私は劇場映画をほとんど見ない。「掴み」がない映画が多いからである。
「掴み」とは、初めの1分で観客を引き込んでしまう力である。劇場映画にはそれがない。小説にはある。漫画にもある。テレビドラマにもある。
小説や漫画やテレビドラマは「掴み」がないと、そこでページを閉じられるか、チャンネルを変えられてしまう。だから、小説家や漫画家やテレビドラマ製作者は、見る者を最初の1行、1分で「掴もう」と出だしの部分には苦心する。
ところが劇場映画は、すでに代金を払ってしまっており、客は座席に括り付けられたままになるから、そのような努力がない。
コマーシャルを延々と流す映画館もある。映画本体も15分くらい見ないとストーリーが分からない。仕方がないから見ていると、やっとストーリーが分かってくるという次第である。
小説家は最初の1行で読者の心を「掴もう」と、冒頭にかけるエネルギーは相当なものだと聞く。本を閉じられれば、それで終わりだからである。
劇場映画製作者もその辺のところを、もう少ししっかりして欲しい。私を劇場まで引っ張っていくような魅力をもって欲しい。
映画館は、映画本体が始まる前のやたらと長い予告編やコマーシャルを止めてほしい。お金を払ってコマーシャルを見せられるのはかなわない。
「掴み」とは、初めの1分で観客を引き込んでしまう力である。劇場映画にはそれがない。小説にはある。漫画にもある。テレビドラマにもある。
小説や漫画やテレビドラマは「掴み」がないと、そこでページを閉じられるか、チャンネルを変えられてしまう。だから、小説家や漫画家やテレビドラマ製作者は、見る者を最初の1行、1分で「掴もう」と出だしの部分には苦心する。
ところが劇場映画は、すでに代金を払ってしまっており、客は座席に括り付けられたままになるから、そのような努力がない。
コマーシャルを延々と流す映画館もある。映画本体も15分くらい見ないとストーリーが分からない。仕方がないから見ていると、やっとストーリーが分かってくるという次第である。
小説家は最初の1行で読者の心を「掴もう」と、冒頭にかけるエネルギーは相当なものだと聞く。本を閉じられれば、それで終わりだからである。
劇場映画製作者もその辺のところを、もう少ししっかりして欲しい。私を劇場まで引っ張っていくような魅力をもって欲しい。
映画館は、映画本体が始まる前のやたらと長い予告編やコマーシャルを止めてほしい。お金を払ってコマーシャルを見せられるのはかなわない。