友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

平和を祈る他ない

2023年08月21日 17時35分01秒 | Weblog

 高校野球の甲子園大会は、昨日の「誕生日会」でみんなが予想した通り、決勝戦は仙台育英と慶応義塾との対決になった。さて、どちらの優勝かとなると、意見は分かれた。勝たせたいチームがそれぞれあるからで、東北好きは仙台をイケメン好きは慶応を推した。どちらが優勝しても、今年が暑い夏であることに変わりは無い。

 持ち回りの「誕生日会」も、コロナ禍で延び延びになっていた。「誕生日会」が始まってもう30年以上になる。マンションは全国各地からやって来た人たちなので、なかなかつながりが生まれ無い。たまたま私が自治会長になった時、一緒に役員を引き受けてくれた人たちと仲良しになった。

 メンバーの誕生日の月に、料理を持ち寄って祝う習慣が生まれた。けれど、長い月日の間に3人が亡くなってしまった。毎月お金を積み立てて、海外旅行へも出かけて行ったが、今は海外に行く元気が無くなっている。それでも昨夜の宴席で、「山形県の銀山温泉に行きたい」と提案があった。

 マンションは人のつながりが出来難いと言われるが、こうして長く続いていることに感謝である。経歴も職業も年齢も違うのに、仲良しになれたのは我を通す人がいなかったからだろう。年齢を重ねて来ると、友だちは減る傾向になるが、まだもう少し続きそうだ。

 中国や北朝鮮に対抗するために、軍備は増強すべきだと先輩は言うが、それでは軍拡競争の増長になるばかりだと主張する私、国策ではなかなか一致しない。何しろ先輩は、60年安保の時にこん棒を持って、デモ隊に突入したという自慢話の人である。どうしてこんな人と仲良しなのか不思議だ。

 先程から近くで雷が鳴っている。大きな雷鳴が響いているのに、稲妻は見えない。雷が鳴ればもうすぐ秋がやって来る。地球環境の変化で、世界の各地で山火事が起きている。豪雨に見舞われたところもあれば、干ばつに悩むところもある。昨夜は地球環境も話題になったが、どうすることも出来ない。平和を祈る他ない。

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夏休みの宿題は出さなかった

2023年08月19日 16時53分51秒 | Weblog

 お盆が過ぎると、朝晩は涼しくなった気がしていたが、なかなか猛暑から抜け出せない日々が続いている。お盆は嫁にいった叔母の家族が我が家に集まり、祖母がその接待に追われていた。私の母がその場に出てくることは無かったが、私は甥や姪の遊び相手だった。

 子どもたちがお盆に来るまで、あるいはお盆の行事が終わって帰ってしまうと、私はやることが無くて、家の周りでボーとしていることが多かった。家の周りにも同年の子どもたちがいたが、いつも一緒に遊ぶ子はいなかった。私はひとりが好きだったのか、あてもなく街中をブラブラして過ごしていた。

 小学校の高学年からはひとりで、バスに乗って緒川まで行き、国鉄で半田へ、そこから名鉄の半田駅まで歩き、電車で河和へ、そこからまたバスで豊丘へ行き、母の実家へ行った。母の実家に男の子はいないので、家の周りをブラブラ歩き、1泊して海岸近くの母の妹の家に行った。そこには私より年上の男子がふたりいて、魚の捕り方やヤギの乳の絞り方を教えてもらった。

 上の甥は京大志望、下の甥は東京の大学を受験すると言っていた。勉強のことや読むといい本のことなども、聞いたのかも知れないが覚えていない。東京の大学へ行った甥は、私が高校1年の夏休みに我が家に来て、「日本は変わるよ。東京の大学へおいで」と、60年安保について篤く語ってくれた。もう何年も会っていない。

 退屈な夏休みなのに、宿題もましてや勉強もしなかった。せめて本でも読めば良かったと、今になって思う。出された宿題は夏休みが終わる直前に一夜漬けでやっていたから、ただ提出しただけだった。中学3年の時はそれさえも出来ず、担任に「宿題は出しません」と言った。怒鳴られるかと思ったが、何も言われなかった。

