1000冊の読書 2022.1

2022年01月31日 | 読書

読書をしているのが一番の半月。午前はベットの中で丹念に新聞を読み、書き取りが出来ないので寝たままスクラップ作り。

午後はテレビを3時間。それ以外はひたすら・・・・読む・読む・読む

でもびっくりだったのは、三浦しをんさんと浅田次郎さんのエッセー集いや短編集を読んで、過去私が読んでいたお二人のイメージとの落差、

三浦しをんさんにいたっては、今後のことを考えて放りだそうかと思った位(笑)

こんな面もお持ちなんだあ~と。

思い出してみれば、過去ベットの中で過ごさなければならなかったことが無いわけではない。

若い時は、テキストを寝たまま読める位に解体して、転んでもただでは起きないとばかりに、資格試験の勉強したけど、いまさら資格云々もないから、読書という幸せな時間を過ごせたのです。ただし寝返りを打たなければ・・・・・・。

735 ホワイトハグ 生存不能  安生 正 宝島社

736 勇気凛凛ルリの色  福音について 浅田次郎  講談社文庫

737 きまぐれ体験紀行  星新一  角川文庫

738 信頼の軌跡 柳沢武三  自費出版・・・・・母校に在学中時の物理の名物先生‥‥同窓会館片付けていていただいてきたもの

739 ラスカトリポカ  佐藤究  角川文庫

740 741 砂の王国 上下  荻原浩  講談社文庫

742 神様のひと言  荻原浩   光文社文庫

743 744 745 746 ブリズンホテル 夏・秋・冬・春  浅川次郎  集英社文庫

747 歩兵の本領   浅田次郎  講談社文庫

748 悶絶スパイダル 三浦しをん  新潮文庫

749 時の渚 笹本稜平  文藝春秋

750 暮しの手帖 76号 2015年

751 青空と逃げる 辻村深月  中公文庫

752 ライフ  小野寺史宜  ポプラ社

ラスカトリボカは読み始めて翻訳本なのかと表紙を見直してしまったほど。

昨年世界遺産の中南米当たりを読んでいて、恐怖と戦慄を感じて、将来未来・・・永劫、かの国には近づかないと誓ったものでしたが、まさにそれにピッタシカンカンでした。

よく読み終えたと思う・・・・・・暇だったからかも。

ただラストに救われた。

星新一さん、60年前読んだショーショートの一作品が今も強烈に残っています。

今いうところのDNA。

犯罪を犯したと、このDNAで逮捕。このDNAが別人とすり替わっていたから、というお話。

中学1年か2年の時。当時DNAなんてことの認識があったのだろうか。

 

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圧迫骨折のその後6・・・・・・名もなき家事

2022年01月30日 | 日々のこと

転倒した日から19日目、日ごとにというか、突然というか痛みが少なくなってきました。

昨夜、立ってスマホを見ていたら、Cちゃんパパが「座って見た方がいいですよ、身体が揺れています」と。

えー、そうなの自覚がないのだけど。

筋力が落ちているのだろう。

3日前から、できることをやり始めました。

そして動いたと同じ時間、ベットで横になって休息・・・・・・そうしないと背中が重苦しくなるから。

疲れる。

今朝、朝食の後食器を洗っていたら、Cちゃんが「おばあちゃん大丈夫なの」と心配して声を掛けてくれました。

私、なんとも言えない顔をしたらしい。

確かにやらないでいれば、だれかやってくれるでしょう。

しかしやらないでいることが、回復を早めるわけではない・・・・・だからボチボチと。

それに・・・・・・大変なのは、私でなくて夫。

日々の家事量が分かっているだけに、それが夫の肩にかかったのだから。

27日の信濃毎日新聞の信毎歌壇の第114回期間賞の発表があり、道浦母都子先生の選が

「詰め替え用洗剤をボトルに流し込む 名もなき家事はあふれるばかり」

長野市の原田りえ子さんの作品。

この句が新聞に載った時感心して、感想をブログにアップした記憶がある。

やっぱり期間賞に選ばれたのだと深く納得。

そうなのだ「名もなき家事」は山ほどあるのだ。

それを一つひとつこなしていって初めて家庭は回っていくのだもの。

名もなき家事まで振られた夫の大変さがわかる。

でも夫には見えない「名もなき家事」もたくさんあるのだけれど。

そこへきて、手のかかる私。

夫は嫌な顔一つ見せずに下の始末もしてくれた。

もう感謝しかない。

 

