旅先物語の3

2007年11月30日 | 
 台湾には老人と就学前の子供には保険が無かったから、10年ほど前に保険が導入された時に、定年が一律60歳になった。私がガイドの未来・現代・過去の動詞がごちゃ混ぜの話の中から推して察したことの一つだ。保険制度はともかく、老人人口が10%というからまだ若い国だ。

 パチンコ・競馬は禁止という台北は、いかにも(?)健康的だ。60歳からどう時間を過ごすのかと、人事ならぬ気になるところである。
人口密度は非常に高い。住宅も1戸建てなんてほとんど考えられないから、畑仕事なんて論外だ。
 年金はない(全員ではない)が、65歳以上の人に5年前から、月3000元(日本円で約10000円)は出るようになったそうだ。

 お金をあまりかけないで時間を潰す。台湾はカラオケブームだ。それも日本の歌が多い。公園やお寺の一角が開放されていて、あちこちでカラオケを日中楽しむ人が目に付いた。(いや耳に付いた。)
 カラオケボックスも多いようだ。古いホテルをカラオケボツクスに改造している例もあるという。

 ホテルでテレビを見ていたら、50代の女性の就職難の話だった。教育訓練を受けた彼女が仕事が欲しいとアピールしていた。台湾の漢字は中国のように略字にされていないので、見ると不思議に納得してしまう。
 いまや中国本土に100万人働きにいっているという。これは人口の5%弱だ。
若者が中国や都市部に集中しているからか、地方の農地の荒廃が目についた。
どこもかしこも、悩みは同じかもしれない。

 日本で3Kと呼ばれる仕事に、タイ・フィリッピン・インドネシアから30万人来ているという。その他に老人の介護とメイドに5万人の女性。ガイドのお宅のメイドはインドネシアから来ていて、92歳の親の介護を終えた後は、引き続き小さい孫の面倒と家事一切で、月8万円で食事と個室付き。相場は6万円から8万円。

 国際化ということは、こういうことも言うのだろう。そんなに遠くない我が年代の介護をささえるのも、案外そうかもしれない・・・・・と予想した。

                           依田 美恵子
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ユニットバスのカガミ

2007年11月29日 | 住まいづくり
 お客様と設備の打ち合わせをしているのが、デスクで仕事をしている私にも聞こえてくる。ユニットバスの中のカガミで話題は盛り上がっている。

 ショールームでよく見かけるのは、カガミを使って広さと開放感を感じさせるタイプ。それはバスを使っていない時の話で、入浴する時は湯気で見えなくないかしら。

 我が身体を眺めてナルシスト気分には成れない私は、カガミは最低限でと思っている。男性は髭剃りするので是非必要という。

 それもあるが一番は掃除なのだ。同じように汚れたとしても、カガミは目立つのだ。火山地帯のこの地は水道水にもカルシュウムが多い。だから水分が残っていると白いあとが残る。これが落ちない。

 この白いあとがストレスになるのである。対策は濡れたままにしないこと。
一人暮らしで自分だけならこれは可能。これを家族に求めることは不可能だ。
 入浴は脳波が日常の緊張しているベータ波から心身ともにリラックスしたアルファ波の状態になると言われる至福の時、そんなこと言えないから自分の時だけ。
 カガミと入口のドアガラスとバスの縁だけはタオルでふき取る。夏は窓を開け、冬場は乾燥機を回す。まぁー気休めみたいだけど。

 カガミ以外のところも同じようになっているけれど、カガミほどには気にならないから、ストレスが溜まると言う人はカガミ面のボリュームを減らした方がベター。
 
 お風呂はアルファ波のためとして、白いあとは消耗品と割り切るのも一つの手かもしれない。
                         依田 美恵子
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旅先物語の2

2007年11月28日 | 
 「母ちゃんせっかく行ったのだから、おいしい物を食べてくれば良かったのに」とは、旅から帰った翌朝の私の感想から推した夕食時の母の言葉である。「えっー、そんなこと言ったのかしら」と思いつつ、「とてもいい旅だったわ」という言葉がなかったかららしい。

 20数年前に台湾に行った母は「とてもおいしい食事の旅」だったと常々話していたが、その当時の半額である最近のツァーにそれを望むほうが無理ということかもしれない。しかし豪華と味は別問題だと思う。

 ツァーの食事の夕食は捨てなさいは、邱 永漢著「中国の旅、食もまた楽し」のお勧めだ。ツァーの夕食など日本円で1000円から2000円位しかかけていないような気がする。せっかく時間とお金をかけてきたのに、ドライブインみたいな所で、プラスチックのお皿にどうみても素人が作った味とくれば、寂しくなってしまう。