 私は子どもたちには、退屈な夏休みにならないようにと気を遣った。宿題については何を言ったか覚えていない。明日は久しぶりに、マンションで親しくしている家族の食事会のため、ブログは休みます。

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明日の準々決勝が楽しみ

2023年08月18日 17時25分55秒 | Weblog

 今朝、夢を見ていた。いや、考え事をしていたのかも知れない。100歳になったら、誰でも安楽死を選べる権利を与える「安楽死法」が、2030年に国会で承認されたという夢だ。安楽死を強制するものではなく、あくまでも個人が権利として選択できるという法律である。

 病院であるいは焼き場で、100歳であることを証明するものを見せれば、特別な部屋に通され、薬を渡される。それを飲めばすぐに死ぬことが出来る。葬儀などを行い、直ちに火葬される。薬が他人に渡ったり、悪用されることの無いように、充分な管理が必要となる。

 あくまでも安楽死を望む人のための権利の法案なので、100歳になったからと強制することは出来ない。どうしてこんな夢など見たんだろうと思った。私も来年の4月には80歳になる。どういう訳かまだ元気に生きている。先輩たちも80半ばになるが、いたって元気だ。

 世の中、こうした元気な年寄りで溢れている。けれど、元気な人ばかりではない。病院のベッドで寝たっきりの人もいる。病院は治療するところなので、ある期間を過ぎると、それなりの施設に送られる。そんな施設がどんどん増えている。看護師も介護士も、高くない給料で重労働を強いられる。

 100歳になったら、安楽死を選ぶ権利が与えられてもいいのではないか。そんな日頃の思いが夢になったのだろう。おかげで早起きして新聞の広告を見て、アッしまったと気付いた。昨日のブログで、「広末涼子」を「末広涼子」と書き間違えていたのだ。私の記憶などこんなものだ。

 今日は甲子園大会も無く、薄い雲が被ってはいるが風も無く、そんなに暑くも無い。明日は準々決勝の4試合が行われるので、一番見応えがある。安楽死を望む年寄りの私には楽しみな一日である。

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こうして決勝戦までいくのだろう

2023年08月17日 17時03分53秒 | Weblog

 高校野球の甲子園大会を観ていると、ハラハラドキドキの試合が多い気がするのはどうしてなのだろう。きっと、いつもと変わらない試合展開なのに、私の方が勝手に感激してしまっているのだろう。

 選手は皆、それぞれに担う役割がある。長打の人、短打の人、犠打の人、守りの人、指示する人、いろんな役割がある。子どもの頃は、そんないろんな役割のことに気付かなくて、自分が全てを果たさなくてはと思っていた。

 応援だっていろいろな役割がある。楽器を奏でる人、太鼓をたたく人、曲目を知らせる人、踊る人、声を上げる人、手をたたく人などがいる。今日では、盗撮を注意する人までもいるというから、応援に集中できないのではと思ってしまう。

 チアガールにもいろんな人がいることに気が付いた。大半はスタイルの良い綺麗な子なのに、相撲取りのような太った子もいた。本人がチアガールを演じたいのなら、他人がどうこう言うことでは無い。

 盗撮だってされても構わないと思っている子もいるだろうが、盗撮したものを販売する輩には呆れる。いろんな人がいて、本人が納得しているのならそれでいいと思うが、人が不愉快に思うことはやるべきではない。

 広末涼子さんの不倫問題をマスコミは取り上げていたが、人が人を好きになるのは不思議なことでは無い。二科会の大家、東郷青児さんは同時に3人だったか4人の女性と関係を持った。当時も新聞や雑誌は、面白可笑しく取り上げていた。

 人は生まれた時から、何かの役割を持っている。たまたま複数の恋人がいる人ををみんなで袋叩きにするのは、人々の心の中に羨ましい気持ちがあるからだろう。さてさて、甲子園を観続けていると、贔屓なチームが決まってくる。

 カミさんが「ガンバレ!」と、応援しているチームは勝ち進んでいる。関心の無い私も「よっしゃ!」と応援している。こうして決勝戦までいくのだろう。家庭円満のために。

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高校生の方が真剣に考えている

2023年08月16日 18時14分43秒 | Weblog

 台風7号の影響で、空は薄い雲に被われ、強くは無いが絶えず風が吹いている。カミさんは新聞の数独問題に夢中になっている。私の友だちも脳トレのためと称して、数独に熱心だったが、ふたりとも専攻は理科である。論理的に考え、計算するのが得意なのだろう。

