リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

いよいよ夏に

2005年07月17日 23時04分59秒 | 日々のこと
蒸し暑い日が続きます。テレビの天気予報を見ていると、もうすぐ梅雨明けだそうです。ということは、まだ夏になっていないわけですね。(^^;)
暑い夏を2回パスしていますので、今でももう十分暑く感じますが、もっと暑くなるのネ・・・分かってはいますが、やはり日本の夏は並みではないです。

モーリスに作ってもらったバロック・リュートの塗装(セラック)がまだ乾ききっていないので、練習していてしゃつがべっちょりくっつかないように、体のリュートに接する部分に四つ折りにしたタオルをはさんでいます。それと膝におくもの(何ていったらいいんでしょうね。絨毯の下に敷く滑り止めです)も合成物は止めて、なめし皮を重ねて使っています。合成物だと、やはりねっとりと楽器にくっついて、柄が楽器に残ります。
何か胸と膝が暑苦しいですが、仕方がないですね。
来年の夏は多分塗装も完全に乾いているでしょうから、そういうことはする必要はなくなると思います。前メインで使っていたデュルビーの楽器も結局完全に乾ききるには1年以上要しました。

新装開店

2005年07月17日 02時58分26秒 | 日々のこと
タイトルを改め、デザインも変えてみました。(笑)

さすがにもうバーゼルのことは書けませんので、これからは音楽にまつわる話や日常的なこと、私が住んでいる三重県桑名市のローカルネタなんかを書いて行こうと思います。

日本に戻って1週間が過ぎましたが、なんか外に出るとすぐにプレディガー教会に行けるような感じにふととらわれます。おっとここは桑名市なんです。そういやあしたプレディガー教会でカンタータのコンサートがあるんですよね。やはり遠いところに戻って来てしまったんですね。

バーゼルのシンプルライフと違い、戻ってくるとやはりいろいろ雑用的なことをしなくてはならなくて妙に忙しいです。でも出来るだけ毎日更新しますので、このブログを引き続きご愛読下さい。

最終回

2005年07月17日 02時41分57秒 | 日記
随想編の「渡欧」シリーズもきりがつき、これでいよいよ私の留学生活の後半を綴った「バーゼルの風」を終わることにします。昨年の12月に開始して以来、ほぼ毎日更新してきました。回数にして230回近く、我ながらよく続いたものだと思います。読んでくださった皆様方に厚くお礼を申し上げます。実を言うと、昨年の11月頃、私の留学生活を本にしようと思っていまして、その原稿執筆を兼ねてこの「バーゼルの風」を書き始めたんです。でも、何か実際に書き始めると、前にも言いましたけど、構想していたことから大きくはずれて行き、ブログで自己完結してしまうような感じになってきました。ま、要するにもう本にする気が何となく失せてしまったんですね。文字の数だけは充分に本にするだけの分量は達しましたが。(笑)ということで今のところ本にはしない予定です。経費もかかることだし・・・(笑)
約2年に渡るバーゼル留学生活で一番感じましたのは、人のつながりということです。いろんな人とのつながりにおいて、やっと実現して行ったこの留学ですし、留学中も本当にいろんな方とつながることができ(もちろんこのブログの読者の方々も含めて!)、私の留学生活を支えてくれました。あまりにも沢山の人にいろいろなことを与えていただいたので、振り返ってみるとなんか不思議な気さえします。それと同時に同じ所にいて悶々としていたのではだめだったんだということも実感しました。新たに道を求めていなければ、このわずか2年足らずの間にこのように沢山の人から力を与えられることはなかったのですから。
こちらでお世話になった先生、学生など顔を思い出しながら数えてみましたら、40人を超える数になりました。日本なら年齢の壁みたいなものを多少なりとも感じるのかもしれませんが、彼らはそんなことは全くなくおつきあいをしてくれました。本当にありがとうございました。またこのブログの読者約100人(多分)の皆様、飽きずに読んでいただき本当に感謝します。そして私を見守って下さってた日本の友人の皆さん、私のバーゼル留学生活を物心両面で支えてくれた私の愛する家族にも感謝です。
さて、このブログ、せっかく続いていたのにパタっと止めてしまうのも何ですので、同じブログを名前を変えて継続して行こうかなと思います。何が出るかわかりませんが、お楽しみに。(笑)