何年か前、70代半ばで奥様を急逝された方。

その方とお話していて、思わず「無理なさらないでくださいね」と。

その方が「無理しているだよー」と。

私思わず絶句。

自分の言葉がただのリップサービスにしかならないことを思い知らされました。

無理をしないでの言葉の前に、私にできることをしなければと思った。

それは一食分のお惣菜であるかもしれないと。

近くに息子さんファミリーもいらっしゃるから、出すぎない程度に。

 

夫の無理を助けてくれる、嫁ちゃんや親せき。

手料理が届くと、夫がホッとした顔をする。

毎日、翌日のおかずを夫と決める・・・・・・夫にとってこれが一番大変だったのだと思う。

それでも、私もボチボチ料理も出来るようになり、またまた助手になりたいらしい夫(笑)

私としては、夫にもうちょっと料理の腕を上げて欲しかったけど、今それを求めるのは酷のこと。

元気になったら一緒に包丁を握ろう。

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圧迫骨折のその後5  ヤングケアラー

2022年01月29日 | 日々のこと

寝ていれば、すべてがうまくスルーしていってしまうわけでもなく、雑事が頭をよぎるようになりました。

私が、ベットから立ち上がれなくなった日。

私の枕元に立ったCちゃんが「ペットボトルから飲めるストローがいるわね」と。

その足で買って来てくれました。

かってなら「吸い飲み」か・・・・・しばらく前に処分しました。

このストローにどれだけ助けられたか。

「あなたをヤングケアラー」にしてしまったわね、と私。

「う~ん、今まで予備軍だったから」と冗談にして返してきたCちゃん。

このところヤングケアラーがマスコミでも取り上げられています。

高校生で何人に1人とか、小中学生でもいるとかを聞きながら、どうなんだろうと思っていました。

Cちゃんが小学生の時、保護者の読み聞かせのボランティアをしたことがありました。

1クラス35人位。

話の内容から、児童に、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に暮らしている人はと手を挙げてもらいました。

1人いたのか2人いたのか程度。祖父母・曽祖父母と暮らしている子はCちゃんだけでした。

こんな田舎てあってでもでしたから、私も驚きました。

この実態を見ていたから、今言われているヤングケアラーってだれを看ているのだろうと不思議だったのです。

我が家のように4世代で暮らしていれば、上3世代に何かあればそんな危険をはらんでいるのですが。

この2週間ばかりの間、Cちゃんは休日の食事と、夕食の片付けをしてくれました。

とっても完璧で夫がとっても助かったと言っていました。

8年前に私の娘でCちゃんの母が亡くなった時、Cちゃんは小学3年生でした。

高校受験の年、そして部活がある高校生になれば、家事を教えている時間はないからと、小学校高学年から、夕食の手伝いをさせてきました。

無理な介護で体調を崩していた私は、この子にいつまで寄り添えるかという不安があったからです。

食べていく知恵だけは付けさせておきたいと。

受験から高校生になった今は手伝えとは言いません。

でも確実に主婦力が付いているようです。

 

本当の寝たきりを3日間しました。

義母を看てきてというか、義母がどんなふうにやっているかが、とても参考になりました。

介護用品はそろっていますし。

家中にある手摺がただ私の部屋から廊下にはありません。

これがあればかなり楽だったかもしれません。

ベットから立ち上がる時の手摺もあればです。

鏡台の引出しにつかまっていました。

自分でも寝たきりがずっと続くとは思わなかったので、取り付けませんでした。

えー、義母の部屋には電動ベットも手摺もあるのですが。

一応介護保険のだからね。

3日前に2週間ぶりに入浴しました。

3日目の昨夜でも浴槽には垢が浮きました。

入浴できたのがうれしかったですね。

たしか垢では死なないって言うけれど(笑)

