20190318 第560回「月曜の声」~中川ひろじ代表街宣
辺野古新基地建設断念を求める沖縄県民大会開催
二月に沖縄で米軍の新基地建設に伴う名護市辺野古の海の埋め立ての賛否を問う県民投票が行われ、投票者の72.2%、全有権者の37.7%の県民が埋め立てに反対の意思表示をしました。しかし、安倍政権はこの県民投票の結果を無視し、埋め立て工事を続けています。
太平洋戦争末期、長野県松代に大本営をつくる工事の時間稼ぎの犠牲となったといえる沖縄戦。県民の四人に一人が犠牲となりました。
戦後も米軍占領下におかれ、不当に沖縄県民の基本的人権が奪われ、主権が奪われてきました。一九七二年沖縄が本土に復帰して以降も米軍の74%が沖縄に集中し、米軍人軍属の事件事故、日常的な訓練による爆音被害など、沖縄県民の平穏な生活が奪われ続けてきました。
県民投票の実施は、沖縄の自立のいち過程だと照屋寛徳衆議院議員が言っていましたが、一方でこの結果を本土の私たちがどう受け止めるのかということは、沖縄の問題を通して私たち自身の生き方や考え方が問われているという重大な問題であるという自覚が問われています。
政府が県民投票の結果を無視して埋め立てを続行することに対して、「それはかわいそうだけど仕方がないことだ」とするならば、沖縄県民の犠牲の上に自分の生活が成りたっているということを認めることであるか、そのことを考えるのは苦しいので、考えないようにするための言葉であるのか、どちらかではないでしょうか?
あらためて、沖縄の問題を考えてみませんか!(中川ひろじ)
生存を支える会【仮】代表の八木わたる氏と鵜飼哲氏との対談がMウィングであり、途中からですが参加しました。いくつか記憶に残る言葉を書き残しておきます。
外国語には「私たち」という言葉はない。日本語特有の言葉。(へー、そうなんだ)
人々の気脈を通じる回路がフランスや韓国にはあるのに日本にはない。
「在日」「生活保護」「沖縄」、私たちの課題であるのに語られていない。
「支援」ではない、「学び」である。(共感)
「家族的」なものへの違和感。