平家の軍勢によって無残にも焼き討ちされた奈良(1180年頃)。
鎌倉時代以前の仏像がほとんど残っていないのは、落雷による火災も関係なくは無いけれども
権力の犠牲になったものが多かった。
以外にも鎌倉に幕府を構えた源頼朝が焼失した寺院や仏像の復興に貢献してくれていた。
飛鳥から平安の時代に日本の仏像文化に影響を与えていた中国は隋から唐の時代だったのが
その(鎌倉)ころには南宋の時代。
康慶・運慶・快慶ら慶派の仏師たちも少なからず宋の文化の影響を受けている。
それは蒙古軍の侵攻を逃れて日本に亡命した中国僧たちによって、より直接的に宋風文化が伝え
られたため、仏教造像の場においても中国風の作品が相ついで生み出されたのです。
6月1日(日)まで奈良国立博物館 東新館・西新館で
特別展「武家のみやこ 鎌倉の仏像 -迫真とエキゾチシズム」が開催中です。
十二神将立像 が鎌倉国宝館所蔵のものと奈良国立博物館所蔵のもの、阿弥陀如来像に関しては
6体もの比較、脇侍の三尊像も一組として53組の展示は久々の圧巻でした。
もちろん撮影禁止なので画像は他からお借りしたものですが・・・
冒頭の宋風と言うのを感じたのは
それまでの時代とは違って衣の裾のヒダヒダが波打つように表現され出したこと。
仏像は男でも女でもない中性とされていますが、紅一点の弁才天(仏像?)を除いて総体的に男性的に
創られているのに、この頃の仏像はお顔も優しく色っぽいのが多く思います。
特に観音(観世音菩薩・観自在菩薩・救世菩薩)像はそんな感じ。
不思議に心落ち着く場所でした。
博物館ってある意味ズルイと思います。
一つ一つのお寺に行ってもこんなにたくさんの像を拝むことはできません。
よく東京などで奈良の寺院の仏像や宝物の展示会が開かれて、講演会とかでも普段はそれぞれの
お寺に行っても聴けないエピソードやらが聴けたりします。
わざわざそのお寺に行って拝観料を払っても「こちらの仏像は今、東京に出張しています」なぁーんて
言われるとメッチャ損した気になってしまいます。
今日のテレビのニュースは覚せい剤疑惑歌手のASUKAと、パソコン遠隔操作事件の片山被告の
話題ばかり。
いずれも自身で墓穴を掘った者達に周りが踊らされて気分が悪い。 もうエエわ!!