お米が足りな~い!!

2024年10月16日 | 家族
嫁ちゃんから、お米持ちに来ます、とラインが入りました。
今、周囲は収穫の真っ最中。
本日の我が家のお米の在庫、5~6キロ。

先日令和の米騒動の話を他人事に聞きながら、それでも我が家の1年分のお願い早めにしておいた方がいいかもと思った次第。
そしたら20日頃なら用意できるとのこと。
ギリギリセーフ、ピッタシカンカン。
今日は嫁ちゃんと半分こにしよう。

義父が健在で、全部作っていたころは、新米を食べるのは新嘗祭とお正月の時だけで、あとはひたすら古米を食べ尽くしていました。
節分を過ぎると新米と言わない。
ある時、義父にそれでも、お米の在庫へらしませんかとお願いして、新米を少しは早めに食べられるようになったのでした。

在庫を取っておくと言うのは生活の知恵なんですね。
戦中戦後の食料不足を経験してきた人ならなおさら。
私がお米が取れない時ってあるのを知ったのは昭和の米不足時です。
どんなことがあるか分からないから、お米だけは作るようにと実家の父は言っていましたが、私たち兄弟は意気地なくそれを放棄してしまいました。

我が家は6反の田んぼ全部委託にだしているから、年に3俵(30キロ入りで6袋)はいただけますが、それだけでは必要量の半分にしかなりません。
息子ファミリーの食べ盛り2人は家を離れているから、まことに読みが難しい。
Cちゃんは寮の食事だけど、週に何回かはお弁当を作っているけど、まあー大した量ではない。
Cちゃんパパは朝夕だけだし。
さて今年はどのくらい手配しようか。
この10月に新米が食べれる幸せに浴するのはいいが、一歩間違えば私もスーパーに買いに行く羽目になったかも。
今年は、昨年より1袋増やして7袋お願いしよう、と決定。
価格はまだ未定だと言われたと言う。昨年より当然高くなるとのこと。
当然だろうね。

なんでも安いはいいかもしれないが、農家の人件費がでないような価格では、
この国の食の未来はあるまいと思う。
みいただきありがとうございました。

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友人のお義母さんは107歳、義母は100歳

2024年10月03日 | 家族
お彼岸に、義母の100歳のお祝いに副市長さんが見えてくださって、その時の様子がケーブルテレビで放映されました。
10万人弱の市ですが、100歳以上は90人ちょっとだとか。

義母の後は、市の最高齢の107歳の方のお祝いが放映されました。

義母はしっかりしていると思っていましたが、107歳の方のお元気でハツラツとしている姿に仰天しました。
この方は友人のお義母さんです。
お元気だとお聞きしていましたが、想像以上でした。

インタビューに答えて、義母は毎日30分の運動と、俳句や塗り絵をしていると答えていました。
最高齢の方も、身体を動かすことが好きだと、なんでもよく食べることが長寿の秘訣だと答えていました。
2人とも車イスです。
友人によると、90歳過ぎても、毎日腹筋を100回以上やっておられたとのこと。

う~ん、思いましたね。長生きするには努力が必要なんだと(笑)

それと身体を使い過ぎないことが必要なのかも・・・・・私の感想だけど。
さしずめ、私は義母ほどは長生きできないだろうな(笑)

友人のお義母さんは、国内最高齢を、うちの義母はとりあえず市の最高齢を目指せそう。
友人とお互い負けないで頑張ろうね、と励ましあいました。
読みいただきありがとうございました。

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100歳をお祝いしていただきました

2024年09月25日 | 家族
23日に、市から義母の100歳のお祝いに副市長さんが見えてくださいました。
市長さんが直前に体調を崩されたので、としばらく前にご連絡いただきました。

自宅には帰れないので施設でお迎えしました。
それにしても施設は至れり尽くせりで対応してくださって、頭が下がります。
会場の設定から、進行まで、職員も何人も立ち会ってくださって賑やかに、市と国からのお祝いをいただきました。

義母によると、お化粧もしてくださったと。ハイいつも以上にきれいになっていました。

お祝いをいただいた後、義母は自作の俳句を披露。そして施設にはいってから始めている塗り絵も皆さんにご披露しました。
義母曰く、お礼の言葉も思っていたことの半分も言えなくてとのこと。

