの?」と中1の孫娘に聞くと、「グループに分かれて研究したことを発表した」と言う。テーマが「お金の仕組み」と聞いてビックリした。電子マネーについて発表したグループもあったと言うから、やっぱり今の中学生は凄い。

 孫娘たちのグループは発表の仕方がよかったそうだ。孫娘の演技力が高い評価となったという。すると孫娘は気をよくしたのか、「パパちゃん、これ見て」とスマホの画面を見せてくれた。教室の廊下に貼られたB紙には詩とイラストが描いてある。

 「先生が貼ってくれた」と言う。確かに言葉が面白い。イラストは幼稚だが、詩は才能がある。「いい詩が書けたね」と褒めた。国語の試験で、人物の気持ちを書きなさいという課題に、「人の気持なんか分かるはずがない」と言い切った孫娘に、言葉を学ぶ大切さに気付いて欲しいと思ったからだ。

 寝転んでスマホのマンガばかり見ていないで、毎日、日記を書くことが癖になったら、もっと言葉を知り、人の気持ちを推測できる優しさを育てることが出来るだろう。この世は人とのつながりで成り立っているのだからと切に思う。

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大谷選手をやっぱり見てみたい

2023年03月16日 17時59分15秒 | Weblog

 今日も暖かい一日だった。午前も午後も、ルーフバルコニーで作業をした。ペチュニアが思いもしない鉢から芽を出してきたので、元気のよいものを選んでペチュニアだけの鉢に移植した。それと、あちこちの鉢から芽を出しているパンジーも1つの鉢に移し替えた。

 バラの鉢から芽を出したペチュニアや、チューリップの鉢で育ってきたパンジーは、いずれも風でタネが飛ばされたのだろうが、そう思うと生命力は凄い。同じように飛ばされて芽吹いても、大きなものもあれば、今にも枯れそうなものもある。

 種を残すことが、生きているものの使命だとよく分かる。マンションの庭で水仙が咲いていると教えられ、確認してきた。早咲きのものもあれば、今が盛りのものもある。我が家の水仙も、この暖かさで背筋がピンとなった。隣りのツツジは早くも7分咲きだ。

 花は順番に咲くというより、気温や環境に左右されるのかも知れない。花が咲けば虫が飛んでくる。もうミツバチが1匹、空中で静止していた。パンジーと水仙とツツジしか花が咲いていないのに、空中で何を探していたんだろう。

 種を残すためには交配しなければならない。高校1年の時、同級生が私の部屋にエロ本を持ってきて、マスターベーションのやり方を得意気に教えてくれた。マスターベーションなどしなくても、授業中なのに勃起し、放課になっても収まらず席を立つことが出来なかった。

 けれど、動物のようにいきり立ってSEXすることが愛なのかと疑問だった。「強姦の思想」などと詩に取り上げ、無理やりSEXできる奴に敬意を抱いた。今、年老いて勃起することも出来なくなり、金子光晴氏の排尿機能も果たしていないと詠っていた詩があったことを思い出す。

 久しぶりにルーフバルコニーで一日中作業したためか、足腰が痛い。これも年老いた証拠だろう。さて、6時半からはWBC準々決勝のイタリア戦が始まる。テレビでも見ていれば身体の痛みも忘れてしまうだろう。大谷選手が先発で投げるようなので、やっぱり見てみたい。

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一体感のある自治体になっていきたい

2023年03月15日 18時34分50秒 | Weblog

 二科展を観に行ってきた。随分密度の高い展示になっていた。聞けば、二部屋分くらい狭くなっているという。県美術館は各団体が会場の取り合いで、広い面積を独り占めに出来ないそうだ。発表する場は限られているから、致し方ないのかも知れない。

 そういえば今月、ピアノの発表会を行う先生が、「会場が取れなくて困った」と言っていた。この市にはピアノ発表会が出来る施設が5か所あるけれど、この時期はいろんな団体が使うようで、空いている場所を確保するのは大変なようだ。どの団体も出来れば音響のよい施設を使いたいから、こちらも致し方ないのかも知れない。

 自治体が音楽発表の場を造っても、使う市民がいなければ無駄になってしまうし、施設の管理が行き届かなければ敬遠されてしまう。財政難から公共施設の統廃合を進めている自治体もある。20年先、30年先まで見据えて、公共施設を造ることは難しい。人口が減れば財政は圧迫されるから、新しい市民を呼び込むことに自治体は必死だ。

