こんにちは「中川ひろじ」です。

みんなのお困りごとが私のしごと

予報通りの雪

2009-01-09 22:36:42 | 活動日誌
昨日の予想通りの雪の中、あいさつ回り。豊科本村の区長さん、お年寄りのご家庭の雪をかいていた。本当にお疲れ様です。様々な皆さんの助け合いで街が動いている。午後は、大町温泉郷で大糸タイムス主催の新年賀詞交歓会に出席、主催者から「100年に一度の危機ならば、100年に一度の好機に転じる逆転の発想を」と挨拶。その後長野で国鉄労働組合長野地本の旗開きに出席。昨年、女性と18歳の青年が国労に加入したことを聞く。出席者一同大きな励みに。
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信濃町は明日から雪

2009-01-08 22:01:07 | 季節風物

長野県内は明日から雪の予報。信濃町を歩いていても「今日はお天気でよかったね。明日は雪だ。でも、いつもより少ないね」と言われた。これも地球温暖化の影響かと大げさに思う。(大げさに思うとは、雪が降ろうと降らまいと変わらぬ生活が続くという意味。)
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商都松本

2009-01-07 22:32:08 | 活動日誌

松本市時計博物館で「商都松本の繁盛記」という企画展が開催されている。特筆事項を何点かお伝えする。
まず、「たばこ」は「生坂きざみ」として何と江戸で20%のシェアを誇っていた。なぜか?最初は「たばこの葉」を供給していたが、全国に先駆けて「きざみたばこ」を生産地から供給したのが実は「生坂きざみ」だったのである。当時の川柳に「色かへぬ松本といふ名にめててちぎりをこむる千代の生坂」と読まれている。
次は「麻」。近隣に「麻績村」「美麻」など「麻」のつく地名は多い。1762年の資料によれば、名古屋方面に「たばこ」は1年間に5300頭分の荷が輸送されていた。「麻」は1000頭分が輸送されていた記録が残っている。
第3番目は「足袋」。「足袋」は、当時の北深志で10万足、南深志で20万足、「足袋底」は丈夫で長もちすることから、「信州底」「石底」と呼ばれ全国で流通していた。
こうした生産に松本周辺の皆さんの「創意と工夫」が、息づいている。
そして、「商都松本」にとって最も大きな影響を与え、「商都」たる所以を形作ったのが、「中馬」という制度である。それまでは、宿場ごとに流通が管理されており、物流コストが大きな負担だったが、生産地から直接、消費地へ運びはじめたのが「松本」であった。当初は、さまざま問題視され叩かれたらしいが、そのうちに「中馬」が全国的に定着したとのこと。「中馬」を祖としたのが、今の「日本通運」である。
時代は、輸送手段は「馬」から「車」へ変わった。1990年物流二法が改正されて、江戸時代と同様に、流通の規制緩和があり、輸送業者は県知事の認可でその地域での輸送を行っていたものが、全国どこでも輸送ができるようになった。物流コストの削減である。これは、同時に物流業界に市場競争を生みだし、そこで働く労働者の賃金と生活破壊をもたらした。この話を「企画展」の説明者にすると、同様のことが江戸時代でも起きていた記録が残っているという。
振り返って、今日の政治。「利益」第1から、「生活第1」への転換は、自民党も民主党も同じことを言う。しかし、働く者の立場で最低限の生活ができることを全ての基準にしなければ、この社会が成り立たないことを私は提起したい。
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本気でたたかおう!

2009-01-06 22:23:52 | 雇用労働・産業

長野県労福協の新年祝賀会。主催者も来賓も、今日の経済不況の中で「すべての働く者の雇用と生活を守る」「緊急経済対策」「政治の転換」などを訴えていた。集まったのは、県下を代表する労働組合の役員。非正規労働者の拡大で正規労働者の雇用が守られているんだとすれば、またそこに甘んじているとしたら労働組合の価値が問われている。主催者の挨拶は、その危機感から生まれている言葉と信じたい。規制緩和をよしとして許してきたことこそに問題がある。労働組合が労働者の立場を主張しなかったら、経営者の言いなりになるほかはない。経営者には経営者の論理があるように、労働者には労働者の論理がある。ここを間違えてはならない。09春闘をすべての労働者の雇用と生活を守るため本気で戦おう!
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新年第1声

2009-01-05 21:43:49 | 活動日誌

新年第1声を、毎月第1・第3月曜日に実施している社民党松本総支部の定例街頭宣伝「月曜の声」で、仕事はじめの1月5日松本駅前で仲間の皆さんとかわるがわるマイクをもった。この「月曜の声」は、1999年から毎月第1、第3月曜日に行ってきた。2000年山口わか子さんが衆議院選挙に当選し、2001年9月11日のアメリカにおける「同時多発テロ」以降は、毎週行ってきた。昨年からは、また元に戻して月2回行っている。数えて286回となる。社会党から社民党へ党名を変更してから13年。雨の日も雪の日もあった。ビラを配布してもわずかな人しか取ってくれない時もあった。しかし、続けていることで月曜の朝だけいき合う方から「がんばれ」と声がかかる。ありがたいことだ。今日も毎週軽井沢へ七宝焼きを教えに行く女性が遠くから手を振ってくれた。タクシーの運転手さんにもビラを配布しながら新年のあいさつ。駐車場を管理する皆さんとも顔なじみである。駅前を通る高校生も10年もたてばすでに有権者となっている。街頭宣伝の後、当初は松本駅地階の喫茶店でモーニングを頼んで、お互いの一週間の活動を確認してきた。今は、場所を駅前の喫茶店に移している。顔なじみになった喫茶店の女性も派遣労働者だった。今は、どこで何をしているのだろうか。厳しい年明けとなったが、しかし今日の厳しさは人間がつくったものである。政治がつくった厳しさである。であるならば、政治がまた元に戻すべきは戻し、直接雇用を基本とする雇用関係にすべきである。
コメント (2)
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