読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

最近気になる一言

2018年04月15日 | その他

どうでもいいことではあるけれども

  最近というか、このところというか、この2・3年というか、気になっていることがある。
 昨日新聞でイラっと来て、ついにこのブログに書くことに。
  何かというと、「生きざま」。なに、なにが問題?どうってことないことじゃないのと
 おっしゃる方がほとんどだと思う。しかるに吾輩はイラっと来る。極少数派でこんなこと
 に目くじらを立てているのは絶滅危惧種だと思うが。

  きっかけは何かというと2018.4.12日付け日本経済新聞「文化往来」。「オーネット・
 コールマンと並ぶフリージャズ先駆者でピアニストのセシル・テイラーが5日89歳で死去
 した。ダンサー、詩人でもあったその演奏、アーティストとしての生きざまはまさに孤高
 のと呼ぶべきものでジャズ以外の芸術にも大きな影響を及ぼした。…」
  小生はこの短文の「生きざま」にカチンときた。個人的な反発で過剰反応だと思うが、
 故人に失礼ではないかとまで思った。死にざまを曝すとはいうが、生きざまを曝すとは言
 わない。せめて「生き方」とか言って欲しい。
  たしかに「死にざま」という言葉はあります。この言葉には不快感を伴います。例えば
 「ざまあみろ」と通じていい印象がありません。それと対語、対義語だからと言って「生
 きざま」はないでしょうというのが小生の考えです。単なる語感の問題かもしれないけれ
 どもせめて「生き様」は「生きよう」と読んでほしい。「ざま」はやめよう。
  ちなみに広辞苑には「しにざま」は①死ぬ時のありさま、死に臨んでの(人としての)
 あり方、しによう②まさに死のうとする時、しにぎわ、とあります。「いきざま」は辞書
 にはありません。
  最近は重複(ちょうふく)とか発足(ほっそく)とか厳密な使い方は薄れてきたのは確
 かですが、「生きざま」だけはやめてほしい。
  過日新聞連載小説で「米でおにぎりを握る」とあったので、新聞社に「米でおにぎりを
 握れるわけがない。編集者が注意した方がよかったのではないか」とかみついたら「いい
 んじゃないですか。それでも」とあしらわれた。物書きのプロにいちゃもんをつけるんじ
   ゃないよ、素人が、というニュアンスの対応でカチンときた。物書きを生業としている人
 はもっと言葉に真剣であってほしい。 

                              (以上この項終わり)

  

コメント
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