 わが市も2町が合併して出来たから、合併当初は国からの援助もあり、財政危機に陥ることなど考えもしなかった。合併して18年、新しい若い市長が誕生したが、市民参加による新しい街づくりで、どのように財政危機を乗り越えていくのか注目されている。これまでの市長を支えてきた市議会の多数派の議員が、自らをどう反省し改革するのかも大きな課題だ。

 行政は市民のための機関であるのに、いつの間にか忘れられてしまう。市長はじめ議員も職員も、何を目指して働いているのか、もう一度自らに問うて欲しい。国会と違って地方自治体は、この街に住む人たちが、住みよくするための機関。みんなが意見を出し合えることで、一体感を生み出すことが出来る。

 住みよいと簡単に言ってしまったが、各人にとって思いはそれぞれだから、意見交換を重ねることで一致点を見つけていく以外に方法は無い。市民と行政、市民と議員、市民と職員、市民と市民、一体感のある自治体になっていきたい。

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名古屋の桜も見て来よう

2023年03月14日 17時56分56秒 | Weblog

 暖かな日が続き、東京で桜の開花宣言があった。桜の開花に一喜一憂する日本人は、めでたいのかそれとも何なのだろう。私も早速、外に出て桜の花が咲いていないか、見て回った。マンションの周りの桜はまだ蕾だったが、駅への道の昔からある家の桜は何輪も花を咲かせていた。

 そんな時に、我が家のルーフバルコニーの水仙がやっと咲き出した。今年の水仙の開花は随分遅い、けれど隣りのツツジはもう咲こうとしている。いつもなら、水仙が咲き終わり、桜の花が舞ってから、ツツジが咲くのに不思議だ。天候不順とか地球温暖化とか話題になるが、順序が狂うのはどうしてなのだろう。

 昨日から、マスクを着けるか否かは個人の判断となった。しかし、何という無責任な政策かと呆れてしまう。マスクはコロナウイルスに有効だったのか、何もわからないままだ。風邪や花粉症にもマスクが必要というのであれば、初めから着けるか否かは個人の判断に任せればよかったのに、専門家の指示に従ってきた。

 中国を筆頭に、政府が専制的な権力を行使して、街ぐるみ閉鎖したり、コロナ検査を強制したり、ワクチンを接種しない者を差別したり、どこの国も無茶苦茶なコロナ対策を行ってきた。コロナウイルスが下火になっても、また次の感染症が世界に蔓延するだろう。人とウイルスの戦いは一方的に勝利することは無く、永遠に続くからだ。

 みんなが待ち望んでいた「桜の宴」は、岩倉市が五条川での桜祭りを中止したので、残念ながら勝手にやることは出来なくなった。どこでどのように「宴」を開いても、個人の判断と責任で行えばいいようなものだが、世間に合わせるのが日本人の常識なので、勝手なことは出来ないのだ。

 明日は二科展を見に行くから、名古屋の桜も見て来よう。

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これをどんな小説に作り上げるだろう

2023年03月13日 17時53分06秒 | Weblog

 作家の大江健三郎氏が亡くなった。88歳だった。私にとって大江氏と石原慎太郎氏、高橋和巳氏は青春のシンボルだった。戦後の文学を代表する作家で、高橋氏が1931年(昭和6)生まれで、石原氏が翌年に、4年遅れて大江氏が生まれている。

 私の書棚には高橋氏の本は8冊、大江氏の本は3冊、石原氏の本は1冊も無い。高橋氏の本が多いのは、大学の図書室に置かれていた『図書新聞』の書評を読んで興味を持った「孤立無援の思想」から始まったような気がする。

 高橋氏の本も大江氏の本も大学生の時か、結婚する前に買ったものだろう。確か、高校の教員になった私が長屋住まいをしていた時、よく学校帰りに遊びに来ていた教え子が、大江氏の「遅れてきた青年」に興味を抱いて読んでいた。

 石原氏が昭和31年に「太陽の季節」で芥川賞に輝くと、昭和33年には大江氏が「飼育」で芥川賞を受賞した。大学生か卒業したばかりだったから、新しい時代の幕開けのような騒ぎだった。石原氏の「太陽の季節」は戦後の若者たちを描いたものだったが、大江の「飼育」は彼が子どもの頃の体験がベースにあり、戦争を引きずっていた。

 私は高橋氏や大江氏の作品に関心があり、石原氏の作品は「流行もの」と考えていた。高橋氏は30代で亡くなってしまい、大江氏はスランプの時代があった。障害のある息子と向き合う中で乗り越え、作品を発表するようになった。

 昨夜のWBCオーストラリア戦で、大谷選手が待望のホームランを打った。そのホームランボールを観客席にいた福島県から来ていた女子大生が拾い上げた。みんなが欲しがる記念のボールを彼女は、周りに見せて触らせ、記念に写真も撮らせていた。

