上野公園といえば動物園と美術館や博物館を思い浮かべがちだが、数々の名所が残されている場所でもある。
昨日、上野に出掛ける用事があったのでいい機会だと思いカメラを片手に3時間ほど名所巡りをして来た。
上野駅中央改札口を出て反時計回りで歩くことに。
「国立西洋美術館」1959年に開館、本館建物は世界遺産の候補に推薦されている。
国立西洋美術館前の広場にある「地獄の門」、イタリアの詩人、ダンテの叙事詩「神曲」に登場する内容、及びそれをテーマとしてロダンが製作したもの。神曲の銘文「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」
広場の反対側にある「カレーの市民」、これもロダン作で1888年に完成。
百年戦争時の1347年、イギリス海峡におけるフランス側の重要な港、カレーが、一年以上にわたってイギリス軍に包囲されていた際のカレー包囲戦の出来事に基づいて作られたもの。どの人物の像も悲壮な面持ちなのが印象的。
国立科学博物館入り口に展示されている蒸気機関車、D51。塗装も塗り替えられていて、今にも動き出しそうな迫力だ。
東京国立博物館では「空海と密教美術展」が開催されていた。最近、仏像人気が高まっているとは聞いていたが、かなりの入場者で賑わっていた。
「旧因州池田屋敷表門」
案内板の説明文によると、「この門は、もと因州(現在の鳥取県の一部)池田家江戸屋敷の表門で丸の内大名小路(現在の丸の内3丁目)に建てられていたが、明治25年、芝高輪台町の常宮御殿の表門として移建された。のちに東宮御所として使用され、さらに高松宮家に引き継がれる。表門は昭和29年3月、さらにここに移建して修理を加えたものである。創建年代は明らかではないが、形式と手法からみて、江戸時代末期のものである。屋根は入母屋造、門の左右に向唐破風造の番所を備えており、大名屋敷表門として最も格式が高い。」とある。
「ボードマン博士像」 オランダ人医師で、幕末の上野戦争で荒廃していたこの地に、東京帝国大学付属病院の建設話が持ち上がった際、ボードワン博士は、自然豊かなこの地を公園にすることを政府に提言、その甲斐あって1873年に日本で初めて公園ができた。
この像は、上野公園の開園100周年を記念して作られた。この博士がいなかったら、今の上野公園はなかったのかも知れない。
「小松宮彰仁親王像」 明治維新の功労者で戊辰戦争(1868年)、佐賀の乱(1874年)、西南戦争(1876年)等の内乱鎮圧の指揮を執り、その後、日本赤十字社の総裁を務めるなどした皇族。
「おばけ燈籠」 織田信長の武将佐久間盛次の4男、佐久間大膳亮勝之が東照宮に寄進した石造りの燈籠で高さ約6mもあり、その大きさからおばけ燈籠と呼ばれるようになった。日本3大燈籠の一つ。
「上野東照宮」 残念ながら、改修工事中でカバーが掛けられていた。
藤堂高虎が、危篤の家康公の遺言を受け藤堂家の屋敷地であった上野に1627年に造営したもので、1646年には正式に東照宮の宮号を授けられた。東照宮とは、徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社の総称。
1651年に三代将軍・徳川家光公が大規模に造営替えをしたものが、現存する社殿で戦争や震災などの災厄に一度も倒れることなく、江戸の面影をそのまま残していて貴重な文化財。
上野東照宮社殿前にある「銅燈籠」 神事を執り行う時の浄火を目的とするもので照明用具ではないそうだ。諸国の大名により奉納されたもので48基ある。
「不忍池弁天堂」 寛永寺を創建した天海僧正が建立したもので、当時のお堂は戦災で消失し、今のものは1958年に再建された。
「大黒天堂」 弁天堂本尊の脇士
「不忍池」 写真は、一面が蓮で覆われる蓮池。他に、ボートを漕いで楽しむことのできるボート池、上野動物園の中に位置しカワウが繁殖している鵜の池の3つからなる。
「清水観音堂」 天台宗東叡山寛永寺の開山した天海大僧正によって創建された。
天海大僧正は、二代将軍徳川秀忠から寄進されていた上野忍が岡に平安京と比叡山の関係に倣って「東叡山寛永寺」を開いた。そして比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立した中の一つが清水観音堂で1631年に京都の清水寺に倣って建立された。
「花園稲荷神社と鳥居」
「五條天神社」 薬祖神としての信仰を集めた神社でかなり古いものだそうだ。
「時の鐘」 精養軒の脇にある。江戸市民に時を知らせていた鐘で、現在でも1日三回鳴らしている。
言わずと知れた「西郷隆盛像」
上野公園からの夕暮れ
名所巡りの後は、西郷隆盛像の近くにあるグリーンパーク内のイタリアンレストラン「レ・クワトロ・スタジオーニ」で腹ごしらえ