階段も片足ずつおりれるようになりました。立ち上がった時はまだ違和感がありますが、動き始めるとなんとかなります。

でも胸のあたりに圧迫感がでます。だから起きていた時間分、横になって休んでいます。

それでも良くなってきていると思います。

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圧迫骨折のその後4

2022年01月28日 | 日々のこと

こんにちは。

今年は予報通り寒い冬ですが、私はぬくぬくと湯たんぽを抱えて至福の時間を過ごしています。

日ごとに痛みが少なくなってきました。

ただ筋肉の衰えは隠しようもありません。

それでボチボチ、キッチンへ。

ハイ監督してほしいと要請が出まして。

10数日ただ痛みに打ち震えていた私と違って、家族には食べていくという大きな試練が立ちはだかっていたのでした。

しばらくは、買い置いたもので間に合っていましたが、素材はいっぱいあるものの、腕がない我が家の主夫。

それでも奮闘してくれました。

退職してから、家事に手をだしてくれていましたが、料理をする私の様子には興味を示めしませんでした。

料理をしながら振り返ると、目はテレビ。

いつか来るかもしれない日のために、最低限の食事作りはマスターしてほしいと思っていました。

だから時たま「座ればごはんが出てくると思っていない」と言っていたのでしたが。

料理って一朝一隻には身につかないのですね、その点高校生のCちゃんの方が主婦力高いです(笑)

部屋に来る主夫に「あのねえ~」とお願いするのですが、たぶん階下にいくまでに3つの内2つは忘れるみたいでした。

大根を茹でてとか、青バツを浸してとか、干しシイタケを戻してとか。

無理もありません、土日は私が料理しますという、Cちゃん。

嫁ちゃんは常備菜を届けてくれ、お休みには半日我が家のキッチンで料理を作ってくれ。

冷蔵庫の中には、たくさんの保存容器がならんだのです。

だもの夫の出番もそうそうなく、私も朝からごちそうをいただきました。

弟からは、お得意の猪汁が届きました。

少し主婦力がついた我が家の主夫。

1回分にしては多いその猪汁に野菜を追加して、半分は煮込みうどんにと。

褒めてあげましたよ。

結局、うどんの量を増やして、残りは夫と私の昼食になりましたけど。

あちこちから、陣中見舞いをいただき、我が家の食を助けていただきました。

夫曰く、3度3度何をどうするかということが、どんなに大変なのかわかったそうです。

同じことをCちゃんも。

座れば食べられるという当たり前だったことがなくなり、家族みんなが感じたのでしょうね。

夫がかぼちゃを煮てくれました。それが思いのほか・・・・・私より上手に。

Cちゃんが感動したと。お弁当にも詰めていったとか。

昨日から監督でキッチンにいる私。

ですが、夫は助手に成り下がり、私ボチボチ料理始めました、いや始められました(笑)

助手がだんだん上等になってきましたから。

越冬野菜も、冷凍庫もいっぱいなのですから、何とか消費拡大しなくてはです。

大根料理を3種に、野沢菜漬けのキムチ炒め。

細かくカットした野沢菜を塩抜きして、ゴマ油で炒めてキムチの素で味付け。

超簡単ですが、半分は冷凍庫です。

かぼちゃを蒸かして、ペースト状にして冷凍庫へ。

越冬野菜を食べきるための知恵なのです。

寒いけど、日の光は明るくなってきましたから、春までもう少しですから・・・・・・消費するのも忙しいです。

コメントいただきました皆様にまだご返事も出来ずすみません。

まだ休み休み・・・・・ベットで横になる時間を入れながら、少しずつ動き始めました。

励ましやアドバイスにどんなに勇気づけられたかわかりません。

ありがとうございました。

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今、長野は沸き立っています・・・・・御嶽海

2022年01月27日 | レスリング

今週に入って地元紙の信濃毎日新聞は、御嶽海の紙面が半端ではありません。

オミクロン株で気分が落ち込んでいたのが晴れるみたいです。

すぐにでも大関になって横綱になれると思っていたのに、足踏み状態が続いて、地元・・・・本当の地元人でない私でもかなり心配していたのでした。

でも初場所、彼の顔付きが変わったように見えました。

いつも北の富士さんの厳しい解説にやれやれと思っていましたのに、今場所はそれもなく。

御嶽海関って、本当に優しい人なんですね。

以下に2017.10.2の私のブログを再掲しました。

この時、本当に目の前で何時間か彼を注視していて、この方の優しさが感じられたのです。

このやさしさが勝負の世界にはてきさないのだろうかと、人知れず思ったりもしていたのです。

千秋楽、横綱を押し出した時、横綱が土俵下に落ちないように、手を添えました。

えらいなあーと思いましたもの。

ズッと怖い顔していたのに、表彰式での笑顔可愛かったなあ。

今朝の新聞に結婚の報告がありました。

原動力はここにもあったかも。

 

以下再掲です。 2017.10.2

とっても上天気な週末、やりたい家事に後ろ髪を引かれつつもお出かけ。「ぞっこん!thさく市」佐久市と佐久商工会議所主催…工業展から始まって50回の記念大会みたいなもの。