 それを見たアメリカの記者が「アメージング」「インクレディブル」と発していた。「とても素晴らしい」「あり得ない」という意味のようだ。戦後78年を経て、日本人の優しさが見えた。大江氏なら、これをどんな小説に作り上げるだろう。しかし、もういない。

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国民の責任は大きく重い

2023年03月12日 17時38分42秒 | Weblog

 朝は「名古屋ウィメンズマラソン」を観た。1位はケニアの28歳の女性で、終始圧巻の走りだった。2位は豊橋市出身の鈴木亜由子さんで、自己記録を更新した。走っている時は小さな身体が大きく見えたが、インタビューを受けた時はまるで子どものようなはにかんだ顔だった。

 今夜はWBCオーストラリア戦を観てしまうだろう。昨日(3・11)のチェコ戦は、岩手県出身の佐々木朗希投手が予想通りに好投した。私は大谷翔平選手の投球とホームランが見られればいいと思っていたのに、いつの間にか各選手の活躍を期待して見入っていた。今夜は誰が先発するのだろう。

 スポーツはなぜか心をウキウキさせてくれる。各テレビ局がスポーツ中継しか放映しなくなったら、国民が喜ぶのか、それとも政府が喜ぶのか、どっちなんだろう。立憲民主党の議員が総務省の職員から入手した放送法に関係する文書を公開し、政府の見解を求めた。

 総務省は行政文書と認めたが、当時の総務大臣の高市早苗さん(現:経済安全保障担当大臣)は、「私に関係する4枚は(略)、正しい情報ではなく捏造された行政文書によって、大臣や議員を辞職すべきではない」と答えていた。総務省は行政文書を捏造するのか、森友学園問題では部下に文書の改ざんをさせた官僚がいた。

 放送も新聞も「政治的公平」でなくてはならないと政府は言う。公平とは何かという「解釈」では、「偏らない」ことだと言う。問題点を追及することが「偏る」というのであれば、「報道の自由」など存在しない。報道機関が問題点を掘り下げなければ、国民の「知る権利」は無くなる。

 スポーツ番組ばかりでなくて、政府批判の番組も絶対に必要なのだ。国民がそれを応援しなければ、報道機関は政府の支配下となってしまう。国民の責任は大きく重い。

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先輩に付き合うのは後輩の務めである

2023年03月11日 17時33分15秒 | Weblog

 朝早く電話がかかってきた。「コロナ禍で会えなかったので、声が聴きたかった」と言う。もうすぐ90歳になる先輩は、カミさんと長男と3人で暮らしているが、カミさんはデーサービスで家にいないし、長男も仕事でいないので、「電話した」と話す。

 「時間のある時でいいから、いっぺん会えんかね」と言うので、「じゃー、10時に行くわ」と約束する。行けば愚痴を聞くことになるが、誰かが聞かなければますますストレスが溜まるだろう。先輩は耳が遠いし、膝に水が溜まって痛むのでまともに歩けない。

 家族から「人に迷惑をかけるから」と、自宅謹慎を命じられている。だから「自分のことが分かっている人に会って、おしゃべりがしたい」という訳だ。自宅に上がったが、台所も食卓もきれいにしてあった。トイレと風呂場の壁の仕切りを無くして広く改修したいが、長男が「そんなことまでしなくていい」と言うと嘆く。

 手すりが無ければ動けないのだから、もう少し親父の言うことも聞いてくれればいいのにと愚痴ばかり出てくる。昼に「ウナギが食いたい」と言うので、介護士になったつもりで出かけた。ところがウナギはまだ提供していないと言うので、天ぷらと手羽先を注文する。

 食事の後、「買い物がしたい」と言う。ピアゴに連れて行き、「ショッピングカートを持ってくるから」と車で待ってもらう。ひとりでは全く歩けないが、カートがあればヨタヨタでも歩ける。

 晩御飯に食べたいものを何点か買った。食事の用意は自分が3人分しているそうだ。並べればすぐ食べられる物ばかりだが、とろろ芋が入っていた。「料理できるの?」と尋ねると、「台所にもたれていれば芋はすりおろせるし、ダシ醤油があるから簡単にできる」と言う。

 車から降ろして家に入れ、買ってきた物を冷蔵庫にしまい、役割を果たす。「あんたに会えたから、元気が出た。月に1回は付き合って欲しい」と言う。買い物は結構疲れた様子だったから心配になるが、話し相手がいれば元気になれると言うなら、先輩に付き合うのは後輩の務めである。

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