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採血と速記用のシャープペンシル

2021年09月22日 | 気ままな横浜ライフ
先日、採血をした後に右手親指で注射跡を押さえていたら、少し血が吹き出してきました。看護師さんが慌てて処置くれました



血が滲んだ四角の小さな血止めシールから、大きめの丸い血止めシールと交換し、右手の親指の血を消毒布できれいに拭ってくれました

そういえば、ワクチン接種の後、私は「指で押さえておくのですか?」と看護師さんにお聞きし、「いえいえ、血管注射ではないので、そのままで大丈夫ですよ」と言われたことを思い出しました



自宅で引き出しを整理していたら、速記用のシャープペンシルが見つかり、今日から使っています。0.9ミリの芯です。私が新人だった頃、議事録作成等のために、速記の専門家がいて写真のシャープペンを譲ってもらいました。芯がたくさん残っているので、死ぬまでに使い切れそうもないですね
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ナポレオン3世とロンドン万博について

2021年09月22日 | O60→70(オーバー70歳)
9月4日の横浜は曇り、ただ今の気温は22°C、最高気温23°C、最低気温が19°Cの予報でした

すっかり秋めいてきました。風邪をひかないように気をつけましょう



9月2日、私は大仏次郎さんの「パリ燃ゆ1」を読み終えました(よしっ、この勢いで2〜4まで読み進めよう)



私が再確認できたことの一つは、ナポレオン3世が1951年に開催されたロンドン万博に、見聞と人気取りを兼ねて180名余の労働者を派遣したことです

結果的に、イギリスの労働者階級との交流を生み、やがて「インターナショナル」の結成につながり、そんな中でナポレオン3世の自滅に至るのですね

もう一つは、渋沢栄一が1867年開催のパリ万博に派遣され、以降の留学を通じて資本主義の真髄を学び、帰国後の大活躍を成し遂げたことです

以下、Wikipediaから関連する記述を引用させていただきます
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▼フランス初の万国博覧会。1851年の第1回ロンドン万博に対抗し、それまでの内国博覧会を中止しての開催である。同時期にクリミア戦争(1854-1856)が勃発したが、皇帝ナポレオン三世の強力な支持で進められた。皇帝は万博によって帝政の正当性を誇示し、政治基盤を強化することを企図していた。また、万博を主導した経済学者シュヴァリエ(M. Chevalier)、ル・プレー(P. G. F. Le Play)らは社会を科学的、実証的にとらえるサン・シモン主義者であり、万博を通じてフランス産業の国際的競争力の向上や自由貿易の促進を考えていた。
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▼1867年(慶応3)のパリ万国博覧会は、4月1日から10月31日まで開催され、初めて参加した日本を含め42ヶ国が参加し、会期中1500万人が来場した。1865年(慶応元年)3月、フランスのナポレオン3世は駐日公使レオン・ロッシュを通じて、幕府(14代将軍徳川家茂)に対して参加を要請した。
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いやはや、私には分からないことが多過ぎると、またしても痛感させられています
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