院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

医学博士号の裏話補遺

2007-12-16 14:11:01 | Weblog
 学位の審査には、語学試験、論文審査のほかに、もう一つ口頭試問がある。

 口頭試問は主査(指導教授)1名、副査2名で行われる。副査は他科の教授である。

 主査は論文内容に関する質問をいっさいしなかった。それは彼が私の論文を読んでいなかったためだと思う。主査が私の学識を認めていたとは思えないから、たぶん読むのがめんどうだったのだろう。(私の論文は新書本一冊くらいの分量があった)。

 副査の教授はいろいろ質問してくれたが、2人とも内科の教授で、精神医学には素人だったから、口頭試問は逆に私の講義みたいになってしまった。

 そのようなわけで、口頭試問も何のことはなかった。

 学位を取る過程で最も苦労したのは、学内のことではなく、学術誌のジャッジとの論争だった。ジャッジはなんの見返りもないのに、無名の私の論文をウソーというほど仔細に読んでくれた。

 ジャッジは2人いた。彼らの指摘は微に入り細にわたった。わずかな論点のズレを見逃さず指摘してくれた。細かい矛盾も教えてくれた。むろん、的外れな指摘もあるにはあったが、それに対して私は反論した。反論だけで一編の論文ができるほどに反論した。ジャッジは最終的に反論を理解してくれて、掲載にこぎつけた。

 それにしても、あんなに長く、そして晦渋な論文を、これほどまでに熱を入れて読んでくれるのかと、私はほとんど脱帽した。投稿者にはジャッジが誰かは分からないようになっている。その見ず知らずの学者に私は未だに尊敬の念を禁じえない。

医学博士号の裏話その4

2007-12-15 08:21:47 | Weblog
 最近、論文だけで学位を与えるのは止めようという動きがある。

 つまり「論文博士」はなくして、大学院を卒業しなければ学位を出さないという方向性にある。学位の乱発はやめようということである。

 この措置が実現すれば、医学博士号はかなり難しい学位となるだろう。

 ストレートに医学部を卒業して24歳、それから2年間の臨床研修がある。それで26歳。それから大学院で4年。学位を取れるのは最も早くて30歳となる。それまでは、金銭面で不安定な生活を余儀なくされる。

 その時期が丁度、出産、子育ての時期に当たる女医にとって、学位を取るのはほとんど不可能になるだろう。

 そうすると、そんなにまでして学位を取らなくてはならないか?と思う人が増えてくるだろう。その結果、学位がある医者は急速に減るだろう。

 これまで学位取得が簡単だったから、県立病院や日赤では学位のない医者を診療部長に昇格させることはなかった。でも、学位を持っている人が非常に少なくなったら、県立病院や日赤でも、そんなことはやっておれなくなるだろう。

 やさしいから学位は必須とされてきたけれども、難しくなったらなったで、今度は必須とされなくなるだろう。

 お金で学位が取れた時代がなつかしく思えるようになるかもしれない。

医学博士号の裏話その3

2007-12-14 08:38:08 | Weblog
 先にも言ったとおり、医者で論文が書ける人は極めて少ない。医学部は理系だから、論文どころか普通の文章さえ書けない人もいる。

 だから、学位を持っている人の多くは、生涯に書いた論文は学位論文一編だけである。それも、指導教授に手取り足取りされて、やっと書きあがった論文である。そのような医者にとって、論文を10も20も書くというのは想像もできないことである。

 だからと言って、その医者の臨床の腕が悪いということにはならない。臨床と論文は別なのである。

 手術の腕は抜群なのに論文が書けないという医者も多い。むしろ、臨床を熱心にやると、論文にするデータを集める時間がないというジレンマがある。

 同様に教授であれば臨床の腕が良いとはかぎらない。ネズミで実験を繰り返し、臨床の役にはまったく立たないような研究をして、論文をたくさん書いて教授になった人も多い。

 教授選考の際の論文主義にも問題がある。ネズミの研究(たとえばネズミの免疫とか)だけをして教授になった人が人間を診察できるか?そういう人たちによって学位審査がなされるのが、そもそもおかしいのである。

 学位を取得する入り口(教授)に問題があり、論文を載せる「学術誌」にも問題があり、最終審査をする教授会が(個々の分野では)素人の集団であるということを考えれば、医学博士がなにほどのものであるかかが分かる。

 私は指導教授にいっさい指導を受けなかったし(たぶん指導教授は私の論文を読まなかった)、ちゃんとした学術誌に無料で掲載されたし、指導教授も謝礼を固辞したから、私は幸福だったと言わなくてはならない。

医学博士号の裏話その2

2007-12-13 08:36:08 | Weblog
 学位論文があまりに稚拙で、どこの学術誌からも掲載を拒否されたらどうするのか?

