前回登場した30年前にポルトガル旅行をした友人が言っていた。リスボンでは、ファドという「死にそうな」歌を聴かせられるぞ、と。
ファドとはポルトガルの民族歌謡で、フランスでのシャンソンのような存在である。日本では暗い歌と理解されている。
カーザ・ド・ファド(ファドを聴かせるレストラン、ライブハウス)というのがあり、私も連れて行かれた。しかし、暗くもないし、「死にそう」でもないのである。
クラシックギターとポルトガルギター2本で伴奏される。私のときは女性が2人出演した。だが、ファドらしき歌は2曲くらいしか聴かれなかった。あとは、ファドとは関係のない民族舞踊(フォークダンス)や、明るい音楽寸劇だった。
フォークダンスは、バスで田舎を通るとき、その村の祭で実際に踊られているのを見た。それと同じダンスをカーザ・ド・ファドでやっていた。踊っている本人は楽しいかもしれないが、見ているほうは、さほどでなかった。
ファドレストランで明るいフォークダンスは場違いな感じがしたが、ファドばかり延々と聴かされても飽きてしまうだろうなと思った。ファドだけでは客を呼べないから、ファドレストランもいろいろ考えるのだろう。30年前とは明らかに変わってしまったようだ。
ファドについては、日本語のホームページまである。日本にも愛好者がいるようだ。以下はそのHPからの引用である。
「Fado には叶わぬ愛、宿命の苦しみなど、限りないメランコリーを歌うものから、軽快な波止場の噂話やお祭りの歌など明るい即興歌謡の面影が残るものまで、幅広い多様性があるのである。中でも特に「我が町リスボア」を歌った歌詞は多く、それらは、我らの町、そこに住む人々の誇りと喜び、人々への愛情に満ちている。 Casa do Fado でこれら「リスボア」の歌が歌われるとき、期せずして観客達の大合唱が起こり、いかに彼らが「我が町リスボア」に愛着と誇りを持っているかを思い知らされる。
Fado は「暗く、悲しく、寂しい、絶望的なもの」ではなく、どんなに厳しいときであってもしたたかに生き抜く庶民の、エネルギーに満ちた力強い歌であるということを、あらためて認識して欲しいと考える。」
どうもファドに対する認識は、日本では別様に伝わっているようだ。
ファドレストランでの料理は、ご他聞に漏れずおいしくなかった。
ファドとはポルトガルの民族歌謡で、フランスでのシャンソンのような存在である。日本では暗い歌と理解されている。
カーザ・ド・ファド(ファドを聴かせるレストラン、ライブハウス)というのがあり、私も連れて行かれた。しかし、暗くもないし、「死にそう」でもないのである。
クラシックギターとポルトガルギター2本で伴奏される。私のときは女性が2人出演した。だが、ファドらしき歌は2曲くらいしか聴かれなかった。あとは、ファドとは関係のない民族舞踊(フォークダンス)や、明るい音楽寸劇だった。
フォークダンスは、バスで田舎を通るとき、その村の祭で実際に踊られているのを見た。それと同じダンスをカーザ・ド・ファドでやっていた。踊っている本人は楽しいかもしれないが、見ているほうは、さほどでなかった。
ファドレストランで明るいフォークダンスは場違いな感じがしたが、ファドばかり延々と聴かされても飽きてしまうだろうなと思った。ファドだけでは客を呼べないから、ファドレストランもいろいろ考えるのだろう。30年前とは明らかに変わってしまったようだ。
ファドについては、日本語のホームページまである。日本にも愛好者がいるようだ。以下はそのHPからの引用である。
「Fado には叶わぬ愛、宿命の苦しみなど、限りないメランコリーを歌うものから、軽快な波止場の噂話やお祭りの歌など明るい即興歌謡の面影が残るものまで、幅広い多様性があるのである。中でも特に「我が町リスボア」を歌った歌詞は多く、それらは、我らの町、そこに住む人々の誇りと喜び、人々への愛情に満ちている。 Casa do Fado でこれら「リスボア」の歌が歌われるとき、期せずして観客達の大合唱が起こり、いかに彼らが「我が町リスボア」に愛着と誇りを持っているかを思い知らされる。
Fado は「暗く、悲しく、寂しい、絶望的なもの」ではなく、どんなに厳しいときであってもしたたかに生き抜く庶民の、エネルギーに満ちた力強い歌であるということを、あらためて認識して欲しいと考える。」
どうもファドに対する認識は、日本では別様に伝わっているようだ。
ファドレストランでの料理は、ご他聞に漏れずおいしくなかった。