昭和30年代にピアノブームがあった。このころ、かなりの家がピアノを購入した。
当時の日本家屋にはピアノは重かった。それでも高度成長時代の始まりは、庶民にピアノを買わせた。鉄筋コンクリートのアパートが次々と建てられ、ピアノの重さで家が曲がるということはなかった。
少女はみなピアノを習った。当時、アメリカ人やフランス人は、わが国の少女の多くがピアノを弾けることに驚いていた。(外国では一部の趣味人がピアノをやるだけだった)。
でも、ピアノは戦前から上流階級は持っていた。庶民がそれをマネしたのが昭和30年台だった。
豪邸からピアノが聞こえることがあった。弾いている人は男性だった。幼い私は驚いた。こういう階級があるのだと思い知った。
民家からピアノの音が聞こえるのは、なにかほのぼのとした感じになった。だが、それはバイエルだった。もうちょっと上手いとしばし聴き入った。
それより前から、邦楽をやる家があった。三味線の音がぽつんぽつんと聞こえる。むろん、木造住宅である。これがまた良かった。
邦楽も捨てたものではないと思った。ピアノより情緒があった。
あるとき、学校帰りにすばらしい三味線を弾く家に出会った。ものすごく上手いのである。少年の私は、その家の前にたたずんで聴き入った。
あまり立派ではないその民家の表札には「杵屋」と書いてあった。
当時の日本家屋にはピアノは重かった。それでも高度成長時代の始まりは、庶民にピアノを買わせた。鉄筋コンクリートのアパートが次々と建てられ、ピアノの重さで家が曲がるということはなかった。
少女はみなピアノを習った。当時、アメリカ人やフランス人は、わが国の少女の多くがピアノを弾けることに驚いていた。(外国では一部の趣味人がピアノをやるだけだった)。
でも、ピアノは戦前から上流階級は持っていた。庶民がそれをマネしたのが昭和30年台だった。
豪邸からピアノが聞こえることがあった。弾いている人は男性だった。幼い私は驚いた。こういう階級があるのだと思い知った。
民家からピアノの音が聞こえるのは、なにかほのぼのとした感じになった。だが、それはバイエルだった。もうちょっと上手いとしばし聴き入った。
それより前から、邦楽をやる家があった。三味線の音がぽつんぽつんと聞こえる。むろん、木造住宅である。これがまた良かった。
邦楽も捨てたものではないと思った。ピアノより情緒があった。
あるとき、学校帰りにすばらしい三味線を弾く家に出会った。ものすごく上手いのである。少年の私は、その家の前にたたずんで聴き入った。
あまり立派ではないその民家の表札には「杵屋」と書いてあった。