 じつは、どこの大学でも大学医学会というのがあって、そこで「学術誌」を出している。ただし、その「学術誌」にはジャッジがいない。そもそも、あらゆる科の論文が載っている雑誌なんて、学術誌の体をなしていない。だから、だれも読まない。

 そういう具合だから、だれでもこの「学術誌」に掲載することができる。ジャッジはいないと言ったけれども、いうなれば指導教授がジャッジであり、彼がOKすれば載せることができる。(学位が目的でなければ、自費出版なのだから、お金さえ払えば自由に論文を活字にすることができる)。

 自費出版の雑誌であっても、学位審査にかけるには1000部以上発行されている雑誌でなくてはならない。でも、そんな雑誌を有料で買う人はいないから、ぜんぶ自費で出す。だから、この「学術誌」に載せるために100万円以上かかる。校正も自分でやらなくてはならない。

 この雑誌に乗ったら教授会の審査を受けることができる。要するに全部、お金で片付くのである。

 教授会のメンバーは自分の科以外については素人だから、指導教授がOKを出した論文にケチを付けたり、まして却下なぞできるはずもない。こうして、めでたく学位が授与されるのである。

 すべてお金で片付くのは医学博士号くらいのものだろう。だから医学博士号は一番蔑まれているのである。

医学博士号の裏話その1

2007-12-12 08:25:37 | Weblog
 医学博士はやさしいと何度も述べた。そんなに簡単なのかといぶかる向きもあろう。

 論文をかけない人はどうするのか?外国語ができない人はどうするのか?等々の疑問が出てくることだろう。

 私のころは外国語試験は2ヶ国語だった。英語とドイツ語で受ける人が多かった。でも、今や教授連でもドイツ語ができる人は少ない。論文はみな英語で書かれるようになってしまった。当のドイツ人が英語で論文を書いている。だから、現在、わが国では学位の語学試験は英語だけである。英語が全然できない人は、そもそも医学部に入れない。

 論文を書けない医者は多い。そこで教授の出番である。教授になるには論文をたくさん書かなければならない。だから、教授は論文を書くのがうまい。

 学位を取りたい医者は、中学生の作文のような論文を教授に手直ししてもらう。ここに問題の「謝礼」が生まれる余地がある。直してもらうのはまだいいほうで、ほとんどを教授に書いてもらうケースさえある。こうなったら、「謝礼」を出さざるをえないだろう。

 で、次なる段階は、その論文を学術誌に掲載することである。学術誌にはジャッジ(掲載するに値する論文であるかどうかを審査する人)がいて、掲載するか、手直しさせて掲載するか、ハナから掲載しないかを決める。

 掲載されて初めて教授会の審査に回される。

 では、どこの学術雑誌からも掲載を拒否されたらどうするのか?じつは抜け道がある。それについてはまた次回。

学位と「教授人事」

2007-12-11 08:38:10 | Weblog
 学位でもっともやさしいのが医学博士だと言われている。そうかもしれない。医学部を出てから4年間、大学院で学んで論文を書けば医学博士になれる。これが最速の学位取得の方法で、28歳で博士になれる。

 もう一つは、論文博士という学位で、医学部卒業後6年以上の経験があれば、論文を教授会に提出して合格すれば医学博士となる。私は論文博士である。でも、大学院出の博士と論文博士に待遇の差や権能の違いはない。

 いつも問題になるのは、教授会に論文を提出するときには指導教授を介さなければならないというと部分ある。たとえば僻地の病院に人事異動しなければ、教授が教授会への論文提出の労をとってくれないということがありうる。その点で、教授は人事権を握っていたのである。

 学生運動がさかんなころ、若い医者が教授に将棋の駒のように異動させられることを嫌って、学位返上運動が行われたことがあったが、じきに沙汰止みとなった。

 現在、僻地から医者がいなくなったと言われているが、じつは僻地へ医者を供給していたシステムの一部を「教授人事」は担っていたのである。「学位をやるから、1年だけ僻地へ行ってきてくれ。戻ったら厚遇するから」という遣り取りが暗黙裡に行われ、僻地医療を支えてきたことは、まぎれもない事実である。

続・医学の学位(博士号)

2007-12-10 09:13:41 | Weblog
 医学博士の学位は、ないよりあったほうがよい。

 学位がないと診療科部長や院長、副院長になれないことは先日書いた。むろん、大学教授にもなれない。

 ドイツの奨学金基金でフンボルト財団というのがある。これは40歳以下で、しかも学位がないと奨学金がもらえない。したがって、ドイツ留学は事実上、学位がないとできない。

 フンボルト財団は学位のある者を、研修生として受け入れるのではなく、教官として受け入れる。だから、フンボルト留学生は現地では重く遇される。それは私費留学とは雲泥の差である。

