平成24年5月28日(昨日)の中日新聞朝刊・愛知県版の投書欄に中学3年生の女の子の投書が載っていた。
趣旨は「方言ていいな」「もっと教わって後世に伝えたい」というものである。
方言賛美はマスコミが大好きなことだから、この投書を掲載したのだろう。また、女の子も素直に「方言ていいな」とマスコミの論調に乗せられてしまったのだろう。
方言は東京では蔑視されていた。マスコミが方言賛美をするのは、その反動である。かつ方言が使用されている地域の読者を失いたくないという営業的な理由もある。
一方で、かつてタモリさんが名古屋弁をからかって、「名古屋人は列車が東京に近づくにしたがって、名古屋弁を使わなくなる。えびふりゃーと言わなくなる」と言って受けた。受けたのは本当のことを、そのまま言ったからである。
元来、方言は地方々々の古民具みたいなもので、すなわち日常的なもので、賛美するようなものでもなければ、蔑視するようなものでもない。
マスコミが方言を賛美したときには、「待てよ」と考えるべきである。
妻は生粋の名古屋人で、自宅では名古屋弁を使う。妻の父親に「やっとかめだなも」と言われたときには、意味がわからなかった。「久しぶりだね」という意味である。
趣旨は「方言ていいな」「もっと教わって後世に伝えたい」というものである。
方言賛美はマスコミが大好きなことだから、この投書を掲載したのだろう。また、女の子も素直に「方言ていいな」とマスコミの論調に乗せられてしまったのだろう。
方言は東京では蔑視されていた。マスコミが方言賛美をするのは、その反動である。かつ方言が使用されている地域の読者を失いたくないという営業的な理由もある。
一方で、かつてタモリさんが名古屋弁をからかって、「名古屋人は列車が東京に近づくにしたがって、名古屋弁を使わなくなる。えびふりゃーと言わなくなる」と言って受けた。受けたのは本当のことを、そのまま言ったからである。
元来、方言は地方々々の古民具みたいなもので、すなわち日常的なもので、賛美するようなものでもなければ、蔑視するようなものでもない。
マスコミが方言を賛美したときには、「待てよ」と考えるべきである。
妻は生粋の名古屋人で、自宅では名古屋弁を使う。妻の父親に「やっとかめだなも」と言われたときには、意味がわからなかった。「久しぶりだね」という意味である。