 夕食は海鮮料理という日、ガイドに聞いてみた。「お客様の声を会社に上げるということがありますか」「いいえありません。JТPはお客様にアンケートをとっていますから」とのこと。「今夜の夕食は昨夜や今日のお昼と同じグレードかしら?」「大丈夫です、追加も出来ますから」「でもねー、品数ではなくて味の問題だから・・・・」と念を押したのに・・・・・。

 ガイドと運転手が食事が終えたのを見て、ホテルに送ってと依頼。テーブルを見たガイドがやっと意を察した。「JТPはこのツァーの食事にあまりお金をかけていません、」とようやくまともなレストランに案内してくれた。
味は天と地ほど違うが、地元の人の行くレストランだから価格は安い。
最初から意を決して言えばよかったのに、なまじ個人ツァーみたいになってしまったからいけなかった。

 実をいうとツァーに申込みして、現地に行くと私たちだけというのを、3回続けた。ガイドがお客様が減ってと嘆いてもいた。でも食事もJТPの社員が現地で試して決めていますとガイドが説明するメニューで3食続けて「マーボー豆腐」が出てきた旅には、二度と行くものかと思ったものだ。(日程がとれない旅ではついつい頼んでしまう)。出会うどのツァーも少人数だ。かっての団体とは変わってきているのに受け入れが同じでは、リピーターは増えない。

 ただ料金は安くなってきているから、旅に何を求めるかによって選ぶということなのだろう。

 後半はちゃんと自分で選んで納得して食べましたよ。やっぱり台湾は食のおいしい所ですよ。

 細切れにしか書けなくて残念です。・・・3時間書かせてくれれば・・・・。

                              依田 美恵子
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イルミネーション2007

2007年11月27日 | 日々のこと
我が家の庭に「イルミネーション2007」が点灯されました。

新しい仲間(バンビ)も増えました。

素人のイルミネーションでお恥ずかしいですが、(主人が苦労して造りました。)
お近くの方は見にお出かけください。佐久市安原

写真は一部です。もう少し派手に光っています。

現在建築中のお客様が当社の仮住まい住宅にいらっしゃるのですが、初めて見られて「すごいですね!感激しました。孫をつれてきます。」と喜んでくださいました。

      中島みゆき
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街からネオンが消えないのはなぜ。

2007年11月27日 | 日々のこと
 成田へ向かう深夜の車窓から街を眺めつつ、こんなに油が騰がったのに街の灯を少なくしようという話が出てこないのが不思議な気がした。

 昭和49年のオイルショツクはちょうど今頃だった。銀座のネオンも調整され、デパートも30分閉店が早められ、ガソリンスタンドの日曜営業が中止された。
油が無くなるという危機感が強かったが、実際のところはそうでなかった。その当時のことは堺屋太一著の「油断」を読むとよく解かるが。
 
 ちょうどその頃結婚を控えていた私は、人生の先行きに明るさが見えない憂鬱な気持ちだった。結婚式さえ夫の職場の関係で思うようには進まなかった。当時夫の父が「時代が変わっても、役所の方針が変わらないなら」と念を押したほどだった。・・・・基本的には今でも夫の職場では続行しているようだが。

 原油価格が騰がり始めた1年半程前、先物取引の営業が来社した。うっかり電話に出た会長が断りきれなくなって、「断って」と私にカードを投げて起こした。会ってみるとこれが大学を出たばかりの、とてもいい子なのである。自分の自己紹介がユニークであった。普通大手の証券会社でも損失が出ると、たちまち担当者が変わりましたなんて、地団太を踏んだなんて思いをした方も多いだろう。

 彼は父親が東北の開拓地で農業をし・・・・それが農業にとっていい時代ではなかったから・・・・大変だっただろう・・・・そして今、黒豆豆腐を作っているという新聞記事のコピーを見せてくれた。1丁1000円弱だつたような記憶がするが。
しっかりと自分のルーツを話し、自分は騙して逃げ出すようなことをしませんとアピールした訳である。・・・むこうが1枚上手で、こうやっておばさんは騙されるのかもしれない。

 原油価格の動向と先物の仕組みと、いかにリスクを回避するかの説明をしてくれた。現金で350万預けると・・・・と先客から預かった現金をも見せてくれた・・原油がこの位上がると、半年ではこの位と私には大金と思える数字が提示された。リスクは?。大手の商社と連動をしているからとか、・・・・・この当りから熱を入れて聞いていないから正確な記憶がない。

 とってもありがたいお話なのだが、会長の主義主張は「汗しないものには手は出さない」ということなので、来社までしてもらって本当に申し訳ないと謝った。
(本当にもう、こんな役私に振らないでほしいわ・・・と思いつつ。)

