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2022.01.31 ミエちゃん、ご主人のお引き合わせ?

昨年のこと、長らく手入れもしてあげなかった、我が家の植木たちの、植え替えをして
もらうことになった。
最初は、友人のミエちゃんが、彼女のお母さんが植木好きであったため、見様見真似で
植え替えぐらいだったらできるからやってあげると、言ってくれていたが、予定の日に、
彼女に用事ができて、延びていた。

しかし、彼女から、植え替えは6月迄にと聞いていた私は、忙しい彼女を頼ってばかり
いるのはいけないと思って、かねてメモっておいたシルバー関係の支援センターに電話
をかけると気持ちよく応じてくれた。
そして、支援の人の来訪予定の日に、みえちゃんに、「あの件は、支援センターにお願い
することができたので、安心してね」と電話をかけた。
すると、彼女は、それなら、自分も見学したいので、今から行っても良いかということ
で、やってきた。そのことは、下に書いた。

「2021.06.14 今日は、万両の植え替えをして貰った。ミエちゃん来訪。」

後日、彼女から、「家のエアコンのカバーが、どうしても外れない。先日の支援センター
の人に、自分も来て貰いたいので、電話番号を教えて」と連絡があった。

その後、彼女から、キャッキャッと笑いながら「聞いて聞いて!不思議なことがあった
んよ。」と電話があった。
彼女の家にやってきたのは、一度、去年の6月に我が家で出会った男性のIさんだったと言う。
そして、どこからやってきたかと言うと、彼女の家の裏に隣接して立っているマンション
の住人で、裏庭傳いにやってきたと言う。

つまり、あのIさんは、彼女の家の裏手の住人だった。
しかも、1年前に亡くなったミエちゃんのご主人は、長らくの間、町内会長をされて
いたが、そのIさんもマンションの世話役をしておられたので、ご主人とは、旧知の
間柄だったとか。
彼女は、「主人の引き合わせとしか考えられへんわ。」と言って、感動していた。

彼女は、一人娘で、自分がお嫁に行った後の母親の面倒を長らく見ていた。
母親が70歳ぐらいで体調を崩した時、すぐ車の運転を習いに行き、運転免許を取得した。
病院への往復の後、自分は車で家へ戻って、家事を済ませてから、又、車で母親の家に
行き、夜は泊まって、翌朝、介護施設からのお迎えに送り出した後、車で一旦家へ
戻って家事をして、又車で母親の家に戻り施設から帰った母親を迎える、その繰り返し
の毎日が始まった。
運転免許がなければできなかったと言っていた。
母親が90歳になった時、寂しいと言ったので、家の近くの介護施設に入れて、2日に
一回必ず訪ねていた。
私と会った日も、今日は母の所へ行く日だからと言って、途中で別れたことがあった。
毎年、誕生日には、宝塚ホテルの食事を予約して祝っていた。
100歳の時の記念写真を私も貰った。101歳で亡くなる迄続いた。

母親が亡くなった直後に、ご主人が道で倒れ、ご主人の介護が始まった。

5〜6年後に、彼女に会った時、私は不思議に思って聞いた。
「ミエちゃんって、そんなに、背が小さかった?」
すると、彼女は言った。
「縮んだんよ。脊椎滑り症で、5センチ縮んだんよ。」
「痛かったでしょう?」
「うん、腰だけでなく、膝も痛めてたんよ。でも、痛いなんて言っている場合でなかった
ので、誰にも言わなかったよ。」
その時、私は、絶句した。
何十年もの間、激痛に耐えたのは、私だけでは無いんだ。人に言わずに我慢したのも、
私だけではないんだ。

しかし、この様に何十年にも及ぶ、長い介護生活ではあっても、彼女は、「でも、
大変やなんて、一度も、思ったことはなかったよ」と言っていた。これもすごい!

私は、改めて聞いてみた。
「今回のこと(助っ人が、隣家の住人であったことの偶然)は、やっぱり、ご主人の
お引き合わせだと思ってる?」と。
すると、彼女は、力強く言った。
「それはそうよ〜! そうとしか、思われへんわ〜!」と。
そうか!精一杯介護した人しか言えない確信だな〜と、私は、心の底から思った。


<追記>
彼女は、介護期間中も、洋裁の仕事は止めなかった。
洋裁教室の方も閉めずに、継続した。
自分には、大好きな洋裁があって、良かったな〜と、つくづく思っていたそうである。



Bちゃんから「ほんまに、凄い話やわ〜ミエちゃんの人生!
これから、めっちゃ、楽しむ権利があるね〜」

私「うん。優しいこと、言ってくれるやんか、泣きそうになったわ。」
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