院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

金額に対する感覚

2012-09-24 07:09:49 | 心理
 私たち庶民は千円、一万円の感覚は分かる。定価が千円の品物なら、定価で買うより980円で売っている店で買う。ビックカメラや価格.comが盛況なのも、そのような心理を掴んでいるからだろう。

 百万円の単位になると、あまり日常的ではなくなるが、軽自動車2台がそのくらいの価格なので、まだ分かる。

 一千万円となると、そのような金を動かすことはほとんどないから、ちょっと感覚が分かりにくくなるが、軽自動車20台分、乗用車3台分と考えると、何とか理解できる。

 ところが一億円となると、もう分からなくなる。私が昔勤めていた公立の施設が新築されたときに、建物の価格がちょうど一億円だった。建坪が100坪くらいの鉄筋2階建てだった。あの工事を思い出すと、一億円の感覚が分かる。

 十億円を考えるときには、あの施設が10軒分。百億円なら100軒分と想像すると、なんとなく金額の規模が分かる。

 さらに単位が上がって一千億円になると、もう分からなくなる。私が名古屋市に初めて奉職したときの名古屋市の年間予算が7千700億円だった。でも、これでは感覚的に理解できない。

 そこで私はイージス艦を思い起こすことにしている。イージス艦は一隻2千億円だ。一千億円といえば、その半分である。それで何とか千億円単位のイメージが作れる。

 一兆円となると、イージス艦500隻分だ。これは、さすがに想像の範囲を超えている。とにかく、とてつもない金額だということしか分からない。

 昔の未開民族の数の数え方に、1個2個3個、あとはたくさん、というアバウトな数の捉え方があったそうだ。われわれ現代人も、百円千円一万円程度しか感覚的にはわからず、あとはたくさんということになって、昔の未開民族と変わらないようである。