100歳になっても、こんなにしっかりしている方はいままでおられませんでしたと、職員の方が私にお話ししてくれました。

確かに・・・・・・ケーブルテレビのインタビューに「認知症にならないように俳句や塗り絵を、寝たきりにならないように運動を」しています、と言っていました。

さすがです、くよくよしないで前向きです。

終わった後、お部屋に寄りましたら、壁には孫たちの写真が一杯貼られていました。
「しいばあ、大好きだよ」「しいばあ、長生きしてね」と書かれた色紙に、その時々の写真が添えられています。
これを見ていると幸せな気持ちになれるのだそうです。
いまでも新聞を読んで、ひ孫の活躍が載るのを楽しみにしています。

「俺はばあちゃんに育ててもらったから」という息子の声が聞こえたような・・・・肩を揉んでやっていました。

一度聞いたことは忘れないと、嫁いだ頃言われました。記憶力がいいのです。
旅行に行って帰ればすっかり忘れ去ってしまう私と違って、宿泊先のホテルや乗った列車までを正確に覚えているのは、楽しかったことを繰り返し思い出して、記憶の定着をしていたからかもしれません。

 一度家に連れて帰りたいと計画していたのですが、コロナが再燃して果たせずにいました。
100歳は特別ですからと、外出の許可は出ましたが、義母に腰痛だからイヤだと断られました。
ケアーマネも、よくなってきた腰痛がまた戻ってしまうかもと。そしておまけは会食の禁止。

しかし今回、外出したいと言い出しました。
一番の問題は、義母を車イスのまま移動させることです。
抱き上げての移動はできないみたい。

これは若い人たちの手を借りなければできません。

そして、義母の頭の中では、家にいる時も車イスで家の中を移動していたからになっていました・・・・・えー、ばあちゃん車で移動していたんだけど(笑)
そして食事は禁止だそうです。

ただ今夫と方法を思案中。
読みいただきありがとうございました。

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金婚式の記念新聞から

2024年09月19日 | 家族
昨夕の夕立から涼しくなった佐久です。
ヘビ騒ぎでお騒がせしました。
とりあえず、庭仕事は中断しています、と言うよりほかの仕事でてんてこ舞いなので。

先日、金婚式のお祝いで新聞社の社長の小坂壮太郎さんからいただきました「ごあいさつ」文がとっても心に残りました。

50年前、こんなことがあったのだと懐かしく思い出させてくれました。
そこで引用させていただきます。
昭和49年は、前年来の物不足、物価高が生活を直撃し、政界は田中角栄首相の金脈問題に揺れました。プロ野球巨人の背番号3番、長島茂雄選手が引退し、佐藤栄作元首相が日本人初のノーベル平和賞を受賞。
小野田寛郎・元陸軍少尉がフィリッピン・ルバング島で救出されました。

第1次オイルショツクが起き、結婚する時未来が明るく見えませんでした。

周囲を見回せば、こんなことを知っている人たちも少なくなりました。
あげていただいた一つひとつが、この国の歴史の一旦なんだと改めて思いました。
いただいたのは、結婚式当日の3月3日の新聞の一面の縮小版でしたが、やっはりどれも歴史史上の残っていますね。

新聞の見出し
石油製品、平均で65%高に  通産省、首相(田中角栄)に方針説明 
スーパーと百貨店 価格の凍結を了承
加工食品など2~3カ月間

証人喚問ヤマ場へ 衆院予算委 与野党、歩み寄りか 明日の理事会で詰める

本当に歴史に記憶される年だったと思う。
よくぞまあ、ここまで来ました(笑)
読みいただきありがとうございました。

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もうバタンキューです

2024年09月07日 | 家族
朝からフル回転。
娘の命日。10年経った早かった言えばそうかも、長かったかもと言えばそうかも。
10年の月日は小3の孫娘が大学生になったこと。
それ以外は・・・・・変わったのは私たちの体力と気力だわね。

1年で一番忙しい日になってしまつたので、会食は止めに。
朝一でちーちゃんパパがお線香を立てに出かけてきました。
嫁ちゃんは、実家のお母さんが骨折して、ここしばらく行ったり来たりしていて、すみませんと言って昨日お線香を立てに出かけてきてくれました。

夫と、娘が生きていたらねえ、とどうにもならない話をします。
プルーン畑の横に家を建てると、農振も外して図面もできていたのに、病に倒れてあれよあれよでした。
プルーンを採っている私たちに、お茶よ~、と声を掛けてくれていたかも。
いやあー、私も手伝いするわと言ってくれていたかも。
ついつい思ってしまう。
娘っていいわねえ、と。

