◇ 『狡猾の人』 著者: 森 功 2012.5 光文社 刊
副題: 防衛省を喰い物にした小物高級官僚の大罪
たいてい高級官僚の枕詞をつけるとすれば”大物”と相場は決まっているが、こ
こは敢えて”小物”としたのは、調べてみれば人物として小物であったということ
を表したかったのだろう。出版社の入れ知恵らしい。
数年前に防衛省軍事装備品の納入を巡ってゴルフ接待等で収賄の罪を問われ、のちに偽証
の罪も犯したとして懲役2年6月の実刑が確定した守屋武昌防衛省元事務次官の事件の一
部始終である。
題名の『狡猾の人』の主旨は本文を読むとわかってくる。収賄等の罪に問われた防衛省元事務次官守
屋武昌は人としてずるがしこい人物だったと断罪しているのだと思うが、このノンフィクションが出版され
た経緯と本文の事件の詳細を読むと守屋自身は狡猾というよりも、ただのお粗末な男ではないか。狡猾
な人物というのは言い過ぎの感を受けた。
ある日上級職公務員試験に受かって次官競争を勝ち抜いてきた要領のいい男が、世間的な常識から
遊離した感覚のまま関係者から不当な賄賂を受け取っていたというだけの話である。たしかに度外れた
回数のゴルフ接待、妻や娘の留学費用までおんぶに抱っこで甘えていたというのは唖然とするしかない
が、民間の営業担当役員などがこれに類したやり取りをしていてもこれほどの事件にはなるまい。しかし
清廉潔白を求められる公務員の世界では許されることではない。しかも2000年には国家公務員倫理法
が施行され、業者との飲食・ゴルフ等が禁止された。その時代感覚がわからない、あるいは何事も殆ど意
のままになる地位にいることからバランス感覚が麻痺したまま、気が付いたら泥沼に首まで漬かっていた
ということだ。高級官僚の汚職と言ったら大抵こんな構図で、ことさら珍しいことではない。その場が防衛省
という予算額が5兆円という桁外れの特殊な世界であったことから世間の耳目をそばだたせたのである。
もっともほかの役所ではこんな常識を飛びだしたようなことは起こらないだろうが。
ところで軍事装備品の納入(装備品には絶対価格というものがなく、通常の市場原理、競争原理が働
かないものが多い。一般競争入札そぐわないことから随意契約によるものが多い)に影響力を持つ立場
に居ながら、賄賂を受け山田洋行という特定の業者に対し有利になるような働きかけをした。
軍事装備品とくに航空機関係の装備については、アメリカのロビイストやブローカー(秋山直紀)など
がいかに重要な役割を果たしているか。詳細に実情を述べており、この辺りはまさにルポライターの面
目躍如といったところである。
守屋家の長男の家庭内暴力、「おねだり妻」などとジャーナリズムに面白おかしく書かれてしまった妻
の出自なども細かく書かれているが、これはたまたまそんな人が配偶者になっただけのことで、守屋自
身の人格とは直接関係ない。どんな重要な地位にいようと公的な姿勢・振る舞いと私的生活のそれと
は隔然としているのがあたりまえであろう。そうした意味では守屋の私生活での姿は子どもに甘い父親、
妻に頭が上がらない夫という普通の家庭人である。公的な立場では贈賄に取り込まれた弱さ、装備品購
入に当たっての脇の甘さ、執行猶予を得んがための偽証などはまさに高級官僚にありがちな人物像で
ある。さして驚くにあたらない。むしろ家庭内までどっぷりと入り込まれて、「家族同士の付き合いでした
から」と言い訳する感覚の甘さに呆れるところである。これをもって「ずるい人」、「狡猾の人」と決めつけ
て貶しめるほどのことでもないだろう。
まるで水に落ちた犬を打つ類の仕打ちである。
なぜか筆者は守屋に個人的に含むところがあるかのような記述が多い。この本が出版されるまでの
経緯を述べているが約束を破られたという怒りは分かるが、それにしてもなにか釈然としない。
当初守屋氏本人からゴーストライターによる出版を頼まれた。これは断り、インタビューに基づく筆者の
本として世に問うことで両者納得した。できた原稿を渡しチェックを依頼したのに、しばらく梨のつぶて
で、ある日娘を伴って出版断念を告げに来た。法廷で不利になることが描かれているので止めるのか
と言ったらしい。それなのに守屋は出版を前提としたインタビューの内容を元に、ここまで人格を誹謗
するような内容で、『狡猾の人』とまで極言した題で自分の犯罪の背景や私生活をあからさまにした本
を出すことを認めたのだろうか。出版業界ではこのようなことが許されることなのだろうか。いささか疑
問が残る。
それにしてもずいぶん大胆というか大げさなな題名にしたものだ。ちなみに吾輩は『狡猾の人』から
有吉佐和子の小説『恍惚の人』を連想した。
(以上この項終わり)