労働の精神史・・・内山節氏

2008年05月31日 | 読書
信濃毎日新聞の土曜日に掲載される、哲学者「内山節」氏のシリーズ。「労働の精神史」の5回目であるが、彼が分析してくれると、なるほどなるほどと腑におちるのだ。

 以下抜粋。
 現代の労働では、人々が真面目に働けば働くほど、環境や地域が壊れたり、ときに暮らしや家族の関係までが壊れかねない。真面目に大量生産をおこない、真面目に大量流通させる。そのことが大量消費の社会を生みだして環境を悪化させてしまったり、真面目に自分の仕事を拡大することが、地域の職人や商店を危機に追い込み、ついには地域をも衰弱させてしまうことがよくある。一所懸命働くことが生活を楽しむ時間をなくさせ、家族の会話さえ減らしてしまうことも、私たちが日々直面している現実である。

 私はこれは悲劇だと思う。人間が真面目に、一所懸命働くことでさまざまなものが壊れてしまうのだとしたら、この労働のあり方には、根本的な欠陥があるということにはならないか。逆に人間が真面目に働くことによって、いろいろなものがよくなっていくのでなければ、労働と幸福とが結びつかなくなってしまいかねない。

 そうなってしまう大きな原因は、現代の労働の多くが、自然とも、地域とも、暮らしや家族とも切断されておこなわれる、単なる経済活動になったところにあるのだろう。経済活動が人間のさまざまなな営みと切断されてしまっていて、結びつきは消費者として市場を介してしか成立しないところに、である。(後略)

 昨日「不動産コンサルティング」の研修会だった。そこでは現代の経済活動について、「何がどうして」「こんな時代になったか」かが話題になった。
その根本的な元が何であるかが語られた。それはまさしく「腑に落ちた」ようにも思えたし、それで物事に辻褄が合い納得できるような気にもなったが、心の片隅がざわざわとしていたのだった。今朝この内山氏の精神論はそのがさがさを宥めてくれたのだった。

 日本のGNPは今や世界18位となりさがった。19位はイタリアと、講師を囲んでの食事会の席で、その比較となった。
 夕方5時で仕事は終わり、1ケ月バカンスをとる。手仕事が残っている。車にしてもあの車・・・・1000万・2000万の高さだ。とみんなの印象がいろいろと出る。
講師は続けて、イタリヤ製のベトナムの人形の形をした「レモン絞り器」を例にだして、日本人との違いを話された。まさしく内山氏の話にも通じるところであった。

 人間のしあわせと思う感度はさまざまだから、一様には測れないけれど、将来に不安を感じる人々が多くなってきているのは事実だ。
 この事実は変えられるのだろうか・・・・やっぱり私は凡人だ。

                        依田 美恵子 


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