物部の森

日常感じたこと、趣味のこと、仕事のこと・・・等々
日記風に書いてます。

大滝詠一のこと ~日本ポップスの源流~

2014年01月08日 | Weblog
『ポップアートのある部屋』(村上龍、1986年、講談社文庫)より引用

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70年代の日本というのは不思議な時代だった。
色々な人が色々な所で思いがけない事を始めて失敗していた。
目立たないが、実にヘンで面白い事がそこら中に隠れていた。
日本のポップ・アートともいうえきものがコマーシャルな世界に突然あらわれたのもこの時代である。
懐古趣味のようでいて、そうではないセンスの良さとパワーをもった、カラフルな世界。
それは、大滝詠一のアメリカン・ポップスがまるで売れなかったのと同じように、その意味を理解される事はあまりなかったが、何年間か製作され続けた。
その不思議な造り手が狭山市のジョンソン基地(今の自衛隊入間基地)周辺に工房を構えていたWORK SHOP MU!!だったわけである。
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龍さんが、大滝詠一のことを語っている唯一(?)の文章。
70年代、大滝詠一の創る音楽は、音頭集やCMソング集などマニアックなものが多かった。「まるで売れなかった」というのは、前後の文脈を理解すれば分かるのだが、決して悪意を含んだ表現ではない。要するに、大滝の音楽は先を行き過ぎていたのだ。あくまで私の感覚だが、当時の日本のニューミュージックより5~6年先に進んでいたと思う。
だから、『A LONG V・A・C・A・T・I・O・N』や『NI△R△ TRI△NGLE ▽OL.2』は、“売れた”というようりも、時代の感覚が大滝詠一のセンスに追いついたという表現が正しい。
そして同時代に、
シングル曲が決して前面に出ることのないコンセプチュアルなアルバムを立て続けに作ったのが山下達郎。
テクノポップという新境地を開き世界進出まで果たしたのが細野晴臣。
日本語を完璧にロックのビートに乗せることに成功したのが佐野元春。
オリジナリティ溢れる良質な音楽が、それこそ滝のように日本の音楽界に流れ落ちてきた時代。
すべて源流は、孤高の音楽職人・大滝詠一なのである。
コメント
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