◇ どうでもいいことではあるけれども
最近というか、このところというか、この2・3年というか、気になっていることがある。
昨日新聞でイラっと来て、ついにこのブログに書くことに。
何かというと、「生きざま」。なに、なにが問題?どうってことないことじゃないのと
おっしゃる方がほとんどだと思う。しかるに吾輩はイラっと来る。極少数派でこんなこと
に目くじらを立てているのは絶滅危惧種だと思うが。
きっかけは何かというと2018.4.12日付け日本経済新聞「文化往来」。「オーネット・
コールマンと並ぶフリージャズ先駆者でピアニストのセシル・テイラーが5日89歳で死去
した。ダンサー、詩人でもあったその演奏、アーティストとしての生きざまはまさに孤高
のと呼ぶべきものでジャズ以外の芸術にも大きな影響を及ぼした。…」
小生はこの短文の「生きざま」にカチンときた。個人的な反発で過剰反応だと思うが、
故人に失礼ではないかとまで思った。死にざまを曝すとはいうが、生きざまを曝すとは言
わない。せめて「生き方」とか言って欲しい。
たしかに「死にざま」という言葉はあります。この言葉には不快感を伴います。例えば
「ざまあみろ」と通じていい印象がありません。それと対語、対義語だからと言って「生
きざま」はないでしょうというのが小生の考えです。単なる語感の問題かもしれないけれ
どもせめて「生き様」は「生きよう」と読んでほしい。「ざま」はやめよう。
ちなみに広辞苑には「しにざま」は①死ぬ時のありさま、死に臨んでの(人としての)
あり方、しによう②まさに死のうとする時、しにぎわ、とあります。「いきざま」は辞書
にはありません。
最近は重複(ちょうふく)とか発足(ほっそく)とか厳密な使い方は薄れてきたのは確
かですが、「生きざま」だけはやめてほしい。
過日新聞連載小説で「米でおにぎりを握る」とあったので、新聞社に「米でおにぎりを
握れるわけがない。編集者が注意した方がよかったのではないか」とかみついたら「いい
んじゃないですか。それでも」とあしらわれた。物書きのプロにいちゃもんをつけるんじ
ゃないよ、素人が、というニュアンスの対応でカチンときた。物書きを生業としている人
はもっと言葉に真剣であってほしい。
(以上この項終わり)