渡欧 (7)

2005年07月15日 00時04分32秒 | 随想
 飛行機はモスクワ経由でパリまで飛び、そこからは陸路でスイスに入ることになっていた。76年の渡欧とは比較にならないくらい短い時間でパリに到着した。パリのドゴール空港には今村氏が迎えに来てくれており、駅前で簡単な食事をしたあと、3人でスイスに向かう夜行寝台車に乗り込んだ。Kさんはヴィンタートゥアまで向かうので私と今村氏とはバーゼルで別れを告げた。バーゼルのフランス駅を出た私たちは、今の駅前にあるチョコレート屋さんの前あたりでシトロエンのタクシーを拾って今村氏の下宿のあるライメン通りまで向かった。
 その前の渡欧と異なり、スコラが学期中であったため、今村氏に連れられていくつかの授業に参加したり、小さなコンサートを聴くことができた。スコラに行くとレコードや雑誌などで名前しか見たことがなかった有名な演奏家や音楽学者が目の前を歩いていくのを見て、私は少々興奮気味だった。今村氏の紹介でホプキンソン・スミス氏とオイゲン・ドンボア氏のレッスンを受けることができた。当時ドンボア氏はヴァルター・ゲルヴィヒを継ぐリュート界の騎手、ホプキンソン・スミスは新進気鋭のホープだった。スミス氏には持っていったルネサンス・リュートでダウランドのファンシーを見てもらった。少し驚いたことに氏はその曲を知らなかったようだ。21世紀に入って、氏が新たにイギリスのレパートリーに取り組んだ際、その曲が入っていたが、そのときのレッスンのことを覚えてくれていたのだろうか。ドンボア氏には、今村氏にドイツ・テオルボを借りてヴァイスの不実な女を見てもらった。氏のレッスンは当時のスミス氏とは異なり、学生を励まし包み込むようなレッスンだった。実はその当時氏はすでに右手が腱鞘炎に冒され、リュートを弾くことが出来なかった。敢えてリュートを弾いて見せたその右手は、痛々しくもかつてのように雄弁な音楽を語ることはなかった。氏は最後に、「今日は久々にいい音楽に触れることが出来た」といって私の演奏を褒めてくれた。そのことばは私に音楽を続けていく力を大いに与えてくれた。79年の渡欧は短かったが、いろんな面で大変充実していた。私はこのままバーゼルにいて帰国するのをやめてしまおうと真剣に考えたりもした。もしそれを実行していたら、私の運命も相当変わっていたに違いないが、結局ごく真っ当に帰国する道を選び、2003年9月に至るまでバーゼルを訪れることはなかった。

道中 (4)

2005年07月10日 23時59分25秒 | 日記
シンガポールからの便はほとんどが日本人。久しぶりに聞こえてくる日本語の会話です。バーゼルではいつも大きな人に埋没していたせいか、眼に入る人たちの嵩が何か低く感じてしまいます。約8時間のフライトを経てやっと中部新空港に到着しました。今年の2月に新しくオープンした中部新空港ですが、思っていたより小振りな感じでした。飛行機の荷物室に預けたアーチ・リュートも無事でした。あちこち見学しようかと思いましたが、なんせ荷物満載ですので、そのまま故郷のM県K市に向かうことにしました。

有り難いことに空港からK市まで直行バスがありました。これは超便利ですね。でも乗っていた人は私たちを入れてもわずか6人、運賃は1600円でしたが、これで儲かるのかなって感じでした。自宅のすぐ横を通り、(残念ながらそこで降ろしてもらうわけにはいかないのがつらい所)K市の駅前へ。駅からタクシーで自宅に向かいました。

