医学博士はやさしいと何度も述べた。そんなに簡単なのかといぶかる向きもあろう。
論文をかけない人はどうするのか?外国語ができない人はどうするのか?等々の疑問が出てくることだろう。
私のころは外国語試験は2ヶ国語だった。英語とドイツ語で受ける人が多かった。でも、今や教授連でもドイツ語ができる人は少ない。論文はみな英語で書かれるようになってしまった。当のドイツ人が英語で論文を書いている。だから、現在、わが国では学位の語学試験は英語だけである。英語が全然できない人は、そもそも医学部に入れない。
論文を書けない医者は多い。そこで教授の出番である。教授になるには論文をたくさん書かなければならない。だから、教授は論文を書くのがうまい。
学位を取りたい医者は、中学生の作文のような論文を教授に手直ししてもらう。ここに問題の「謝礼」が生まれる余地がある。直してもらうのはまだいいほうで、ほとんどを教授に書いてもらうケースさえある。こうなったら、「謝礼」を出さざるをえないだろう。
で、次なる段階は、その論文を学術誌に掲載することである。学術誌にはジャッジ(掲載するに値する論文であるかどうかを審査する人)がいて、掲載するか、手直しさせて掲載するか、ハナから掲載しないかを決める。
掲載されて初めて教授会の審査に回される。
では、どこの学術雑誌からも掲載を拒否されたらどうするのか?じつは抜け道がある。それについてはまた次回。
論文をかけない人はどうするのか?外国語ができない人はどうするのか?等々の疑問が出てくることだろう。
私のころは外国語試験は2ヶ国語だった。英語とドイツ語で受ける人が多かった。でも、今や教授連でもドイツ語ができる人は少ない。論文はみな英語で書かれるようになってしまった。当のドイツ人が英語で論文を書いている。だから、現在、わが国では学位の語学試験は英語だけである。英語が全然できない人は、そもそも医学部に入れない。
論文を書けない医者は多い。そこで教授の出番である。教授になるには論文をたくさん書かなければならない。だから、教授は論文を書くのがうまい。
学位を取りたい医者は、中学生の作文のような論文を教授に手直ししてもらう。ここに問題の「謝礼」が生まれる余地がある。直してもらうのはまだいいほうで、ほとんどを教授に書いてもらうケースさえある。こうなったら、「謝礼」を出さざるをえないだろう。
で、次なる段階は、その論文を学術誌に掲載することである。学術誌にはジャッジ(掲載するに値する論文であるかどうかを審査する人)がいて、掲載するか、手直しさせて掲載するか、ハナから掲載しないかを決める。
掲載されて初めて教授会の審査に回される。
では、どこの学術雑誌からも掲載を拒否されたらどうするのか?じつは抜け道がある。それについてはまた次回。