日本経済新聞・朝刊(毎週木曜日)のスポーツ面の連載、豊田泰光の『チェンジアップ』は私の好きなコラムの一つだが、今週は格別に良かった。人材活用かくありき、といったところか。
全文載せとこ。
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オフの補強合戦が始まった。合戦といっても「阪神・城島」がぽんと決まったように、金持ち球団の勝ちとなるのが、みえているから面白くない。人材が流通しなかった昔はみんな、今ある戦力の活用法を競ったものだったが・・・。
西鉄に今久留主(いまくるす)淳という先輩がいた。身長165センチの小兵ながら、酒量は巨人だった。しかし筋のよい酒で、いつもにこにこしているので、私たち後輩の誰もが「あんちゃん」と慕っていた。
通算7年で439安打。こういう打者に働き場所があるのが昔の野球であり、人材活用の知恵があった。私たち若手に内野手の定位置を奪われたあと、今久留主さんは誰もまねできない芸でもって、生き延びた。
送りバント。バットの先っぽにあてれば、固い木と衝突したことが信じられないほど、勢いを殺された球が、ぽとっと落ちた。今はみかけなくなったが、右腕だけでバットをかかえて、こつんとあてるバントもみせてくれた。
請えば誰にでも丁寧にバントのコツを教えてくれた。けれども一見易しそうにみえて、これが難しい。打撃練習ではちっとも芯に当たらないボールが、バントのときだけは芯に当てる。「こいつらにはまだ負けない」というものが、今久留主さんにはあったと思う。
選手兼コーチ兼裏方さん、というような立場の今久留主さんは打撃マシンの係でもあった。マシンとは名ばかりで、バネを人力で引っ張り、ボールをはじく方式。相当の力仕事だった。それを一球一球、黙々とこなしていた。
人の礎になりながら、むくれずにいられたのも、自分はこれというものがあったからだろう。小差で迎えた終盤に走者が出ると「代打今久留主」。確実にバントを決めるこの人が登場するだけで「さあ逆転」のムードになった。
あんちゃんの仕事には今風の査定ではバントの数以外に、値段のつけようがないかもしれない。その査定不能の人材の遇し方に、チーム編成の妙味があったような気がする。
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残念ながら、今のタイガースにはなくなってきてるな。
藤本みたいなタイプ、活用できないもんかね(でも、ヤクルトで頑張れ!)。
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