
沖縄戦後半から全機特攻の掛け声と共に、司令部は通常攻撃として特攻命令を出していました。予備学生や少年飛行兵以外の予科練出身の古い搭乗員や海兵出の搭乗員にも次々と特攻命令が下されていました。命令に背けばもちろん抗命罪です。
ただその頃は出撃しても発動機の不調で引き返す飛行機も少なくなかったと聞いています。あるいは敵艦隊にたどり着く前に海に墜落する飛行機も少なくなかったと聞いています。私自身、鹿屋を飛び立ってすぐに墜落した飛行機を見たことがあります。警備員が必死で整備しても、平均して3機に1機は発動機の不調で戻ってきました。ひどい時にはほとんど全機が戻って来ることさえありました。もう日本には機材も燃料も何もかもなくなっていたのです。
そんな状況の中で、ついに宮部少尉にも出撃命令が出たのです。
〔ken〕今年は戦後70年ということもあり、今回の抜き書きにあったような「発動機の不調」などで、危うく命を救われた90歳前後の元特攻隊員が、何人か勇気を持って証言されていました。運不運では語れない、まったく馬鹿げた日本軍の暴走と、ある意味での上層部による殺人が、ギリギリまで抑止できなかった事実を痛感させられました。