 私は同じクイズなら、漢字の読みや言葉の意味を解く問題の方が好きだ。漢字は読めても、それをいざ書くとなると、さっぱり思い出せない。辞書を使って読んだり、意味を知るからなのか、今見た漢字でさえ書けない。

 今日は水曜日なので、ふたりで出かけることが多いのに、台風のせいか出かける気になれない。結局朝から、甲子園大会を見続けてしまった。高校野球は選手たちの真剣なプレイ、応援する生徒たちの一生懸命さが伝わってきて、ついつい見続けてしまうのだろう。

 広島の広陵と神奈川の慶応の試合は凄かった。3回までに慶応3点、広陵1点だったが、広陵の方がよく打っていた。6回と7回に広陵は1点ずつ加え、3対3の同点となったが、10回タイブレーク戦は慶応が制した。ヒットの数を比べると、広陵の13に対して慶応は8しかない。

 これが高校野球の難しいところなのだろう。慶応の監督の勝利インタビューを聞きそこなったが、勝った要因は何だったのだろう。高校生たちの真剣さに比べ、全国戦没者追悼式での岸田首相の挨拶は、「積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携え、世界が直面する課題の解決に取り組む」と、具体的では無かった。

 さらにひどいのは、マンガ大好きな麻生副総裁で、台湾での公演で、「戦う決意が必要」などと煽っている。緊張が高まることで儲ける人がいるのだろう。そういう人は平和になっては困るのだ。世界平和に向かって何をするべきか、高校生の方が真剣に考えていることに私は期待している。

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通り過ぎるのを待つ悪いクセ

2023年08月15日 17時44分46秒 | Weblog

 伊勢湾を北上して来るのかと思われた台風7号は、今朝、紀伊半島に上陸し、瀬戸内から丹後半島を経て、これから日本海に抜けようとしている。私の住むこの地方は、薄い雲に覆われているが、風は吹いてるけれど雨は土砂降りにならずホッとしている。

 午後の晴れ間に、燃えるゴミを集積場へ持って行った。こんな天候だからゴミを出す人はいないのではないかと思ったが、集積場はいつもと変わらない量だった。真面目なのか、自宅に置いておくのが嫌なのか、おそらく私のように後者の人が多いのだろう。

 テレビは逐次、台風情報を流していた。最近、テレビでエッという気になる表現がある。今朝も台風の様子を報じていたが、「白波が激しく陸に接近しています」と言う。打ち寄せている様子と台風の接近がごちゃ混ぜになったのだろう。

 「川が激しく流れています」にはちょっと驚いた。川が流れるのではなく、川の水が激しく流れていますと訂正して欲しいと思った。そんな細かなことが気になるのも年老いた証だ。台風情報は大切だが、今日は終戦記念日であることをもっと報道して欲しかった。

 なぜ戦争に至ったのか、終戦を迎えて何を得たのか、本当はもっともっと考えなくてはならないはずだ。いったい、誰がどんな風に責任を取ったのか、その罪は何か、決して繰り返さないためには何をするのか、課題を明らかにしなければ終戦記念日の意味が無い。

 私たち日本人は過去に拘らず、前を向いて生きていく習慣が根付いている。その資質が日本の繁栄に役立ったかも知れないが、おかげで問われるべき人々の責任も放棄してきた。組織が犯した罪を追及することが苦手だ。自らのかかわりを捉え直すことも下手だ。

 今、周りが雲の中にいるように暗くなってきて、大粒の雨が降って来た。風はまだ穏やかだ。早く通り抜けて欲しい。自然に祈るように、深刻な事態が通り過ぎるのを待つ悪いクセは止めなくてはならない。

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お天気も味方してくれた

2023年08月14日 15時21分32秒 | Weblog

 コロナ禍で出来なかった「親族の集い」を、4年ぶりに開くことが出来た。甥夫婦2組、姪夫婦、私たち夫婦と長女一家、合計で11人が集まってくれた。妹夫婦はふたりとも膝が痛くて、昇り降りが出来ないので不参加すると返信のハガキが来た。

