院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

テレビが家に来た日

2008-02-01 08:29:07 | Weblog
 わが家にテレビが来たのは、私が小学校4年生、死んだ妹が小学校1年生のときだった。

 妹と手に手をとって喜んだ。これまでにも近所にテレビがある家があった。私たちは、小さくなってそのテレビを見に行かせてもらった。「チロリン村とくるみの木」、「スーパーマン」などは、近所の家で見た。

 それらが自由に見られると思うと心が踊った。むろん白黒テレビである。「パパはなんでも知っている」というアメリカのホームドラマに、アメリカってなんて裕福なんだろうと、ため息をついた。

 なんてったって家庭に冷蔵庫があるんですよ。スーパーへ車で買い物に行き、1週間分の食べ物を買って来るんですよ。貧乏なわが家は仰天した。(もっともテレビが買えたくらいだから、そんなにひどい貧乏ではなかった。日本全体が貧乏だったのである)。

 クラスに一人だけ自家用車を持っている家の子がいた。K君というとても人の良い子だった。ある日、招かれてK君の家に行って驚いた。豪壮な大邸宅なのだが、客間の天井が高く、大理石の池があって、そこから噴水が出ていた。噴水の脇には同じく大理石の等身大のビーナスのような彫刻が立っていた。

 今、室内に噴水や彫刻がある家がどれだけあるだろうか?昔の金持ちは今より金持ちだったのだ。格差社会と云々されているけれども、昔はその比ではなかった。

 それから6年後にはもうカラーテレビが出ていた。長足の進歩である。

 妹はカラーテレビを見ることもなく、小学校6年生で病気で逝ってしまった。少年だった私には妹の死という体験は重すぎた。私も80歳の母も、いまだに妹の話をする。