バーゼルにいたこの約2年間はそれまでに比べると、何か変化が大きかった感じがします。セントレアも出来たし、愛知万博も盛り上がりの真っ最中。ヨン様ブームがおこり、すでに過ぎ去っています。(ヨン様の写真は見たことがありますが、動くお姿は見たことがありません)K市駅前にあったテナントビルも壊されて新しい建物が建築中、立派な市立図書館がオープンしたらしいし、駅のすぐ前に交番がどーんと出来ていました。そう、市町村名もいくつか変わっているようです。しばらくはプチ浦島状態が続きそうです。

道中 (3)

2005年07月09日 16時11分38秒 | 日記
夜の11時にホテルを出まして、空港に。いくつかのチェックを通り搭乗ゲートで待ち、いよいよ改札です。無事改札も通り、二人で3台も楽器を持ち込むのは近年にない大成果を日本のみなさんに伝えなくてはと思いながら、休憩用の椅子に座ろうとしたら、

「ちょっと待ったぁ~」

と、怖そうなおばさんがやってきて、

「あんた、この楽器3台ともだめですよ。全部倉庫行き」
「えーっ、そ、そんな。倉庫に入れたら壊れちゃいますよ。それにS航空は何回も今まで使ってますが、そういうふうに言われたことは今まで一回もないですよ。現にチューリヒからここまでオーケーだったんですから」
「でもだめはだめです」

(中略)

「じゃ、上司を呼んでくださいよ」

ということで上司と交渉です。このおばさんよりは若い上司が向こうの方からやってきました。

「かくかくしかじか・・・」

(中略)

押したり引いたりの交渉の結果、落としどころとして、B777の上部ラゲッジ・スペースに入らないアーチ・リュートのみ泣く泣く壊れ物専用の倉庫にあずけることで妥協しました。もちろん弦はゆるめておきました。

このおばさん、メンツをつぶされたみたいで非常に不機嫌な顔をしていました。飛行機のキャビンに入り、バロック・リュートを真ん中の列のラゲッジ・スペースに入れようとしたら入らなかったのでちょっとあせりました。スッチー(客室乗務員)がそのことで連絡を取ったかキャビンでその話しを聞きつけたのかは分かりませんが、そのおばさんがまた登場。リベンジかと思いましたが、向かいの窓側のラゲッジ・スペースにはすんなりと入りましたので、すごすごと帰っていきました。ホッ。(笑)

後でラゲッジ・スペースの奥の方を見ましたら、寸法が書いてありました。窓側のは間口85センチで普通のバロック・リュートは楽に入りますが、通路側の方は間口75センチで惜しいところで入りません。B747ジャンボの場合はアーチ・リュートでも楽に入る大きなラゲッジ・スペースがあります。楽器を飛行機で運ぶことのある方は参考になさってください。

道中 (2)

2005年07月08日 23時55分13秒 | 日記
楽器を飛行機に持ち込むのはいつも大変ですが、最近はS航空を利用していまして、ほぼ問題なくキャビンに持ち込んでいます。今回は何と二人で3台(バロック・リュート、ルネサンス・リュート、アーチ・リュート)を持ち込むわけですが、チューリヒからはフリーパスで無事シンガポールまで持ち込みました。ボーイング747は座席上のラゲッジ・スペースが広いので、3台とも楽に入りました。二人で3台というのは快挙ですね。

シンガポールでの接続があまりよくなくて、なんと16時間待ち。このくらい長いとかえってあきらめがつきます。(笑)一旦入国してホテルの部屋を取りました。
シンガポールに到着した日にちょうどIOCの総会が始まったところで、空港にはいろんなことばによる歓迎垂れ幕がありました。

楽器を3台と荷物少々を持って、空港のすぐそばのMホテルへ。実は私はマイレッジ欲しさに最近はずっとS航空を使っていまして、シンガポールでトランジットするときは、いつもこのMホテルにしています。チャンギ村にあるMホテルは、昨年改装しまして、超豪華ではありませんが、なかなかいいホテルです。シティに行くのは少し遠いんですが、近所に村の人が行く大食堂街があり、ここがまた安くてなかなかおいしいんです。この日はインド系の店に入り、カレー系盛り合わせ(野菜やチキンなどのトッピングを5種類くらいで5ドル(約330円)です。そのあとフルーツ盛り合わせが2ドルでもう堪能しました。日本人向けに味がアレンジはされていませんので万人好みではないかもしれませんが、その手の料理がお好きの方には超おすすめスポットです。椰子の実まるごと一つのジュース(上部をパカッと切っただけのワイルドなものです)は1ドルでしたよ。