朝息子が2時間ばかり、プルーンを採ってくれました。
今日は大学のOB会があるとかでわずかしか手伝えないと。
高い枝のところは、夫でも無理なので大助かり。
そんな訳で私は、午前中選別と箱詰して発送にこぎつけました。
午後は夫とともに収穫です。

昨日久し振りに畑に行って見たのは、「穂紫蘇」です。
たしか夫が穂が出た言っていましたが、裏庭の穂紫蘇を見ていた私はまだだろうと思っていました。えー、もう採り頃ではありませんか。
どういう訳か、Cちゃんが、この穂紫蘇の醤油漬けがお好みなのです、なんと渋いでしょう。

今年もこれだけは作って欲しいという要望があって。
それにしても、売り出すほどの青紫蘇を育ててくれた夫。
プルーンの収穫の後、夫が野菜を採っている間、紫蘇の実をもぎました。
300グラム程、とりあえず今夜はやってられないので冷蔵庫です。
昨年は味噌漬けにもしたはずです。

今夜も、夫は会議。
独り夜なべします・・・・・・が、箱が足りません。
余らせたくなくて、加減し過ぎました(笑)
明日は市内から隣町の知人・友人にお届けに歩きます。
この1年お世話になったお返しをこのプルーンでお返しするのです。

夫と凄い勢いで働いています(笑)
もうバタンキューです。う~ん身体を動かせば眠れるようです。
読みいただきありがとうございました。

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浴衣

2024年08月23日 | 家族
先日、花火大会に浴衣を着たCちゃん。
ママと私の浴衣から選んだのは、やっぱりママのだったわ。
半幅の帯をリバーシルに結び、おまけにCちゃんの七五三の時の三尺を後ろで蝶結びにして華やかにしたのね。
「かこさん」がお孫さん結んでいたのを見て、やってみたのね。
最近の若い子の浴衣の着方なんでもありーだから(笑)


それで私の浴衣を処分する決心が付いたのね。
50年以上前のもの、着物だから今もあるだけどね。
若い日に着た浴衣は、会社のイベントで布草履を作る時に提供してこれだけにしてあったのにね。
昨夜、解き始めました。
母が縫ってくれたのだけど・・・・・・おかあさんここまでの仕事しますか、って私思いましたよ。
嫁に行って誰かに見られてもいいようになんだろうか・・・・・私にはできない芸当(笑)
これって私へのメッセージだったんだわと今更気がつく。

母校の百年誌の編集していたら、女学校時代の成績発表会の写真がでてきました。
皆さん、なんの成績って思われたようです。
当時、着物の早縫い競争があったのですね、その成績発表でした。

母が私は女学校ではなかったけれど、一番早かったと言うのが自慢でした。
だから、娘である私にもお針を教え込みたかったんだけど・・・・・・母に本を読むのが好きな娘はお針がキライだって言われました(笑)

でも大学の1年の長期休みには、お針の稽古に通いましたが、単衣で勝手に卒業しました(笑)
袷に入ったらもうお手上げ。
結婚しても、縫物や襦袢の襟替えは母の所に持ち込みました。

その私が針仕事に惹かれるようになったのは、50代になってから。
90過ぎまで毎日針を持っていた母のDNĀが私の中にあったのですね。

針を持つと落ち着きます・・・・・おおこの変わりよう(笑)
先日、Cちゃんが、「これ直して」と持ち込んできました。
チラッとみて「家庭科レベルでしょう、自分でやって」と。
私はおばあちゃん、ズッと面倒みられないからね。

浴衣1枚のほどきになんでこんなに時間がかかるかで、途中のまま(笑)
でも使い道は決めました。

読みいただきありがとうございました。

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秋の気配 これから夏休み

2024年08月21日 | 家族
昨日夕方、帰宅する時浅間山の裾野まで黒い雨雲に覆われていました。
浅間山の裾野は軽井沢です。
きっと降っているだろうな。

帰宅して1時間ばかりしたら、その雨雲が佐久に移動してきました。
明るいうちの雨雲は、雹が降るかもしれないからイヤなのね。
それでもまあまあおとなしく降ってくれました。
それでも作物には影響出ているだろうな・・・・・仕事が増えるだろうな。