 それを記念してか、「御嶽海関」が来場して、御嶽海杯 わんぱく相撲が開催されたのです。

 昨年初めて参加した我が家の男子ですが、今年は1年生からの参加もありで、男子3人が参加です。

 総勢90名程の小学生の参加です。それにしてもギヤラリーの多さ、さすが長野県出身の力士です。もう全員が我が息子みたいに、日々応援しているのです。

 最近まで、相撲の時間に帰宅することはなかったから、一般教養程度の相撲知識だったけれど、最近の御嶽海戦は欠かさず見ている我が家。

 この頃の満員御礼にも、本当に安堵したりしているのです。しばらく前のテレビのカメラが苦労して、閑散とした上の方の座席を映さないようにしていた痛々しかつたことが嘘のようで、心底うれしい。

 勝越しも決めて、今回お会いできることを楽しみにしていたのでした。

 午前は予選、午後から決勝トーナメント。

 取り口を見ていると、子供たちの日頃練習しているのが、相撲なのか柔道なのかレスリングなのかわかります。格闘技の子が多いようです。

 我が家の男子3人は、身体は細くて小さい。

 小1は特に小柄・・・・リスリングだと体重別だから、勝機はあるが、相撲は別物だと思えました。

 小3と小5は持ち味のスピードで勝ち進みました。

 小5は準決勝で、またもや体重差が倍以上の子と対戦になりましたが、機敏な動きで制したのでしたが、決勝はなんで負けたのという感じでした。

 小3は危なげなく優勝となりました。

 優勝した子は御嶽海関と相撲が取れるとなっていましたが、御嶽海関怪我かなにかがあるとかで、序2段の付き人が相手をしてくれました。

 上手に相手をして遊んでくれて・・・・子供たちはそれはそれは一生懸命向かっていっているのだが・・・・ギャラリーを楽しませてくれた。

 我が家の小3はまわしを摑んで持ち出されそうになったのでしたが、太ももにしがみついて、逆立ちになり、土俵の外に下ろそうとすると、土俵の縁に足をかけて踏ん張るから、それを3回繰り返して、会場の笑いを誘ったのでした。

 さすが・・・それ以上は相手にしていられなかったようで、正座させる体形に持って行って土俵外に出されたのでした。

 高学年の女子と男子は御嶽海関が対戦してくれました。西の表面に座っていた私の目の前2メートルに、御嶽海関の大きなお尻がど~んと迫り、圧倒されました。

 パンツの上にステテコで、腰には付け人の帯を巻きつけてです。

 付け人は御嶽海関の脱ぎ捨てた、下着と浴衣をきちっとたたんでいました。すぐまた着用するのをです、自分のはさておいてです。付け人の気遣いというか、本当に教育されているというか、そういう制度の世界の一旦をかいま見たような気がしました。

 参加した選手との交流会では、子供たちの質問に答えてくれました。

 その質問がユニークでした。

 その質問にユーモアを交えて答えてくれていました。「なぜ相撲をやるようになったか」の問いに、「わんぱく相撲で負けて悔しかったから」と答えていましたが、肝心な質問には、本当に真摯に応えてくれていました。

 御嶽海関の性格の良さが感じられて、そこにいたギヤラリーの高感度は200パーセントはアップしたことと思います。

 子供の頃は「しこ」を毎日400回踏んでいたのだとか、今は回数だけの問題ではないから200回だとか・・・・・やっぱり努力があったのだと知りました。

 国技館に行っても、こんなに間近でお会いできません、素の御嶽海関にあえて最高でした。

 男子3人組はそれぞれ得るものがあったことと思っています。

  

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圧迫骨折のその後3

2022年01月26日 | 日々のこと

こんにちは。

毎日ベットから青空を眺めていました。

とっても寒いけど天気のいい佐久です。

昨日から痛みが減ってきました。

どこをどう動かせば痛くないのかが分かってきたのかもしれません。

恐るべしは安静でした。安静の力は大したものです。

しかし、経験者の友人からは「歩け」メールです(笑)

そうですよね、わかってはいるけど、どれだけベットの中が快適なのか。

筋肉の衰えです、これはボチボチ付けていくしかありません。

夫が小魚とナッツを買って来てくれたり、私の好きなイワシも膳に付きます。

当初、食欲もなかったのですが、ここ2~3日食べたいと内から欲求が高まってきました。

 

