読書・水彩画

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バルザックの『サンソン回想録』

2020年11月06日 | 読書

◇ 『サンソン回想録』(原題:Les Memories de Sanson)

  著者:オノレ・ド・バルザック(Honore de Balzac)
  訳者:安達正勝    2020.10 国書刊行会 刊

  

   人に「ムシュー・ド・パリ」と呼ばれた世襲の死刑執行人サンソン。フランスの
作家バルザックがフランス革命期を生きたサンソン家4代目当主シャルル・アンリ
・サンソンに成り代わって本書『サンソン回想録』を執筆した。
  翻訳者安達氏はこの本は歴史であり、物語であり、思想であるという。

 サンソン家には歴代当主の遺した手記、日誌、公文書、手紙など多数の資料があ
り、一族に語り継がれた口伝の伝承もあった。バルザックは5代目当主に会って話
を聞き、独自の資料も収集しこの回想録をまとめた。サンソン一族の苦悩に満ちた
生活と思想、様々な事件・出来事を描き、時代の様相を具体的に描いた。
 訳者によると処々にフィクションが交えられているが、バルザックは歴史家では
なく作家なので、作家の性(さが)と認め物語として楽しめばよいとしている。

 サンソン家には17世紀末から19世紀半ばまで6代にわたって死刑執行人を務めた
家系である。初代サンソンは地方の死刑執行人の家の娘と恋に落ち、結婚後義父の
跡を継いで死刑執行人となったが、知人友人に疎められいたたまれず、パリの死刑
執行人に転じた。
 4代目のシャルル・アンリが50歳の時フランス革命が勃発した。王政が廃止さ
れ、1793年1月ルイ16世が、10月にその妻マリー・アントワネットが処刑された。
 国王の救出計画に一肌脱ごうと覚悟するほど敬愛した国王の処刑に当たってり手
が震えたシャルルは一回で処刑が終わらなかったという。シャルル・アンリは生涯
に3千人を処刑したが、恐怖政治期ではあまりの処刑人の多さに、ノイローゼ状態
になり眩暈・幻聴・幻覚に襲われた。シャルルは敬虔なクリスチャンであり、人を
殺すことに常に恐ろしい胸苦しさを感じていた。革命期に断頭装置ギロチンが開発
された。フランスで死刑制度が廃止されたのは1981年7月である。

 サンソンの回想はほとんど死刑制度への怨嗟、並びに死刑執行人に対する世間の
差別と偏見に対する不満である。司法制度の一角を担いながら、人を殺すという役
割から宗教的忌避をもって人々に嫌悪・忌避され社会から疎外されることの不当性、
不条理を嘆く。

 世の中にはどんな人生を辿ることになるのか、予め定められている人たちがいる。
先祖代々から宿命を背負って家業を務めることが運命づけられた人。しかも「汝、
人を殺すなかれ」と人を律しながら、悪事を犯した人を裁き、これをを殺す仕事を
世襲化し、誰もが恐怖の対象として敵対する。そんな自身の稼業を厭いながら、社
会の構成員の一個人が忌むべき存在になったからと言ってそれで社会が崩壊するわ
けでもない。何らかの悪事が侵されたからと言って、そのことによって社会全体が
病むわけではない。ただ一時的な不調をきたすだけであり、殺人に対し殺人を求め
る一般の声は、取るに足りない慰めにしかならない。と死刑制度を批判する。
 死刑制度さえなくなれば死刑執行人という役目もなくなり、その子孫もつらい目
に遭わないで済むのである。
 サンソンはルイ16世は残酷な拷問を廃止したのに、死刑制度は残してしまった。
もし死刑を廃止していたら自身が死刑にならることはなかったのにと述懐している。
 なお著者のバルザック自身も死刑は人間の本性に反するがゆえに死刑は廃止され
なければならないと繰り返し述べる死刑反対論者だった。
    
 サンソン家は代々医者を副業にしていた。死体解剖で医学知識も蓄えており、死
なない程度に拷問を加えるにはどこを何処まで痛めればよいかなど、人体機能を知
悉していた。
 腕前も確かで、貴顕者も貧者も分け隔てなく治療に当たった。貧しい人からは代
金もとらなかったという。
 
 第5代当主となるシャルルは12歳の時パリから百数十キロ離れた寄宿学校に入
れられた。父の職業が知られたパリから遠ざけるためである。当初は楽しい学校生
活であったがある男のせいで死刑執行人の子弟であることが知られ、父兄の苦情が
強くパリに戻された。最愛の息子の寄宿生活を心配するあまりに近隣の同業者に秘
かに見守ることを頼んだばかりに、行き過ぎた監視が仇となって出自がばれてしま
ったのである。
 サンソン家は当代のエリート層の思想家、文人、法服貴族、宮廷貴族を食事に招
き、諸問題を議論するほどの立場にあった。

 この本では第8章「アンリ・サンソンの手稿」が物語性があって一番面白い。こ
れは著者バルザックが初代サンソンの『手記』を読んで触発されて書いたものと思
われ、ほぼ独立した読み物となっている。
 そこではアンリの青春時代における女優ゴーゴーとのはかない恋、ベルサイユ処
刑人の娘マルグリットとの出会いと別れ(彼女は結婚しても人を殺したあなたの手
に抱かれるわけにはいかないと言った)、シャトレ監獄管理人の娘カトリーヌとの
出会い、初仕事に当たる誇りとマルグリットとの愛との葛藤がつづられる。
 初めての車裂き刑執行で失神し受刑者を逃走させるという失敗をしてしまったア
ンリ。愛していたマルグリットは「あなたへの愛は天に持っていきたい」という手
紙を残し運河に身投げしてしまった。幸い逃亡した受刑者と逃亡させた一味も捕ま
りアンリは罪に問われることは免れた。

 ところで第12章「イタリアの死刑執行人ジェルマノ」から第14章「山の女王ビビ
アーノ」までの物語はどのような意図からつづられたのだろうか。裁判の判決通り
に義務を遂行したのに、死刑執行人だけが恨まれる不条理を訴える、ある種の寓話
的色彩が強い物語である。続編が書かれる予定であった書かれなかった。

 サンソン6代目当主アンリ・クレマソンは『サンソン家回想録』という本を上梓
した。

  文学者辰野隆の『フランス革命夜話』においてはサンソンについて一章を割いて
いる。サンソンは一度は断ったものの尊敬していたルイ16世とマリー・アントワ
ネットを処刑せざるを得なかったことを終生苦にしていた。自身が処刑するのは初
めてで手際が悪く、ルイ16世の首は一度に切断できなかったとある。
 余談であるがギロチンで知られたフランスの斬首台は革命前に開発され、人道的
である(!)ことと効率性が評価されいくつかの改良を経てヨーロッパ各国に広ま
った。製造特許はチェロ製造業者が握っていた。
                          (以上この項終わり)

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