内山 節氏の20世紀的世界の総決算

2008年12月08日 | 読書
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お会いする誰もが、この閉塞感の漂う最近の日々を憂いている。麻生さんならずとも、この打開策があろうかと悩んでしまう。マスコミの朝から晩まで不景気話を繰り返し放映するのもいかがなものかと思う位だ。朝夕しかテレビの前に座らない私はともかく、一日家にいる家人は、何倍もの不景気の話を聞いている事となる。

 「困ったいな、困ったいな」と言われる度に「何か困っていますか?」と聞き返す。よく考えれば・・・・家人には実際は何一つ困ったことはないのであるから。
この不景気だというムードがいっそう世の中の購買を落し悪循環になっているのである。

 12月6日の信濃毎日新聞の「内山 節」氏の「風土と哲学」の102回目は、最近の世の中の事情を哲学的な視点で、それをやさしく解説してくれた。
久しぶりに現代が解明された気分になったのでご紹介しよう。

「私たちはいま、20世紀的の総決算を迫られているような気がする。近・現代史の総決算、と言ってもよいかもしれない。そんな思いをいだかされるのは、近代以降の人間たちがつくり出した仕組みが、次々に機能しなくなってきているからである。市場経済にもガタがきている。しかもそれを生み出した原因は、単なる不況や過剰生産ではなく、今日の市場経済の仕組み自体が、市場経済を瓦解させるという事態になっている。みずからが、みずからを破壊しているのである。」
 
 つづいて「世界最強のアメリカがイラクでも、アフガニスタンでも勝てなくなった現実・・・先進国による軍事的な世界管理が不可能になったことを示している。
環境や資源の問題・・・私達の社会の存続に黄信号をともしている。
かって理想として描かれた近代社会がボロボロになっている。人々はお互いを無視し合う社会がひろがり、人々は自分の生きる世界がしだいになくなっていくかもしれないという不安をいだいている。」

 以下・・かってに要約
 現在の状況の比較としてよく話題になる1929年の大恐慌の時代だが、その当時人々は自由や民主主義を本気で信じていたし、社会主義という未来に希望をいだく人も大勢存在していた。進歩や発展に疑いをいだいていなかった。・・・明るい未来がくることを信じていた。

 しかし今未来に向う時間が、明るい希望ではなく、少しずつ締め付けられていくような予感とともに展開している。

 「すべてが無事でなくなっていくような予感。現在とはこんな時代である。死後に切実な未来を感じた伝統的な精神はすでになく、代わりに求めた現実世界の発展も信用できなくなった。・・・中略・・・・私達の社会に不安と無力感がひろがつていく。こんな状況をみていると、私にはひとつの時代が総決算の時を迎えているとしか思えない。市場経済や国家の側にもこの事態をたて直す力はなく、私たちの側は未来をつくる想像力をうしなっている。」

 あー、なんと明快に言いきるのでしょう。・・・胸に落ちちゃいますよね。
でもこれで終わったら救いようがありません。続きます

 「だから私たちは問いつづけなければならないのである。無事な自然と人間のあり方をつくりだすにはどうしたらよいのか。無事な社会をつくるにはどうしたらよいのか。無事な世界はどうしたらつくれるのかを。」

 長くなりました。読むのもお疲れでしょうから、続きはまた。氏のシリーズも続きそうです。

                      依田 美恵子
  

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全身が震える衝撃と感動

2008年12月08日 | 読書
 
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今日は12月8日です。昨夜NHKの「最後の戦犯」を見ました。戦後生まれの私は聞くことにでしか戦争を理解していません。だから時々とんでもない真実や事実を知ることとなります。

 古い話になります。高校3年の頃、ТBS系の「JNNニュースコープ」でキャスターを務めていた「田 英夫」さんの番組を見た時のことです。その時「ベトナム戦争」の取材しての放映でした。

 今ではニュースキャスターが自分の意見を言うなんて当たり前のことなのでしょうが、当時そんな雰囲気はまだ無かった時代です。

 テレビの前を通りすがりに、目を留めた私は、そこで今まで知っていたつもりとは全然違う「ベトナム戦争」を知ったのです。
 
 全身がガタガタと震え上がったのです。

 田さんはその報道が原因で、ニュースキャスターを降板され、ТBSを辞め、政界に進出しました。

 全身がガタガタする感動をもう一度味わいました。卒業後、ダブルスクールのやり残しを続けていた私は、父の電話1本で故郷に帰りました。十分覚悟していたことですが、心中にはまだどうしてもあきらめきれない夢を抱えていました。今なら新幹線で1時間です。週に何回か通うことなど簡単なことですが、当時は簡単なことではありませんでした。

 秋になって地元の信用金庫の「杉の子会」の全国大会にピンチヒッターとして参加する機会がありました。杉の子回は働く若い人の会でした。
 なんの気なしに出席した名古屋での全国大会で、1人の青年の意見発表を聞きました。自動車の修理工の人のひたむきな生き方が、私の琴線にふれたのです。全身がガタガタと震えはじめて、どんなに押えようとしても、歯を食いしばっても止まりませんでした。

 私はその人の生き様をに、地に足が付いていない生き方をしている自分を恥じたのでした。生きていく事、生活していくと言う事は、とっても地道なものだと気が付いたのです。

 それ以来、再び上京するという夢に封印し、日々の生活に心して、プロの仕事人になろうと決意をしたのでした。

 これはピュアな時代の私でした。全身が震える衝撃と感動に出会ったのはこの2回です。それはそれなりに私の人生を変えたのだと思います。

 昨夜のテレビを見ながら、思いが随分飛びました。


                       依田 美恵子
  

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