 ついてはおなたのお父さんのお豆腐をいただくことで勘弁してほしい、と許しを請うた。

 後日届いた高価なお豆腐の作り手である彼の父に、息子さんの感想を手紙で差し上げたところ、ご返事をいただいた。就職難の折息子が決めてきた仕事に不安を感じたが、上司が泊りがけで話に来てくれたという。その話が信じられたから息子を預けたと。・・・・本当にいい子だった。本人からいただいた手紙は事務所でも家でも回覧された。その後電話が1度来たが、その気がないのでお豆腐だけで勘弁してね、と断った。

 あれ以来、原油価格の高騰の数字を見るたびに私たちは大金持ちには縁が無いと笑ってしまう。
会長の「汗しないものには手を出さない」という信念が、我が社を支えている。あのバブルの時でさえ、その方針で過ごしたから、おかげで重い荷物を背負うことなくここまできている。

 この原油高の大きな要因はマネーゲームだと確信できる。需要と供給のせいならば、世界中の街からネオンも消えるだろう。大きな問題になっているサブプライムローンもしかりだ。マネーがマネーを呼ぶ、このペーパーマネーが世界を揺るがし始めている。
 
                          依田 美恵子
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旅先物語の1

2007年11月26日 | 
 帰ってきました。非日常でたっぷりの時間の日々を過ごすと、どうして?なぜ?が突然に頭を持ち上げてきます。あまのじゃくなんですね

 まったく下準備なしのぶつつけ本番です。2年前のゴールデンウィークに息子夫婦と4人で計画したのに、申込みした日に移動の内示をうけた夫に、「考えてみたらあなたをおいていけばいいのよ」という超すばらしい発想で置いてきぼりをくった夫のための台湾でした。

 そう言いつつもしっかりと台北に花蓮と高雄をプラスしてしまいましたが。
台北の空港は2年前と名を変えていました、(これも選挙の結果のせい?・・・あちこちで蒋介石の像が壊されていましたけど)についてみると、やっぱりツアーの同行者はなし。

 ここしばらくの間、ツアーで申込みをしても個人旅行みたいになってしまうのが、3回ほど続く。これがラッキーなのかアンラッキーなのかは様々。

 運転手とガイド付きだが、所詮安いツアーはお土産屋めぐりと免税店が必須、断ることは出来ない。これがないツアーは料金が倍になるらしい。
それでも要らない観光と時間を繰り上げることはできる。曇空なのにこは夕日がすばらしいスポットでなんて言われて待つほどのロマンは持ち合わせていないのでパス。

 空港から直のお土産屋さん行きは罪だ、現地の物価の感覚がつかめない内だから手を出さないが無難。・・・・同行者がいると、誰かしらが買うからいいんだけど・・・。

 少し前から洗面所の洗面ボールが陶器やガラスで台に乗せたようなのが流行ったではないか。これが実に多かった。レストランも空港までが。しかし機能的ではないような気がする。使った時水が周囲に余計飛ぶような気がする。・・・そうそう最新式の直線タイプの洗面台ももう使っているところがありましたよ。

 当然使った後は拭くことを前提にして作られているものだと思うが、場所が場所だと、嫌な思いをさせられる。不思議な程にペーパータオルがついている。だから手を拭いた後のペーパータオルで周囲を拭けばこんなにはならないのにと思う。

 今のところ世界で一番高いビルといわれている101ビルのトイレで、ペーバータオルで使った後を拭いていたら「謝謝」と声をかけられた。・・・・おそうじのおばさんだった。

 家庭のキッチンもそうだが洗面所も使ったらすぐ拭くというのは、掃除以前の鉄則である。専用のタオルを置くというのも手なのだが、置きっぱなしはかえって不潔、色タオルはそれに使うと決めてその日ごとに洗濯をすれば気持ちがいい。
ついつい旅先の洗面所の水廻りを拭きまわった旅行だった。
                        美恵子
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浅科村 五郎兵衛新田

2007年11月25日 | 住まいづくり
ご存知ですか?
標高600mの五郎兵衛新田で有名な旧浅科村は、長野県東部に位置する佐久しらかば地区です。昼夜の寒暖差が激しい内陸性気候と蓼科山から湧き出る源泉水、そして強粘土質に恵まれた土壌が素晴らしい好食味米を育てるところです。