 3年もブランクがあると、いろいろと変化もあった。上の甥のところは長男に子どもが生まれ、姪のところも長男に子どもが生まれたと言う。おめでたい話ばかりでなく、姪は胆嚢の手術を受けたとかで元気が無かった。

 それでも久しぶりの「集い」に盛り上がった。なのに、会場の和食処の居酒屋は、注文した酒が無かったり、料理も売り切れで無かったりと散々だった。余りにも対応が悪かったので、下の甥が店員に対して、「どういう客対応をしているんだ」と怒鳴った。

 慌てて私は収めようとしたが彼は、「ボランティアではないでしょう。金をもらっているのに全く出来ていない」と怒る。でも、日曜日の夕方に働いてくれる中年の女性はいない。それに名前を見ると、日本人では無いようだ。いきなり怒鳴っては可哀想だ。

 下の甥のヨメが、「この店に決めた私が全て悪いのよ」となだめにかかる。すると長女のダンナが「来年は日間賀島でやりませんか?」と言ってくれる。上の甥のヨメも、「それはグッドアイデア」と言い、姪のダンナも「ぜひ、行きましょう」と応援してくれる。

 甥たちはよくできたヨメをもらったものだ。姪も私の長女も、いいダンナに巡り合えた。人はどんな伴侶に巡り合えるかで、幸せにもなるし不幸にもなる。おそらく自分自身が「素敵な人」にならなければ、よい伴侶には巡り合うことは出来ないだろう。

 料理や酒、それに接客に不満はあったが、店を出た時はなぜか、豊かな気持ちにさせられた。夕方、出かける直前は土砂降りだったのに、マンションを出た時には止んでいた。店を出ると、ポツポツと雨が落ちてきたが、すぐに止んでしまった。お天気も味方してくれた今年の「集い」だった。

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私的には今日が最高の暑さです

2023年08月12日 17時41分57秒 | Weblog

 『戦争体験を語り継ぐ集い』に行って来た。実行委員長に懐かしい名前があったからだ。その人は終戦の時、小学校の1年生だったと言うから、私よりも5歳くらい歳上である。小学校に入学した時、先生が、神様が人間を造った話をしてくれたと言う。最初に出来た人間は真っ黒な黒人、次が白い白人、最後に黄色い日本人が生まれた。そこで先生は、日本人は神の子なのだと話されたと。

 今日の『集い』の午後の部は、午後1時から始まり、市長のメッセージに続いて、峠三吉の原爆詩『にんげんをかえせ』の朗読が行われた。そして平和遺族会・継承部の山田隆幸さんの編集による「それでも日・米両国民は戦争を選んだ」と題する映像、『こうして戦争は起きた』が上映された。

 これはNHKが放映したものを、山田さんが編集し直したもので、私に参加を促したものでもある。NHKは民放と変わらない番組が多くて、存在意義が無いと私は思っていたが、時々思わぬ真面目な番組を放映することがある。NHKだから出来る番組なので、これこそがNHKの使命だと思っている。

 戦争はある時、突然起きる訳では無い。じわじわと繰り広げられる戦争への土台作りがある。戦前なら「大東亜共栄圏」が国民に「夢」を与え、現在は「台湾有事」が叫ばれ軍備拡張が進められている。そして戦火が交われば、双方とも引くに引けない泥沼の戦場となる。兵士と市民を区別する戦争などあるはずもない。戦争が起きるまでは他人事のように思っている人も、間違いなく当事者になってしまう。

 何が何でも、「戦争反対」の気運を育てなくはならない。重い気持ちで会場を出て、巡回バスで帰ろうとしたが、立っている場所が間違っていたようで、バスは通り過ぎて行った。仕方ないのでタクシーを呼んで帰って来たが、運転手は「私的には今日が最高の暑さです」と言う。多分、間違いないだろう。