 私はフンボルト留学生を何人も知っている。また私費留学生も知っている。現地での両者の待遇は月とスッポンである。

 フンボルトは40歳以下だから、学位はなるべく早く取っておいたほうがよい。できれば30そこそこでとっておいたほうがよい。

 私は40歳近くで学位をとった。自慢話になるが、学位を取るのに皆、汲々としている中、私はいくつかある論文の一つを提出して、すぐに学位を貰えたので苦労はなかった。

 それも、妻に言われたから提出したのだった。今では妻に感謝している。

検察ファッショ

2007-12-09 14:00:32 | Weblog
 名古屋市大元教授が収賄罪で逮捕されたことに驚いたと昨日書いた。

 日本の検察は一罰百戒主義である。1人を逮捕すれば、日本中の教授が謝礼を受け取らなくなることを見越しての逮捕だと思う。だが、学位査定の謝礼は巨悪ではない。そんなみみっちことをあげつらうのなら、もっとそのエネルギーを他のことに費やせと言いたい。

 私はリクルート事件を冤罪だと思っている。ホリエモン事件も同断である。

 リクルートの元社長はなんにも悪いことをしていない。それが逮捕だった。国会の証人喚問まで行われた。

 これを「国策捜査」という。国を一定の方向へ導くために、冤罪でもでっちあげてしまうのが検察特捜部である。

 つまり、検察特捜部は3権に次ぐ権力である。しかも、その権力を監視する仕組みがまだない。マスコミは第4権力と言われて久しいが、検察批判を絶対にやらない。

 一部の国会議員が「検察ファッショ」という言葉を使っているのが、私にはよく理解できる。

医学の学位(博士号)

2007-12-08 11:42:06 | Weblog
 名古屋市立大学医学部の元教授が収賄罪で逮捕された。

 私はその人から授業を受けたことがあり、同じアパートに住んでいたこともある。だから、よけいに驚いた。

 罪状は学位(博士号)を授与するのに金銭を取って便宜をはかったというものである。それで私はもう一度驚いた。指導教授にお礼をするのは当然だと思っていたからである。

 どこの大学でも昔から行われていることである。今回の30万円なんてまだ安いほうで、中には100万円というのもあった。これは指導教授に学位論文のほとんどを直してもらった(端的に言えば、書いてもらった)謝礼だから、仕方ないかもしれない。

 それが収賄で逮捕と来たから、ひっくりかえりそうになった。そう言われれば、そうかなぁとも思うが・・・。

 医学博士号はよく足の裏のご飯粒と言われる。取らないと気持ち悪いけど、取ったからといってどうということないという意味である。でも、これは間違っている。

 県立病院や日赤では、学位がないと診療部長になれない。すぐ上司の診療部長が退職したときに、学位がないために診療部長を継げなかった医者を私は知っている。他の公立病院では、診療部長にはなれても、院長、副院長になるには学位が必要である。

 だから学位は年配になるとモノを言ってくる。単なるハクづけではないのである。

ハレー彗星

2007-12-07 14:38:16 | Weblog
 ハレー彗星は約76年周期で現れる。子供のころ、あと30年後くらいにハレー彗星が来ると聞いた。

 子供にとって30年後というのは、途方もない未来のことだった。私はハレー彗星に遭遇できるか、それまで生きているかどうか分からないと思った。

 でも、私が37歳の1986年にハレー彗星は本当に来た。各国は競ってハレー彗星に観測ロケットを打ち込んだ。前回、ハレー彗星が来たときには考えられないようなテクノロジーの進歩だった。

 ああ、本当にハレー彗星は来たのだという感慨にふけった。待ち続けて30年、約束どおりハレー彗星は来た。律儀な宇宙の法則に感動した。

 この次にハレー彗星が来るのは2061年である。さすがにそれまでは生きていないだろう。でも、生きているうちに一回でもハレー彗星と出合って幸福に思った。ハレー彗星が去った後に生まれて、次回に来る前に死んでしまう人もたくさんいるのだから。

読書より講義

2007-12-06 12:52:55 | Weblog
 私は小さいときから読書が好きだった。本を読めば講義なぞ聴くまでもないと思っていた。

 だから、学校でも講義をあまり聴いていなかった。元来が多動児ということもあって、じっと教室の椅子に座っていることが苦痛だった。授業は難行苦行でしかなかった。

 小学校まではそれで通った。しかし、中学、高校ではダメだった。授業を聴かずにいて、教科書だけ読んでいても、マトモな成績が取れなかった。

 だから、大学受験にも失敗した。浪人してから予備校の講義を熱心に聴くようになった。そうしたら、成績がぐんぐんと上がった。

 私の妻は、読むことが苦手でもっぱら講義のほうがよく分かるほうだった。その姿勢をもう一度妻から学んだ。

 読書で10時間かかるところを、講義なら1時間で分かる。それに気づくのが遅かった。読書の勧めがしきりと言われるけれども、読書より講義を聴いた方がよい。

 子供さんの教育に迷っているお母さんへの、これはアドバイスである。

数学史の史観

2007-12-05 09:53:50 | Weblog
 司馬遼太郎はいまだに人気があるし、私も好きである。

 司馬遼太郎批判の中に、彼は「人物史観」であるというのがある。「人物史観」というのは、歴史を人物の出現によって読み解くもので、たとえば「坂本龍馬がいなかったら、明治維新は違ったものになっただろう」という考え方である。

