学位の審査には、語学試験、論文審査のほかに、もう一つ口頭試問がある。
口頭試問は主査(指導教授)1名、副査2名で行われる。副査は他科の教授である。
主査は論文内容に関する質問をいっさいしなかった。それは彼が私の論文を読んでいなかったためだと思う。主査が私の学識を認めていたとは思えないから、たぶん読むのがめんどうだったのだろう。(私の論文は新書本一冊くらいの分量があった)。
副査の教授はいろいろ質問してくれたが、2人とも内科の教授で、精神医学には素人だったから、口頭試問は逆に私の講義みたいになってしまった。
そのようなわけで、口頭試問も何のことはなかった。
学位を取る過程で最も苦労したのは、学内のことではなく、学術誌のジャッジとの論争だった。ジャッジはなんの見返りもないのに、無名の私の論文をウソーというほど仔細に読んでくれた。
ジャッジは2人いた。彼らの指摘は微に入り細にわたった。わずかな論点のズレを見逃さず指摘してくれた。細かい矛盾も教えてくれた。むろん、的外れな指摘もあるにはあったが、それに対して私は反論した。反論だけで一編の論文ができるほどに反論した。ジャッジは最終的に反論を理解してくれて、掲載にこぎつけた。
それにしても、あんなに長く、そして晦渋な論文を、これほどまでに熱を入れて読んでくれるのかと、私はほとんど脱帽した。投稿者にはジャッジが誰かは分からないようになっている。その見ず知らずの学者に私は未だに尊敬の念を禁じえない。
口頭試問は主査(指導教授)1名、副査2名で行われる。副査は他科の教授である。
主査は論文内容に関する質問をいっさいしなかった。それは彼が私の論文を読んでいなかったためだと思う。主査が私の学識を認めていたとは思えないから、たぶん読むのがめんどうだったのだろう。(私の論文は新書本一冊くらいの分量があった)。
副査の教授はいろいろ質問してくれたが、2人とも内科の教授で、精神医学には素人だったから、口頭試問は逆に私の講義みたいになってしまった。
そのようなわけで、口頭試問も何のことはなかった。
学位を取る過程で最も苦労したのは、学内のことではなく、学術誌のジャッジとの論争だった。ジャッジはなんの見返りもないのに、無名の私の論文をウソーというほど仔細に読んでくれた。
ジャッジは2人いた。彼らの指摘は微に入り細にわたった。わずかな論点のズレを見逃さず指摘してくれた。細かい矛盾も教えてくれた。むろん、的外れな指摘もあるにはあったが、それに対して私は反論した。反論だけで一編の論文ができるほどに反論した。ジャッジは最終的に反論を理解してくれて、掲載にこぎつけた。
それにしても、あんなに長く、そして晦渋な論文を、これほどまでに熱を入れて読んでくれるのかと、私はほとんど脱帽した。投稿者にはジャッジが誰かは分からないようになっている。その見ず知らずの学者に私は未だに尊敬の念を禁じえない。