 明日は、私の甥っ子や姪っ子が集う会を行うので、ブログは休みます。

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どこまで許すか、いや、受け入れるか

2023年08月11日 17時29分40秒 | Weblog

 高校野球の甲子園大会を観ていると、随分選手の髪型が昔とは違って来た。野球帽を被っている時は気が付かなかったが、帽子を取ると長い髪が見える。「なかなかハムサムでイケメンが多いわね」と、カミさんは長髪男子を褒めている。

 髪型で勝敗が決まる訳では無いのに、どうして坊主頭にしてきたのだろう。「気合を入れるために、坊主にしろ」と、生徒に要求してきた監督もいたようだ。「スポーツマンシップが誤解されてきた」と、慶応高校の監督は言う。

 「スポーツは勝つことは大事だが、勝つためには何をしても良い訳では無く、正々堂々と戦う必要がある」と、述べている。だからか、バッターボックスでキャッチャーの動きを盗み見るなと指導していると言う。

 勝利至上主義になっている、高校の部活動は改善すべきだろう。プロ選手を目指して部活に力を入れるのは構わないが、本末転倒にならないようにと思う。私が高校生の時だから60年以上も前になるが、生徒指導部の先生と校則のことで話し合ったことがある。

 「何のために校則はあるのですか?」と尋ねると、「生徒のためだ」と言われる。「生徒のためなら、生徒に決めさせればいいではないですか」と、当たり前のことを言ったが聞いてもらえなかった。今、校則を無くすと言う校長が出て来たが、上からではなく、生徒自身が決める、そういう風土を作っていくべきだ。

 甲子園でチアガールの服装が話題になっている。盗撮されるのを防ぐというのなら、いっそのことチアガールは無くせばいい。男たちは女の子の身体に関心があり、女の子は見せたい気持ちがある。どんなに盗撮はダメと言っても、無くなることはない気がする。

 プロ野球をテレビ中継で観ていても、綺麗な女性がいるとか、脚が白くて綺麗とか、全く野球と関係の無い場面に目が向いてしまう人もいる。短パンやミニスカートの女性は入場禁止にしてもらいたいくらいだ。

 「人の性(さが)」をどこまで許すか、いや、受け入れるか、困ったものだ。

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納得がいかない顔をした

2023年08月10日 17時20分37秒 | Weblog

 他所の夫婦のことなので恐縮だが、夫婦というのは何処も同じだなという話を聞いた。中元のこの時期、ダンナが親族に贈った品が「貧相だ」とカミさんが怒ったそうだ。「これじゃー、仏壇に供える品みたいじゃーない。どうしてもっと見栄えのある物にしてくれなかったの」と。

 聞けば長い間、ダンナの友人に頼んで送ってもらっていると言う。ダンナは適当な人なので、贈る品物も時期も友人に任せて来た。マンゴーの時もあれば、桃の時もあったが、そういう時に限って痛んだ品があったりしてクレームが来たりした。

 それでもダンナは、「忙しい時に、儲かりもしないのに、手間がかかることを頼むんだから」とのんびりしている。カミさんはそういう無責任な態度が気に入らない。「どうしてもっときちんと頼まないの」と、腸が煮えくり返っている。包丁でも手にしたら、切りかかりそうな鬼相になっている。

 「お金がもったいないと、奥さんは怒っているの?」と聞けば、「費用はダンナの小遣いから捻出している。奥さんが腹が立つのは、ダンナのいい加減さなんだと思う。何でも適当でいいという態度が気に入らないのだ」と教えてくれる。

 我が家で言うなら、私は台所に食器が山積みになっているのが嫌だ。子どもの頃、台所の流し台にナメクジがいっぱいいたことのトラウマだろう。「気が付いた人がやればいいのよ」という我が家の鉄則に従い、私は進んできれいにしている。

 贈り物が気に入らないのなら、奥さんが決めたらよいのにと思う。どうせダンナは適当な人なんだから、「それでいいじゃない」としか言わないだろう。そんなに血相を変えるまで腹が立つなら、その方が健康的ではと思う。

 宇野千代の『色ざんげ』に、ダンナが何やっていても全く関心のないカミさんが出てくる。「関心を持ってもらえるだけ、この人は幸せなんじゃーない」と私が言うと、「そうかなあー」と納得がいかない顔をした。

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