私がどうやっても動けないと分かった日、考えなくてはならなかったのが義母のことでした。

骨折した日はショートスティ中でしたが、帰宅する日は私が最悪状態でしたので、夫の奮闘が始まりました。

私の病院の予約にあちこち電話の傍らで、ケァーマネージャーと、預かっていただいている施設との連絡と調整。

事情が事情なのでと、延長していただくことができました。

しかしそれは次の段階までのこと。

ちょぅど空きが出ますと言う「サービス付き高齢者向け住宅型有料老人ホーム」に1月ばかりお世話になることになりました。

晴天の霹靂なのは義母だったと思います。

夫に家事全般と寝たきり状態の私に義母の介護まで背負わせるのは無理だと思いました。

私自身、あとどの位の時間がかかるのか見当も付きませんでした。

嫁ちゃんが、延長になって不足する、おやつ・ワイン・おつまみ・身の回りの品を調達して届けてくれました。

義母から電話があり、夫が話をしてくれました・・・・・・嫌だというのはわかっていますが、我慢をお願いしました。

そして本日、老人ホームに引っ越しです。

これも簡単ではないのですね。

中身のない1室を借りるということなのですね。

義母の部屋から、今使っている家具を息子と夫が持ち込みました。

持ち込みリストを見ながら、夫は私の指示で集めます。

防水シートはCちゃんパパがネットで取り寄せてくれました。

一緒に暮らしていても、夫が家の中の物を把握していないのにびっくり・・・・・まあ―仕方ないけど。

97歳の義母を抱えていても、今まで老人ホームを考えたことがありませんでしたから、勉強不足なのでした。

夫が「我が家はお前が中心で回っているから・・・・・・こうなると大変なのだ」と。

まことにその通りです。

歯車が狂ってしまったのですね。

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圧迫骨折のその後2

2022年01月25日 | 日々のこと

こんにちは。ようやくパソコンの前まで来れました。

人生一寸先は闇だと思いました。

転倒した時、地面から一瞬目を離した瞬間、コートの裾が自分の顔と並行になったと思いました。

それでも骨折したなんて思わなかったのです。

でもだんだん、痛みが出て歩くのが大変になって、さすがにまずいわと思って病院へ行きました。

もう35回も人間ドック受けている病院ですから。

土曜日でしたので、レントゲンとCTを撮ってもらって帰りました。

頭の方は異常がなさそう、そして圧迫骨折だろうと。

休み明けに整形外科を受診してくださいと言われて。

帰ってから、動けなくなりました。

痛み止めと湿布薬に、手持ちのコルセットにテーピングをしてもです。

休み明け、整形外科の予約を取ろうとして、そのハードルが高いことが分かりました。

市営病院は1週間以上先、民間の病院にも断られ、緊急で見てもらった病院には、私の情報が一杯でそれがかえってアダとなり、断られました。

突然に受診すれば見てもらえると思いますが、その前に問題があったのです。

2階から私をおろせるかです。

救急車か民間の救急車にお願いするしかありません。

それだって・・・・・どう考えても無理です。

息子が背負ってと言ってくれますが、そんな体勢が取れるわけがありません。

1月前に4回目の圧迫骨折をした友人が電話をくれました。

開口1番「必ず治るからね、大丈夫だよ」の言葉に励まされました。

折れたなら、くっつくまで静かにしていてみよう、と覚悟を決めました。

でも、不安は払拭されていません。

人間ドックの病院では「その薬を飲んでいるから、かかっている病院へ」と言われたのです。

だって私の主治医は週1回他県からきているだけ。

それでもだそうです。

私は決心したにしても、外野は心配のようです。

それでその病院に電話しました。

まず相談室に回してもらって事情を説明し、外来に回されました。

そして急性期は静かにしていた方がいい、と。

納得です、先日病院に行った後、ガタガタときたのですもの。

あのー、寝たきり状態なのですが・・・・と私。

寝た切りは筋肉も落ちるし、カルシュウムも溶け出すし・・・・と、どうしたらいいのと思っていた私に、今はそんなこと考えている状態ではないでしょう、と。

ごもっともです。

この頃が最悪でした。

本当に寝たきりでした。

でも10日経った頃から、起き上がる時の痛みが楽になってきました。

腰砕け状態からの脱却です。

確かに筋肉が落ちました。

「ゆうさん」がベットの中でも、痛くないところを意識して動かした方がいい」とアドバイスくださいました。

ほんとそうですね。

もう少し良くなったら受診します。

皆さん励ましやアドバイスありがとうございました。

スマホで読ませていただいています。

私のスマホ、ブログのアツプもコメントの返信も出来なくて、失礼させていただいています。

