カラッポのバスとボランティア運転手

2009年10月10日 | 日々のこと
田舎は車社会だ。時代の波と言っては身も蓋もないが、個人商店はほぼ廃業においこまれた。

 2000年になれぱ、ネットでの買い物が多くなるわよ、なんて確かその数年前に聞いた。確かにネットでの買い物も増えたことも確かであるが・・・・問題は車もパソコンにも縁のない高齢の核家族世帯である。

 高齢化社会の到来と危惧されてはいたが、高齢化以上に周囲の環境の衰退の方が速かったかもしれない。確か10年前までだったら、歩いていける範囲に商店もあったかもしれない。

 高齢化といえども、90歳の長寿を全うできる人の数もめずらしかったが、いまや90歳は当たり前の時代となった。

 介護保険があるとはいえ、普通に暮らすお年寄りにとっても、お医者通いは日常茶飯事のことである。日本中で一番医療費の低いこの地でさえもだ。

 地域の足ということで、以前より多少小さめのバスが日に何回か走っている。
このごろ何気なくそのバスを見ているのだが・・・・運転手さん以外の人が乗っているのを見たことがない。

 電車にしても、バスにしても廃止となると、「反対!!」という声を聞く。反対ならば乗るのか思えば乗るわけでもない。「足のない人に」「地域の足」とか言うと確かに耳障りはいいが、現実との乖離を直視する時期ではなかろうかと思うのだが。

 バス会社の赤字を行政が補填しているはずだ。その補填金額の何割かで、本当に必要な人にストレートではいけないだろうか・・・・と。

 そんなことを思っていたら、先日、信濃毎日新聞の「国際通信、信州へ」のコラムで長野県出身のスイス在住の「ベック・岡村いずみ」さんが書いていた。

 スイスの赤十字団体がボランティアの運転手を募集し、空き時間を利用して身体障害者や高齢者、病気の人を病院やリハビリ施設へ送迎するのだという。
 スイスにはこうしたボランティア運転手が役7.000人いる。希望者は講習をうけ、その大半は退職者や主婦だという。

 運転手が自分の所有する車での送迎が無理な場合は、会が所有する障害者用の車が使われる。運転手に報酬はないが、ガソリン代が利用者から払われる。

 最初は不安だと思ってはじめたという義理のお父さんが、3年も続けられたのは「喜んでもらえるから。高齢者には1人暮らしで孤独な人も多い。送迎中にいろんな話が咲く」と話されたという。

 3年前に教員を定年退職した際「急に何もすることが無くなるのでは」という不安をいだいたが、今は生活にめりはりがあり、社会の役にたっているという充実感が得られたという。・・・・それがボランティア活動の原動力だ、と結んであった。

 日本の社会の中でここ50年の間に急速に失ってきたもの・・・・地域の中のおもいやり・・・かもしれない。他人の生活に踏み込むことも少なくなったが、見ぬ振りをすることも多くなったのかもしれない。

 今、道を歩いている人を、車に乗せるということも無くなった・・・・もっとも歩いている人がいないけど・・・・・事故で怪我をさせたら恐いから・・・・こういう時代に、このスイスのボランティアを日本に簡単に持ち込めるかわからないけど、今有り余る団塊世代のエネルギーをうまく使わなければ、日本の先はあるまいと思うのだ。

 何でも行政・行政では・・・・国債の残高が減るとは思えない。

 できることはやろうという意識が今必要なのだと思う。佐久には「おてんま」という今は死語に近い、地域全員で行なう共同作業をいう言葉である。

 「おてんま仕事」そんな言葉が頻繁にきかれるような世の中になればいいなー。
依田 美恵子

    軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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