30年前、わが国で自動車が一般的になったころ、ムチ打ち症というのがはやった。
猫も杓子もムチ打ち症。巷の整形外科医院では首を牽引する人が、ひきも切らなかった。
当時、自動車に追突されるとムチ打ち症になるという風聞が流布され、追突された人は、ほとんどが自分はムチ打ち症になったと信じた。整形外科医も信じていた。
だが、精神科医はすでにムチ打ち症は神経症であると分かっていた。自転車で転んだり、別の原因で事故に合った人はムチ打ち症にはならないというのは、いかにも不自然だった。
軽くコツンと自動車に追突されただけで、被害者はムチ打ち症になったと嘆き、体の不調を訴えた。それはひとつの「はやり・流行」だった。
精神科医と旧通産省の役人だけが、ムチ打ち症は本当の障害ではないと分かっていて、通産省は「座席に枕をつければムチ打ち症にはならない」と大宣伝をして、車の座席に枕を着けることを義務付けた。
そうしたらムチ打ち症は激減した。通産省の役人はホントに頭が良かった。あまり役に立たない枕を付けさせて、ムチ打ち症を撲滅した。
今でも車の座席には枕が義務付けられている。ほとんど意味がないが、昔の名残である。
ムチ打ち症の症状は漠然としている。なんとなく頭が痛いとか、なんとなくダルいと言った程度である。昔はそれを追突のせいにして、膨大な医療費が使われた。
繰り返すがムチ打ち症は神経症である。脊髄に損傷を受けているわけではない。コツンと当たっただけで損傷を受けるはずもない。
ただ、本物のムチ打ち症というのはある。ただしそれは、意識不明になるほどの強い衝撃を受けた場合にしか起こらない。
未だにちょっと追突されただけで「軽いムチ打ち症になった」という人がいるが、「軽いムチ打ち症」なんて存在しない。本物のムチ打ち症というのはもっと重篤な障害であって、「軽い」なんていうことは、ありえない。
30年以上もたって、まだムチ打ち症という言葉だけが残っている。
猫も杓子もムチ打ち症。巷の整形外科医院では首を牽引する人が、ひきも切らなかった。
当時、自動車に追突されるとムチ打ち症になるという風聞が流布され、追突された人は、ほとんどが自分はムチ打ち症になったと信じた。整形外科医も信じていた。
だが、精神科医はすでにムチ打ち症は神経症であると分かっていた。自転車で転んだり、別の原因で事故に合った人はムチ打ち症にはならないというのは、いかにも不自然だった。
軽くコツンと自動車に追突されただけで、被害者はムチ打ち症になったと嘆き、体の不調を訴えた。それはひとつの「はやり・流行」だった。
精神科医と旧通産省の役人だけが、ムチ打ち症は本当の障害ではないと分かっていて、通産省は「座席に枕をつければムチ打ち症にはならない」と大宣伝をして、車の座席に枕を着けることを義務付けた。
そうしたらムチ打ち症は激減した。通産省の役人はホントに頭が良かった。あまり役に立たない枕を付けさせて、ムチ打ち症を撲滅した。
今でも車の座席には枕が義務付けられている。ほとんど意味がないが、昔の名残である。
ムチ打ち症の症状は漠然としている。なんとなく頭が痛いとか、なんとなくダルいと言った程度である。昔はそれを追突のせいにして、膨大な医療費が使われた。
繰り返すがムチ打ち症は神経症である。脊髄に損傷を受けているわけではない。コツンと当たっただけで損傷を受けるはずもない。
ただ、本物のムチ打ち症というのはある。ただしそれは、意識不明になるほどの強い衝撃を受けた場合にしか起こらない。
未だにちょっと追突されただけで「軽いムチ打ち症になった」という人がいるが、「軽いムチ打ち症」なんて存在しない。本物のムチ打ち症というのはもっと重篤な障害であって、「軽い」なんていうことは、ありえない。
30年以上もたって、まだムチ打ち症という言葉だけが残っている。