◇『蒼天見ゆ』 著者:葉室 麟 2016.12 ㈱KADOKAWA 刊(角川文庫)
世に「最後の仇討」として知られた実話に想をとった時代小説の巧者葉室麟の傑作
である。
明治6年(1873)仇討禁止令が発せられた。武士にとっては美挙であった行為が犯罪
となった。驚天動地である。そんな中筑前秋月藩の重鎮臼井亘理の息子六郎が父と母を
惨殺した下手人山本克己を江戸の旧藩主黒田屋敷で仇討ちし、警察に出頭した。「日本
最後の仇討」である。この六郎の仇討成就までの足跡と彼を取り巻く人々との交流のい
きさつが綴られる。
「蒼天を見よ」は臼井亘理が息子六郎に残した言葉である。
いかなる苦難があろうとも、いずれ頂上には蒼天が広がる、そのことを忘れるな。
著者の前作『秋月記』に登場する間余楽斎が再登場し、亘理に対し「自らに厳しいも
のは人にも厳しい。それゆえ、敵を作り、味方を失う。それでは何事もなせぬものだ。
時折、青空を眺めろ。われらは何事もなしておらぬのに、空は青々と美しい。時に曇り、
雷雨ともなるが、いずれ青空が戻って。それを信じれば何があろうとも悔いることはな
い。いずれ、われらの頭上にはかくのごとき蒼天が広がるのだ」
これは本書の底流でありキーワードであろう。
慶応4年(1868)6月、藩内で西洋式軍備・兵術の必要性を説いた臼井亘理は、干城
隊なる攘夷派の一味に斬られた。下手人は山本克己。慶応は明治に改元された。世は
すでに回天の時にあり、将軍慶喜は朝廷に大政を奉還、鳥羽伏見の戦に敗れた幕府軍総
帥慶喜は江戸に逃げ帰り、慶喜追討令が下っていた。秋月藩干城隊の臼井亘理惨殺は観
念論に凝り固まった攘夷派の暴挙であったとしか言いようがない。
山本克己はお咎めもなく、東京に出て一瀬直久と名を変え、巧みに新政府内で裁判所
判事の役に就くなど栄進を遂げていた。
この時期世の中は激動している。江戸の無血開城、戊辰の役、佐賀の乱、秋月の乱、
西南の役、日清戦争など動乱が続く。大きな歴史の出来事の中で六郎は多くの人々と出
会う。剣の修業を通じて無刀流創始者山岡鉄舟の知遇を得て弟子として面倒を見てもら
ったし、その友勝海舟とも知り合った。獄中では星亨と出会った。(このあたり小説家
は巧みに歴史上の出来事と著名人をとりこみ物語を充実させることができるので楽しい)。
結局六郎は妹のつゆを旧藩邸黒田屋敷に潜らせ、一瀬の来訪を捉えて短刀で刺し殺し
た。直ちに警察に出頭した。山岡鉄舟は「最後の武士の生き様だ。世間は浮薄に持ちあ
げるだろうが、それに振り回されず、おのれが何を為したかを見つめていかねばならぬ。
それがこれからの六郎の修業だ。ただ見守るしかあるまい」と妻に言った。
裁判では終身刑となった。世間がこの仇討ちを称賛していたという事情もあったので
はないか。六郎は小菅の東京集置監で煉瓦造りで日を過ごした。そして帝国憲法発布の
明治22年(1889)の恩赦で禁獄10年に減刑され出所した。六郎は33歳になっていた。
時折殺した一瀬直久の死に顔が浮かぶことがある。「私はいったい何を為したという
のだ」生き方に悩み苦しんだならば、故郷に戻り、空を見上げればよかった。-蒼天を
見よ-六郎は父の声を聴いた気がした。
この作品は武士の時代が終わった中で、仇討ちの罪を罪として認めながらも、正義を
実現するために生涯を貫いた臼井六郎の武士の矜持を是とする作者の心がこもっている
ように思える。
「最後の仇討」については吉村昭の先行作品『最後の仇討』がある。
(以上この項終わり)
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