【松本広域観光ガイドより】
松本の箒の歴史は慶応年間まで遡ることが出来ます。松本市芳川野溝地区を中心に、地元で栽培された箒草を使用して製作されています。農家の副業として最盛期には120戸から130戸の農家で作られていましたが、電気掃除機の登場などに押されて現在は箒の文化を継承する意味合いで製作されています。草の香りが残り、しなやかで耐久性も高く座敷の掃除に適しています。また手箒は床屋さんで切られた髪の毛を服から払う際に使われている印象が強いのですが、何かと重宝する道具として近年、人気が高まっています。
【中川の聞き取り】
芳川野溝のあいさつ回りをしていたら、箒をつくっている方にお会いしました。聞けば、昭和40年代までは野溝地区ではほとんどの農家の方が冬の副業で箒をつくっていたという。案内をしてくれた方のお父さんもつくっていたが、自分はつくっていないと言っていたが、現在問屋として商売をしている方は1軒だけ、それも「今年は白馬で大口の注文があったから仕事をしているが、そうでなければ暇つぶし」と語っていました。知り合いの方でほしいという方に譲っているお宅が他に4,5軒だそうです。伝統であり文化である松本箒を何とか後世に残すため、小学校へ教えにいくこともあるそうです。箒草は、今はタイやインドネシアからの輸入だそうです。松本箒の特徴は、編み方が輸入物と異なり、独特で、丈夫で長持ちするそうです。ご主人が箒の一つの束をつくり、奥様がそれを4つまとめて箒にしていきます。箒草を締める糸さばきに職人の技が見えます。