【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会会長代行 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

「火神」主宰 「俳句大学」学長 「Haïku Column」代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

永田満徳句集『肥後の城』を読む

2022年02月02日 12時17分31秒 | 第二句集『肥後の城』

「篠(すず)」2022年Vol.199 

永田満徳句集『肥後の城』を読む

山野邉茂

「秋麗」同人、SNSの俳句交流グループ「俳句大学」学長でもある永田満徳氏の第二句集である。二〇一二年から二〇二〇年まで八年間、三四四句が収められている。

この間、作者が住む熊本県は、二〇一六年四月の熊本地震、二〇二〇年七月の作者の故郷人吉市を中心とした水害という大きな自然災害にみまわれた。作者自身も被災者となり、その体験は否応なく本句集の柱になった。私は、作者が震災被害の只中にあって、「俳句大学」のネット投句欄に日々の体験や心境を吟じていたことに感銘を受けたことを思い出す。俳句が、図らずもこうした大災害を記録、伝達するドキュメンタリーとして機能する証になることを示した貴重な句集といえるだろう。

  こんなにもおにぎり丸し春の地震

  本震のあとの空白夏つばめ

  石垣の崩れなだるる暑さかな

  一夜にて全市水没梅雨激し

  むごかぞと兄の一言梅雨出水

 震災句、水害句、どちらも当事者としての体験がリアルに伝わってくる。読者は、災害句のインパクトに注目しがちだが、私は、作者が災害体験から改めて生への強い意志を表明した句集として読んでみた。本句集は、

  肩書の取れて初心の桜かな

 という定年退職後の生活が始まる春の句を冒頭にして、

  冬麗のどこからも見ゆ阿蘇五岳

  寒日和窓てふ窓に阿蘇五岳

など、冬の阿蘇を詠んだ四句で終わっている。初頭の句は第二の人生への所感だが、締めの四句は、「生きる」決意をいまそこにある阿蘇に託す、そんな生への強い意志が感じられる。震災前の日々を詠んだ前半の句には、どこか傷んだ翅を休めるような生活ぶりが垣間見える。

  風あればさすらふ心地ゑのこ草

  悴みて身の置き所なき世かな

そして、故郷の自然に包まれた幸福を大らかに詠む。

  曲がりても曲がりても花肥後の城

  ふるさとは橋の向かうや春の空

年迎ふ裏表なき阿蘇の山

 それが、二つの災害で変わった。後半の句には取り戻しつつある日常を、精一杯生きる息遣いが聞こえてくる。

  昼寝覚われに目のあり手足あり

  尺取の身も世もあらぬ身を上ぐる

 そして、そこに生きる生き物たちの健気な姿への優しいまなざしが、読者を共感へと誘うだろう。

  大鯰口よりおうと呼びかけり

  雨垂れの落し子なるや青蛙

  鯊跳ねて雲一つなき有明海 

 多くの人に読んでほしい句集である。

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句集紹介14 『若葉 鹿児島』NO.17

2022年02月02日 00時52分02秒 | 第二句集『肥後の城』

句集紹介14 『若葉 鹿児島』NO.17 令和4年31日発行

 

大川畑光詳

(編集長・俳人協会鹿児島県支部事務局長)

 

永田満徳『肥後の城』

 

永田満徳氏は1954年、人吉市生まれ。1987年「未来図」入会、鍵和田秞子に師事し、現在は「秋麗」(藤田直子主宰)同人である。また俳人協会熊本県

支部長をはじめインターネットを利用した俳句大学学長、日本俳句協会副会長など幅広く活動しておられる。

『肥後の城』は『寒祭』に次ぐ第二句集である。

劈頭に置かれた一句はわが身と重なり、共感した。

 

肩書の取れて初心の桜かな

 

永田氏も長く高校の国語教師として務められた。私自身、三月で退職し、改めて初心に返り、新たな人生へ歩み出す。桜は俳諧の花であり、「初心の桜」と据えたところに自らの句境を深めていこうという覚悟が感じられる。

永田氏の作品には物の描写によって対象を見る者の心理が描かれて、深い味わいがある。

 

さへづりのつふだちてくる力石

衣擦れのして運ばるる夏料理

年の瀬や雑誌の文字の裏写り

争ひの双方黙る扇風機

制服をどさりと脱ぐや卒業子

 

一句目、「つぶだって」ではなく「つぶだちて」と表現したことで全身に込める力が韻律でも感受される。二句目、衣擦れは仲居さんのきびきびとした所作の発する音であり、夏料理の涼しさと通い合う。三句目、年の瀬の慌ただしさが文字の裏写りに象徴される。新鮮な句材が生かされている。四句目、先ほどまでの激しい口論の後の沈黙に置かれた扇風機が絶妙である。四句目、「どさりと」と重苦しかった学校生活が脱ぎ捨てられる。具象を通して心理が巧みに詠まれている。

小動物にも凝視による的確な把握がなされ、読者にも対象の身体感覚まで感じられるほどだ。

 

あぶれ蚊の寄る弁慶の泣きどころ

ペンギンのつんのめりゆく寒さかな

老犬の背より息する残暑かな

 

永田氏の住む態本は地震、豪雨と災害に相次いで見舞われた。それらの作品は本句集の中核をなす。

 

夏蒲団地震の伝はる背骨かな

「負けんばい」の貼紙ふえて夏近し

梅雨出水避難の床にぬひぐるみ

 

困難な境涯に遭ってもなお詠まざるを得ないのは俳人としての性である。それが社会に及ぶのも永田氏の俳句の懐の深さである。

 

春雷や自殺にあらず諌死なり

 

財務省の文書改竄に関係する事件を想起させるが、諌死は古代中国から見られ、ある意味忠義の証とも言える行為だ。すぐに止んでしまう春雷が切ない。

(文學の森 2121年9月27日刊)

 

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