食事をしてちょっと近所をぶらぶらしてホテルに戻ってしばし爆睡。目覚めてからテレビをつけたら、2012年オリンピック開催地の発表セレモニーをやっていました。いっそそこまで行ってみようかなとチラッと思いましたが、さすがに疲れていたのでテレビで見ることにしました。

道中 (1)

2005年07月07日 19時20分16秒 | 日記
総重量50kg近い荷物+楽器3台を娘と2人で日本まで持ち帰ろうという、無謀とも言える帰還計画のスタートです。一番思いスーツケースは30キロを超えてしまっています。3階の部屋から下まで降ろすのが重かったこと。
でも大家さん夫妻に手伝ってもらって駅の列車のところまで行きました。特にこういうときは特に駅に近いありがたみを感じます。あと、途中でカートを使ったり誰か手伝ってくれる人もいるでしょうから、実際にこの重量級の荷物を正味の人力で運ぶのは、自宅について家の中に入れるときくらいかな。

やっとの思いで空港行きの列車の一番入り口に近いところに席を確保しまして、列車の発車を待ちます。しばらくすると列車がするすると動きだし、外では大家さんたちが手を振ってくれています。この後、当初の予定では、去りゆくバーゼルに名残を惜しみしばし感慨にふけることになっていたんですが、斜め前にすわったインド人が列車の発車前からやたらといろいろ話しかけてきます。しかもその発音と文法は非常に特殊で(やや客観性を持たせて言えば、「特殊」ですが、要するに崩れまくりってことです(笑))聞き取り難易度が超高いというか、ほとんど判じ物でした。非常に知性的な感じの人でしたが、その人なつっこいこと。内容はたわいのないことばかりで、おかげでセンチメンタリズムがどっかに飛んでいってしまいました。彼は空港駅の近くで降りまして、その時はバーゼルははるか向こうでした。

出発!

2005年07月05日 09時30分55秒 | 日記
いよいよこれから約2年間住んだバーゼルを発ちます。チューリヒ14時5分発のシンガポール航空SQ345便に乗ります。このバーゼルの風は昨年の12月から毎日更新してきましたが、バーゼルから更新するのは今日が最後です。でもまだまだ終わりませんよ。(笑)あと少し随想シリーズの渡欧編が少し残っていますので、これは日本に帰ってから掲載したいと思います。7月7日の朝に日本に到着しますので、たぶんその日の夕方には、随想編の続き(といってもあと少しですが)その他をお届けできると思います。

チョコレート

2005年07月04日 05時05分10秒 | 日記
今日は娘に手伝ってもらって、残っていた荷物を郵送しました。今回は比較的軽く量も少ないので、梱包も楽でしたが、いざ郵便局へと思ったら、急に雷雨になってきましたので、しばらく様子見です。でもこっちの雨は基本的には30分もすればあがるので、しばらく待っていましたら、予想通りあがりました。
郵便局へ行ったあとはおみやげを少し買いに行きました。バーゼル特産のお菓子(だと思う)、バズラー・レッカリ(クッキーみたいなお菓子で、結構タフたかみごごちで、少しシナモン風味)にしようかチョコレートにしようか迷いましたが、結局は定番のチョコレートにしました。でも日本は夏なのでちゃんとした形を保っているかが少し心配になってきました。うーんやっぱりバズラー・レッカリにすればよかったかな。(笑)
おみやげを買ったあとは、コインをゼロにするためにカフェに寄って、さらに余ったコインで、グラム売りチョコレートを買いました。このチョコレートは割れチョコみたいな感じで売っているんですが、元は超高級物で、少しかじってみましたが、さすが味は最高です。これは確実に日本に帰るまでに胃袋の中に全て入ってしまうでしょう。(笑)