 「人物史観」でないものはというと、「坂本龍馬がいなくても、他の誰かが出てきて、明治維新は似たようなものになっただろう」という見方である。

 数学史を見ると、圧倒的に「人物史観」が多い。リーマン幾何学がなかったら、アインシュタインの相対論は生まれなかったという説は正しいだろう。でも、リーマンがいなくても、同じような幾何学が生まれたかもしれない。

 数学史ではリーマンが教授資格取得講演でガウスに認められなかったら、という言い方で語られる。

 3000年来のユークリッド幾何学を覆したのは、19世紀のリーマンだった。リーマンの講演は実質的にはガウスに向けて行われた。多くの聴衆の中でガウスだけがリーマンの斬新な幾何学を理解し認めて、その後の幾何学の大変革が始まった。

 リーマン幾何学がなければ、宇宙の形を4次元の球形としたポアンカレ予想も生まれなかったし、100年後にポアンカレ予想が肯定的に解かれることもなかった。

 ゆえに数学史はほとんどのものが「人物史観」である。私はこれを「本当にそうだろうか?」と思う者である。早かれ遅かれ、リーマンやガウスやアインシュタインと同等の人物が出てきたのではないかと夢想する。

朝青龍問題ふたたびのふたたび

2007-12-04 11:59:08 | Weblog
 朝青龍が帰ってきた。冬の巡業から参加するという。

 謝罪の記者会見はどこの放送局も生中継という騒ぎだった。横綱審議会にも謝罪したという。それで横審は許すのだろうか?謹慎の身からモンゴルへ逃走した者を許すのだろうか?

 だとしたら、横審も甘すぎると私は思う。

 最初に「うつ病の一歩手前」と言った美容整形医はただのお調子者で片付くが、「乖離性障害」と診断した精神科医は同業者として許せない。この「誤診」のおかげで朝青龍のモンゴル逃走を横審も許さざるをえなかった。専門家の発言というのは、それほど重いものである。

 前にも述べたけれども、3ヶ月で朝青龍が元気になったことで、「乖離性障害」の診断は破綻した。でも、訂正のコメントはない。

 誰だか知らないが、診断した精神科医は出てきて診断根拠を説明するべきではないか?そうでないと、国民やマスコミなどの非専門家はいつまでも「乖離性障害」と思い込んでしまうだろう。

 朝青龍はただの「ふてくされ」である。「乖離性障害」と診断した精神科医も、それが分かったから出てこられないのだろうか?

愛子ちゃん、もうじき小学校へ

2007-12-03 12:50:14 | Weblog
 皇太子の娘さん愛子ちゃんに、ただならぬ才気を感じる。将来、大秀才になるオーラのようなものが愛子ちゃんにはある。

 学習院初等部に入ったら愛子ちゃんはダントツの一番だろう。選ばれた「ご学友」たちも愛子ちゃんについていくのに苦労するかもしれない。

 大学はむろん学習院大学では足りない。東大でも足りないかもしれないが、学習院大学以外では皇族を受け入れるところはないだろう。

 東大もダメなら、愛子ちゃんはケンブリッジやオックスフォードに行くしかない。皇太子がそうだったから、これは実現可能だろう。

 私は愛子ちゃんに期待する者であるが、世間ではあまり言われないので、ここに明確に記しておく。

温泉は病気に効くか?

2007-12-02 08:54:50 | Weblog
 温泉の効用に疑問をもっている。つまり、温泉は本当にリウマチや皮膚病に効くのかということである。

 温泉でなくてもよいのではないか?ふつうの入浴でも同じような効果が得られる。または、得られない。

 病は気からと言う。温泉で湯治をすれば、ストレスから開放される。それが温泉の長逗留の効果ではなかろうか?

 一泊だけで温泉に行っても、何も効果はないのではないか?

 一時、○○温泉病院という整形外科の病院が流行った。病院に温泉が付いているのだ。だが、このような病院がふつうの病院より効いたという話は聞かない。

 やっぱり温泉は、泉質による効果ではなく、ゆっくり休むというのが本当の効果を招くのではないか?

 漢方薬が人気だけれども、私は温泉と同じく、漢方薬のかなりの部分が効果なしと見ている。(一部は著効がある)。