「篠(すず)」2022年Vol.199
永田満徳句集『肥後の城』を読む
山野邉茂
「秋麗」同人、SNSの俳句交流グループ「俳句大学」学長でもある永田満徳氏の第二句集である。二〇一二年から二〇二〇年まで八年間、三四四句が収められている。
この間、作者が住む熊本県は、二〇一六年四月の熊本地震、二〇二〇年七月の作者の故郷人吉市を中心とした水害という大きな自然災害にみまわれた。作者自身も被災者となり、その体験は否応なく本句集の柱になった。私は、作者が震災被害の只中にあって、「俳句大学」のネット投句欄に日々の体験や心境を吟じていたことに感銘を受けたことを思い出す。俳句が、図らずもこうした大災害を記録、伝達するドキュメンタリーとして機能する証になることを示した貴重な句集といえるだろう。
こんなにもおにぎり丸し春の地震
本震のあとの空白夏つばめ
石垣の崩れなだるる暑さかな
一夜にて全市水没梅雨激し
むごかぞと兄の一言梅雨出水
震災句、水害句、どちらも当事者としての体験がリアルに伝わってくる。読者は、災害句のインパクトに注目しがちだが、私は、作者が災害体験から改めて生への強い意志を表明した句集として読んでみた。本句集は、
肩書の取れて初心の桜かな
という定年退職後の生活が始まる春の句を冒頭にして、
冬麗のどこからも見ゆ阿蘇五岳
寒日和窓てふ窓に阿蘇五岳
など、冬の阿蘇を詠んだ四句で終わっている。初頭の句は第二の人生への所感だが、締めの四句は、「生きる」決意をいまそこにある阿蘇に託す、そんな生への強い意志が感じられる。震災前の日々を詠んだ前半の句には、どこか傷んだ翅を休めるような生活ぶりが垣間見える。
風あればさすらふ心地ゑのこ草
悴みて身の置き所なき世かな
そして、故郷の自然に包まれた幸福を大らかに詠む。
曲がりても曲がりても花肥後の城
ふるさとは橋の向かうや春の空
年迎ふ裏表なき阿蘇の山
それが、二つの災害で変わった。後半の句には取り戻しつつある日常を、精一杯生きる息遣いが聞こえてくる。
昼寝覚われに目のあり手足あり
尺取の身も世もあらぬ身を上ぐる
そして、そこに生きる生き物たちの健気な姿への優しいまなざしが、読者を共感へと誘うだろう。
大鯰口よりおうと呼びかけり
雨垂れの落し子なるや青蛙
鯊跳ねて雲一つなき有明海
多くの人に読んでほしい句集である。