孫男子2人がようやく夏休み。学校は夏休みだけど、その間もずっと練習や合宿で本当に僅かな夏休み。
静岡の高1は4月の下旬に1泊帰っただけ、ホームシックにもならずエライわ。
高3は東京の合宿先から新幹線で帰宅。
高1は嫁ちゃんが静岡までお迎え。

電車の乗り方習った方がいいわよ、と先日。
車社会で生きていると、電車に乗る機会はほぼ皆無。
大会であちこち行っているけれど、全部親が同行だからね。

新幹線の彼は間違えてグリーン車買ったんだって(笑)
その後日談は週末聞こう。
なんでも経験ね。
お迎えの彼も、これからは電車になるだろうな(笑)

みんな大きくなって家から出て行ってしまう。
孫たちが家中走り回っていた頃がじじばばにとって一番いい時だったんだわね。
それでもレスリングの追っかけさせてもらえる今もいい時なんだわね。

今朝はいくらか涼しい朝、そしてセミの声が賑やか。
庭の花を活けようと一回り、花もすっかり秋の気配。

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義母との面会 

2024年08月18日 | 家族
昨日、午前中は会社。昼少し前に帰宅してスーパーで、義母のおやつの買い物。
こだわりが強い義母は、お菓子もご指名。
その在庫がなくて、前回は別の物をチョィス。

施設からは、持ち込む量を制限することと、自室で食べないようにという、お達しをいただいた。

午後、夫と息子ファミリーはプルーンのシート掛けに出かけ、私は図書館に本の返却と、メガネのツルの調整に行き、そのあと1時間庭の草取り。

3時15分、義母と面会。
顔を見れたのは2月振り。
とっても元気そう、退院したばかりの時の混乱は影を潜めているみたい・・・・。

ひこ孫の話で盛り上がる、一緒に行ったCちゃんを見てとても喜ぶ。
9月に100歳のお祝いをしたいと話すが、自宅に帰るのが、気が進まなそう。
と思ったのは気のせいか・・・・・身体の移動が大変らしい。

おやつのリクエストは、前回私がチョイスしたものだった。
拘らなければ、いろいろ楽しめるのに。世の中おいしいものいっぱいあるのにね。
そうだんなんですが、と担当の方。
先日、おやつに牛乳が飲みたいということで、差し入れだと賞味期限がむずかしいので施設で手配してくださるということになったのだが・・・・・100㏄のパックが希望なのだとか。

義母は先日入院した病院で出たから、と言うらしい。
しかし施設ではその辺のスーパーにないので、差し入れにして欲しいとのこと。
今日は100㏄の牛乳パツク探しに行ってきます。
サイズの大きいズボンも。

外仕事の多かったこの1月ばかり、やっぱり身体が疲れているのかも。
おまけに夜中の読書に励んだからね。
少し、ゴロゴロする時間が欲しそう。

明日帰るCちゃんに、何か食べたいものがあればと聞いたら、トマトソースの煮込みハンバーグだそう。
外に食べに行ってもいいのよ、と提案したら即却下。
おばあちゃんの料理が食べたいのだそうだ・・・・・・。
私は、お休み欲しいなあ~(笑)
ということで、今夜はお取り寄せ&私の料理で落着。
煮込みハンバーグも大量に完成しました。

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お盆前の仕事ひとつふたつ

2024年08月11日 | 家族
昨夜、ようちやん味噌を仕込もうとしたら、買い置いた麹が終わっていたことに気がついた。
先日は塩、30グラム不足(笑)
買物の度に砂糖と酢とみりんを。
あらー、お酒も。ようちゃん味噌に入れるお酒が半分しかなくて、純米酒を使うか、泡盛を使うか迷って泡盛にしたりしてね(笑)

今朝一番に、ブルーベリーを採りに行き、その帰り野良着姿のままスーパーへ。
もう時間短縮なのね。

昨日、紫蘇ジュースの赤紫蘇を採って帰宅。Cちゃんもちょうど帰宅して手伝ってくれると言う。
じゃあ、赤紫蘇洗って、お湯を4リットルと2リットル沸かしてねと頼んで私は入浴。
はてー、と思ってキッチンに戻り、先にお湯を沸かしてねと言ったら、「当然そうしています」と返ってきました。
Cちゃんに言わせると、小学生のCちゃんに私は猛烈に家事を仕込んだらしい。
あの頃体調が良くなかった私は「おばあちゃんはいつまで生きていられるかわからないから」と。
おかあさんがいない子だからって言われないように・・・・・仕込んだんだわね・・・・・もう忘れている私。
その時、ほうれん草を茹でるという例で教えたのだと思い出した。
ほうれん草を洗う前にお湯を沸かし始めるというのを。

