読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

葉室 麟の『秋月記』  

2020年08月19日 | 読書

◇『秋月記

著者: 葉室 麟    2011.1 角川書店 刊




 時代小説の名手葉室麟の長編小説。
 時代は寛政から弘化にかけて。舞台は九州は筑前秋月藩。五万石の小藩である。
藩祖黒田長政(如水)の三男長興が分知されて起こした福岡藩の支藩である。
 小説の主人公間余楽斎が弘化2年(1845)6月、本藩御納戸頭杉山文左衛門から
幽閉を告げられた場面から始まる。こののち玄海島に流罪の処分が決まった。

 余楽斎は43歳の身で長男幾之進に家督を譲り隠居の身分であったが、長く秋月藩
の藩政の黒幕と目されており「権勢に驕り天罰下る」などとみられたが、本人は何
一つ後悔もないと恬淡と流罪を受け入れた。彼の生涯はどうだったのか。

 余楽斎は幼名小四郎と言って、秋月藩馬廻役吉田家の次男として育った。幼少時
臆病で泣き虫小四郎と呼ばれたが藩校稽古館で剣術に励み何人もの剣友を得た。
 小四郎は元服後馬廻り役間篤の養子となった。そして書院番八十石の井上武左衛
門の娘もよを娶った。器量だけでなく気立ての良い娘で終生良き妻であり母だった。

 本藩福岡藩は常に秋月藩の吸収併呑を狙っている。秋月藩は宮崎織部筆頭家老を
はじめ、家老渡辺帯刀らが権勢をふるい、藩財政逼迫にありながら長崎の石橋に倣
い石橋営造を進めるなど、藩内怨嗟の的になっていた。
 小四郎らは宮崎織部、渡辺帯刀の責任追及と更迭を求め本藩中老村上大膳に直訴
する。訴えは成功し織部らは追放された。しかしこれは本藩の思うつぼ、小四郎は
郡奉行に栄進したものの、本藩のお目付け(秋月御用請持)の指図を受けることに
なった。
 そこに持ち上がったのはまたも借財の難問。京の中宮御所造立、仙洞御所修復を
幕府から命じられたのである。小四郎はこの難問を本藩に丸投げする戦略を練る。
その後も小四郎は機略をもって難題を処理する器量を買われ借財返済繰り延べの処
理などを成功させるのであるが、秋月藩には福岡藩から勘定方に姫野三弥という剣
の遣い手が送り込まれていた。
 実は姫野の父親は鷹匠頭で竹中半兵衛の遺した伏影という忍びの者の頭。三弥は
秋月藩内をかき回し騒動を起こすのが役目、結局は小四郎らに斬られた。

 本書の圧巻はその9年後の仇討の場面であろう。姫野三弥の父姫野弾正は仇討の
許しを得て手下の伏影16人を従えて小四郎を迎える。小四郎をかつての稽古館で
の剣友ら6人が助太刀し、見事姫野弾正らを返り討つ。鷹、鉤縄、棒手裏剣が舞う。
 秋月藩併呑を狙っていた村上大膳は失脚し、福岡藩は秋月藩支配を断念した。

 中老となった小四郎は或る日18年にわたり島流しになっていた先の家老宮崎織
部を訪ねる。そこで「虎穴に入らずんば虎児を得ず、捨て石を覚悟せねば政事はで
きない」と織部の真意を知る。

 私は本を読むと物語の舞台となる地を地図で探すのが習慣である。秋月の地はち
ゃんと地図にある。この本では城はなく藩の中枢は館であるとあるが、地図には秋
月城跡とあった。平城扱いなのだろうか。東には英彦山、北は白坂峠を経て長崎街
道、西は福岡を経甘木へ・・・。時代は下っても歴史の地は変わらない。地図をな
ぞって時代を生きた人々を偲ぶことができる。たとえそれがフィクションであって
も。
                         (以上この項終わり)

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