今日5月14日は奈良県葛城市當麻にある當麻寺・春の大祭で、中将姫の現身往生を再現
する行事、正しくは聖衆来迎練供養会式(しょうしゅうらいごうねりくようえしき)と呼ばれます。
その地域の住民は中将姫の命日ということで牡丹餅(ボタモチ)を作ってお供えします。
私は6.5Kmも離れた住民なのでそういった習慣とは無縁なのですが、毎年その住民から
いただいています。 今年も ↓
忙しかった年は近畿日本鉄道南大阪線・当麻駅前の中将堂本舗さんの中将餅をそのまま
いただくこともありますが、なんとか時間が取れたときは自家製の餅で振る舞ってくださる
のんですけど、餡は中将堂さんの中将餅(赤福の餅が草餅と想像してください)用の餡を
使っていると思います。
甘さは普通のそういったボタモチの半分ぐらいの感じです。
この習慣をもった地元地域の人は「当麻練渡(たいまれんど)」とか「たいまれんぞ」と
呼ばれていらっしゃいます。
練供養会式の由来は千年前まで遡り、「往生要集」を著した天台宗の僧恵心僧都源信が
比叡山で初めて行ったとされております。
中将姫は當麻曼陀羅を織り上げた後、29歳で生身のまま極楽浄土へ往生されました。
その様相をそのまま現したものが練供養です。
観音菩薩、勢至菩薩ら二十五菩薩が、亡くなった中将姫を迎えて、極楽へ導くという儀式
です。
まず、當麻寺本堂である曼陀羅堂から東方にある娑婆堂まで長い架け橋が渡されます。
曼荼羅堂 左奥が娑婆堂
曼陀羅堂は本尊當麻曼陀羅にあらわされる西方極楽浄土を象徴し、これに対して娑婆堂は
私たちの住むこの俗世界を象徴して、小さくささやかなお堂です。
その二つを繋ぐ橋はまさしく来迎(らいこう)橋。 娑婆と浄土を繋ぐ最短距離の白い道です。
その来迎橋の両側に建つ金堂(曼荼羅堂に向かって左)と講堂(右)も人だかりで押されて
ギューギュー状態です。
先日の4月30日の日記、牡丹の様子をアップした雨の昭和の日 當麻寺・中の坊 で
ご紹介した中の坊さんも、とてもじゃないけれど人で拝観できる状況ではありません。
午後4時をまわるとまず僧侶が娑婆堂に向かい中将姫の亡骸を厨子に
乗せて行きます。
まさに来迎をむかえんとする中将姫を囲んで読経いたします。
やがて鐘が鳴ると極楽浄土の観音、勢至、地蔵菩薩が二十五菩薩を
従えてまっすぐに来迎橋を下ってまいります。
不思議なジンクスがあって 久米寺で練供養 の2週間後の儀式なんですが、どちらかが
晴れならもう片方が雨が多いと云われています。
ありがたいことに今年の久米寺は晴れで、今日も低気圧の通過中でありながら儀式が
終わるまでは降らずに済みました。 (このあと1時間後には雨になりました。)
明日は極楽浄土の観音、勢至、地蔵菩薩と二十五菩薩が練り歩く画像をUPの予定です。