たぶん中学・高校になれば部活で家事が教えられなくなるから、小学生だったCちゃんと夕食作ったんだわね。
3つ子の魂とはよくいったものだ。
Cちゃんが洗い物をしたあとのキッチンはピカピカ。
ゴミ受けも台拭きも。
ここまでのこと・・・・・本当に教えたのだろうか(笑)


もう大学生だからね、ごはん作ってね。
と新しい課題を提案。
さてーどんなごはん用意してくれるだろうか楽しみ。

暑いけれど、家の中にいる分には汗をかくことのない佐久。
でも外はどこも同じでしょうね。
この灼熱きらいではない・・・・・搔いた草がすぐ枯れるから。
午前は庭の草掻き、あまりに枝を伸ばした雪柳の剪定・・・・・夫に頼まないで自分でね(笑)
午後は畑に行きます。
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高校野球の思い出  

2024年08月08日 | 家族
 残暑お見舞い申し上げます。
いやー、酷暑お見舞いですね。

3ケ月に1度の定期受診の日。
朝8時過ぎに出かけたのに、う~んなんでこんなに呼ばれないの?。
たぶん入力されていなかったのだと思う。
おかげで文庫本半分読めちゃつたからいいんだけど(笑)おまけに涼しくてね。

でも仕事が間に合わなくなるのね。

オリンピックはニュースでしか見ないけれど、それでもレスリングの場面はしっかり注視してしまう。
ルールがわかるから楽しいのね。
世界の頂点、日本の頂点に立つ人は強いわ!!

高校生のレスリングも強豪校がいくつかあるのね。
そこには大勢部員がいると思う。
普段練習相手も十分でない学校も多いだろうな。
体重が3キロ、5キロ違うだけでも、大変なんだものね。

部員が大勢だと、その中の競争が激しいだろうな、代表になれなければ試合に出れないもの。

先日、NHKの朝の放送でリスナーが投稿されていたのを聴いて、共感された方も多かったろう。
高校野球の夏の地区予選で、出番がなかったの選手のお話。
そんなお子さんの親が切なさを書いておられた。
わかるなあ~。
息子もそうだったもの。

アナウンサーが多くの物を得られているというようなこと言ったわ。
確かにいっぱい得たものはあるはず、それも分かるわ。

子どもって、甲子園に一番近いとこへ行きたがるのね。
息子に、他に行けば1年からレギュラーになれるよ、って言ったけどね。
入学すれば、チームが10も作れるほどの部員。
1年の秋にはレギュラーになれるかどうかわかる、って1つ上の保護者に言われた時の衝撃。
とても息子には言えない言葉。

甲子園の夏が終わった盆明けの保護者会で「あとはレギュラーの親で決めますから」って。えー、まだ新体制になったばかりで、レギュラーってなあに。

3年になる春休み、帰宅してからも庭で素振りを続ける息子。心が揺れているのが分かる。
監督を囲んだ保護者会で、監督が「僕は後方に回ります」と言われたのは初めてだったとお聞きした。〇〇君と競わそうと思っていたのだがと付け加えられたけど。
まあーそれはないわね、〇〇君は監督が連れてきた子だもの。
あの時の心の揺れはこの後方に回ることだったのか。
後方って、他の学校のスコアカードを付けることなんだわね。

この年、甲子園に行けなかった。
第2試合で負けた。負け試合の応援したことがなかったから、私たちの方が立ち直るまでに時間がかかった。
負けるには負ける原因もあっただろうと思う。
私たちは息子の部屋にエアコンを取り付け、息子は即受験生になったあの夏。
息子は何を得たのだろうか・・・・・今でも野球部のことは語らない。

高校時代に肩を壊さなかった息子は、社会人になってからソフトのピッチャーを続けられている。人生何が幸いするか分からない。

団体競技の切なさを体験したから、我が家の孫は個人競技なのかもしれない。
もっとも、物心ついた時には、レスリング始めていたからよっぽど相性が良かったのだろう。
読みいただきありがとうございました。

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