23日に旧浅科村(佐久市)で上棟式が行われました。

お施主様は、現在浅科に住んでいらっしゃいませんがご実家を建替えされました。

ご兄弟の皆様が集まれるようにと大きな家を計画され、

居間の勾配天井には、ご実家に使われていた懐かしい梁が磨いて取り付けられました。

棟の上がった立派な家をご覧になり、出来上がるのが楽しみですと仰っていました。

家造りに参加させていただいている私も楽しみです。

           中島みゆき
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軽井沢追分にて上棟式

2007年11月23日 | 住まいづくり
11月17日は軽井沢追分で上棟が行われました。

当日はお天気が心配されましたが、晴天で青空に雪化粧した浅間山が映え、周りの紅葉も素晴らしく、素敵な上棟日和になりました。

横浜からお施主様がお越しになり、無事上棟ができたことを喜んでいただきました。

お施主様のご挨拶をお聞きして、工事に係わるもの皆でお施主様の思いをしっかり造り上げなければいけないと深く感じました。


写真には見えませんが、浅間山がお庭から見える素敵なところですよ。

                              中島みゆき
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たまには主婦・・・漬物指南です。

2007年11月20日 | 料理
 恒例の野沢菜漬けです。土曜、日曜の夜で110キロ漬けました。漬物デビューして3年目(あら4年目かしら)の新米主婦はレシピをどこにメモしたのかも忘れ、3%の塩加減頼みでつけました。・・・・・まぁいいか・・・・昨夜日記をつけながら前年を見ればそこにレシピが・・・・まあ何とかなるか。

 今年は暖かったので、虫がいるんです。だから用心棒が必要で、ひたすら丁重に退治をお願いして・・・・本当は泣き出したいレベルなのを・・・・おばさんになったからひたすら我慢をして。

 信濃毎日新聞の家庭欄で「大根を使った3品」が紹介されていた。これが最近にないヒットだったのでお試しください。

 大根の葉は茎と葉にしごいて別々にする。茎は細かく刻み、2%の塩を振り暫く置いた後、水で洗いしっかり搾って、同量のみりんとしょう油をまぶして保存、冷蔵庫で1週間保存可能。白いごはんにのせても・千切り大根にのせてもおいしいです。

 葉は少しの油でいためた後、みりんとしょう油を加えて煮詰めるだけ。しょう油とみりんは同量が基本。

 大根は皮を剥かずいちょうぎりにして2%の塩をして、1日置き、水分をよく搾りざるに広げて1日か2日、天日に干し、これを生大根1㌔に対してしょう油100cc、みりん60cc、砂糖大匙3を混ぜた中にいれ、冷蔵庫で1年間保存可能。すぐ食べるなら、下漬けの塩と天日に干す時間を加減。

 この漬物の特長は、茎と葉に分けることとみりんを使うということ。

みりんは本みりんを使ってください。みりんはアルコール度がお酒と同じですが、みりん風はアルコール度は1%位(正確の数字ではなくてごめんなさい)なのです。本みりんを使うと同じ料理でも、腕が上がったかなと思いますよ。

 明日から今週いっぱい休暇をとります。脱日常が目的の下準備なしの旅行です。

 きっと珍道中間違いなしですね。それではいってまいります。

                        依田 美恵子

 ブログ送信したら・・・・入らなくて消えてしまってこれもそうならないことを祈って。

 
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フィギュアスケートにデビュー・・・・したい夢

2007年11月19日 | 日々のこと
浅田真央ちゃんのフィギュアを見て、スケートを始める子供たちが増えたという話を聞いた。なにを隠そう私もだ。もっとも始めたわけではない。始めたいと思っているところだ。

 長野オリンピック時はそれなりに関心があったが、その後はスケート場も閉鎖になり、私の秘かな夢も実現を見ない雰囲気であった。先日軽井沢スケートセンターなる文字を見て、あらーあるんじゃない、ということになった。

 私たち世代は田んぼリンクでスピードスケートで大きくなったから、誰でも当然滑れるのだ。私は他の運動はからっきしダメだが、スケートだけは大好きなのだ。
しかしこの10数年滑る機会がないままにきている。真央ちゃんがデビューした頃から私は秘かに夢みていたのだ。

 スピードスケートとフィギュアでは随分ちがうのだ。ジャンプもクルリはとても手も足もでない。私ののやりたい事、バックしていくこと、つまり後ろ向きに滑ること。・・・・簡単そうじゃーん・・・・かしら。

 赤いコスチュームに身を包み・・・・案外ジャージだったりして・・・・。

 なんとかの手習いが私の夢。もうそこまで後何年というところかな。
歳が加わるのが楽しくなりそうな夢でしょう。
 
 何とかの冷や水と言われそう・・・・足の骨折るなって・・・・大丈夫よまだ寝たっきりになる歳でもないんだから。

                            依田美恵子
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