だらだらと長くなりました。

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圧迫骨折その後1

2022年01月23日 | 日々のこと

 代理で書いています。以下本人の口述です。

 こんにちは。ご無沙汰しています。

 転倒から10日たって快方に向かってきた気がします。15日に病院に行った後、座ることも立つこともできなくなりました。

 義母より先に寝たきり体験ができました。

 整形外科の診察を受けたかったのですが、1か所は1週間以上先、後の3か所は断られました。

 行けば診察してくれるでしょうが、2階から降りることができません。

 最後に電話した病院の看護師さんが、急性期は静かにしていた方がいいということで自宅で過ごすことにしました。

 1か月前に4回目の圧迫骨折をした友人が、電話で開口一番必ず治るからねと言ってくれた言葉に励まされました。

 今は夫やCちゃん、Cちゃんパパ、息子ファミリーのおかげで暮らしています。

 寝ていれば痛くないので、読書三昧の日々です。

 コメントをいただき励ましとアドバイスをいただきました皆様、本当にありがとうございました。とても参考になりました。

 あともう少しでパソコンの前に座れるかもしれませんがとりあえずご報告させていただきます。

 ありがとうございました。

 

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転倒・・・・・病院へ

2022年01月15日 | 日々のこと

重い腰を上げて、今朝病院に出かけていきました。

重いというより、痛いのです。

洗顔が出来ません。

着替えも夫の手を借りました、転んだ日はこんなでなかった・・・・・。

さすがに回復に向かっていないと思わざるを得ませんでした。

でもねえ~、土曜日で休診日でした。

緊急になりますと言われて、レントゲンは撮っていただけますよねとだけ確認しました。

コロナ感染者急増だから病院には近寄りたくなかったのでしたが、患者は数人いただけ。

たぶん研修医でしょうか、若い医師がとてもよく診察してくれました。

整形医師は今日はいませんって言われていました。

医師が心配したのは頭です。

私もそれは気にしていましたが、ここまで自覚症状はとくにありませんでした。

でも、高齢者は2~3ケ月後位に出ることがありますから、と付き添いの夫に。

そしてCTとレントゲン。

医師は専門外ですけれど、レントゲン技師はベテランです。

これだけ痛みがあれば圧迫骨折かもと。

レントゲンの写真見たけれど、私の眼にはなにも見えませんでした。

来週専門医の診察を受けてくださいとのこと。

やっぱりねえ。

痛み止めと貼り薬いただきました。

痛み止め昼食の後飲んだら・・・・・効いてきたのがわかりました・・・・強い成分量なのでしょう。

効いている間に、身の回りのこと片付けたり、我が家の事務仕事をしたりしています。

夕食は夫とCちゃんにお任せ。

夫がCちゃんが良くやってくれてと、喜んでいます。

でも今日は模試、お弁当のおかずも自分で仕上げていきました。

ところで圧迫骨折って治るのでしょうか、心配です。

コメントいただきました皆様ありがとうございます。

お読みいただきありがとうございました。

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転倒の後

2022年01月14日 | 日々のこと

こんにちは。

昨日アップした転倒の話に、たくさんのコメントいただきました皆様ありがとうございます。

まだ、机に長時間座るのが辛いので、ご返事お待ちください。

ご心配ありがとうございました。

打撲だけだと思いますので、徐々に良くなるだろうと期待しています。

病院へ行くほど元気がないというか、身体の置き場所がないというか、また微妙な状態です。

ロキソニンを貼り替えてもらいましたら、右側が黒ずんできているそうです。

ということは、転倒する時、少し傾いていたということらしい・・・・・ということは頭をもろには打たなかったようです。

少しムチ打ち状態かなと思ったりしましたが。

どちらにしても、年したら転ばないことですね。

これが4~5年先だったら骨折していたかもしれません。

 

夫に家事を任せてベツトの中でテレビ三昧です。

それにしても・・・・・こんなに還流ドラマやっているって知りませんでした。

もちろん見ません、

ズッと続けて見たくなったら大変だから(笑)

サスペンス物と「相棒」と「科捜研の女」を拾ってみています。

本を読む体制がだめにんです、まだ。

今ロキソニンを貼り替えたから、ちょっと元気

それではまた。

お読みいただきありがとうございました。

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