院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

戦後民主主義は成熟したか?

2012-07-16 00:01:13 | 社会
 戦後すぐの民主主義は、本当の意味での民主主義ではなかった。

 大衆は自分の意思を持たず、大物政治家という情報だけで、そのような政治家に票を入れた。だから、吉田茂や岸信介のような大物が選出された。

 最近はどうか?

 大衆が自分の意思で投票するようになったので、思わぬことが起こった。たとえば、片山虎之介が「姫のトラ退治」というキャッチフレーズの元、姫野某というポッと出の女性候補に落とされた。

 こうして政界は小物ばかりになってしまった。

 「政治主導」を旗印にして、民主党が与党になったけれども、経験の浅い議員が熟達の官僚たちを指導できるはずもなく、逆に手玉に取られた。

 民主主義が成熟すると、こういうことになる。「民意」をたてまつると、ロクなことはないのである。

数学の証明における「飛躍」の許容範囲

2012-07-15 02:42:27 | 学術
 世の中でもっとも厳密な学問は数学だと言われている。だが、私には腑に落ちないことがある。

 数学の証明で、「YY ゆえに XX 証明終わり」という言い方がある。このYYからXXの間には飛躍がある。この飛躍をなぜわれわれは「なるほど、そうだ」と思えるのだろうか?

 反対に、超人的に知能が高い人がいたとして、証明すべき命題を見ただけで、(証明の途中経過を抜きにして)「なるほど、そうだ」と感じてしまう人がいるかも知れないではないか。

 たとえば、三角形の2辺の和は他の1辺より長い、という命題は、われわれ普通の知能の者でさえ明らかである。(つまり、一見して「なるほど、そうだ」と分かる。)

 でも、中学校では、証明の技法を教えるためか、上の命題をわざわざ証明してみせるのである。

 反対に、プロの数学者が行なう証明は、「ゆえにXX」と言われても、まだ飛躍がありすぎて、われわれには理解できないことが多い。

 どこまでを「まっとうな推論」と呼び、どこからを「飛躍」と呼ぶのか、数学の素人としての私は、分からないのである。

 (数学を学問と思っているから、いけないのだろうか?数学者には、数学は学問と言うより芸術である、という人も少なくない。)

いじめ説明会そのものがはらむ「いじめの構造」

2012-07-14 04:08:19 | 教育
 いじめ自殺にかんして、とうとう警察の手が学校と教育委員会に入った。

 学校側は保護者に説明会を開いた。校長による説明の際、保護者から「なぜ最初に黙祷をしないんだ」という声が上がり、急遽、黙祷が行われたという。

 一見、保護者のまともな声のように思えるが、実は違う。

 もし説明会の冒頭に黙祷が入ったら、「なぜ黙祷を強要するのか、説明が先だろう」という声が必ず出たはずだからである。

 学校側はいまはまったく弱い立場で、何を言っても保護者から糾弾され、反論できない立場にある。そのような学校側に対して、会場からああのこうのと言うのは、それこそがいじめの構造に他ならない。

 また、このような瑣末なことをいちいち報道するマスコミも、いじめの構造に荷担している。

 いじめの説明会で、保護者が学校側をいじめるなんて、シャレにもならない。人間とはイヤなものだなあと、つくづく思う。

紹介状で分かる医者のレベル

2012-07-13 04:46:40 | 医療
 ある医者のカルテを別の医者が見れば、カルテを書いた医者のレベルが分かるというが、これは本当である。

 同じことが紹介状にも言える。紹介されてきた患者さんの紹介状を見れば、前の医者のレベルが分かる。

 まず汚くて字が読めないようなのはダメ。伝えようとする意志がないから、読めない字でも平気になる。

 最近はワープロでの紹介状が多いから、読めない字は少なくなったけれども、それでも医者のレベルが分かる。

 一番分かるのは「紹介目的」の項目だ。紹介目的には、転居のためとか、患者とウマが合わないためとか、いろいろあるが、中に「転院のため」というのがある。紹介目的に「転院のため」と書く医者は、まずダメと思ってよい。

 なぜなら、「紹介目的」とは「転院目的」と同じ意味だからだ。「転院のため」という「紹介理由」は情報量がゼロである。

匂いによる犬の個体識別

2012-07-11 00:03:45 | 生物
 多くの国のお札に顔の絵が描かれていることは、ニセ札防止であることは、ほとんどの方がご存じだろう。

 人間の感覚は、顔に対して最も鋭敏である。少しのズレでも、顔が変化していることが分かる。また、一度見た顔と初めての顔とは、容易に識別がつく。数えられているのかどうか知らないが、人間は万単位で顔の識別ができるだろう。

 犬は匂いで人や別の犬を識別する。犬が電柱に尿をかけて縄張りを主張するように、犬は尿の匂いを何万種類と嗅ぎ分けることができるようだ。

 尿の匂いは日によってさまざまだろう。それでも、犬は個体識別ができるようである。ということは、尿が濃くても薄くても、またその日だけ特別な成分が混ざっていても、尿の匂いお核心的な部分は変わらないのだと思われる。

 その「核心」とは何だろうか?研究されているのかもしれないが、少なくとも私は、尿の何が個体識別の核心物質なのかを知らない。顔の場合のように、特定の物質ではなく、(すなわち目、鼻などの構成成分ではなく)何種類かの物質の布置が「核心」なのかもしれない。

「謝る」ことの意味

2012-07-10 03:50:57 | 社会
 電車に乗っているときに足を踏まれ、踏んだ者が何も言わずに立ち去ると、猛烈に腹が立つ。踏んだ者が「すいませんでした」と一言言えば、怒りはさっと収まる。

 これは何故だろうか?

 オオカミは、オオカミ同士で闘争しているとき、相手が降参して喉の部分を見せると、勝ったオオカミはとたんに戦意をなくすという。それ以上、攻撃しないように本能にインプットされている行動だそうだ。

 「謝る」ということも、本能にインプットされているのだろうか?謝られると許すように、本能はプログラムされているのだろうか?

 訴訟なぞでは、謝っただけでは許されないことが多い。謝ってすむなら警察は要らないというやつだ。だから金で解決する。

 謝っただけではすまないのは、もしかすると人間だけかもしれない。

消えた年金問題

2012-07-09 05:39:22 | コンピュータ
 あのころは、まだパソコンがなかった。あるのは大型コンピュータで、入力手段はパンチカードだった。

 しばらくして、入力がキーボードとテレビに代わった。当時、テレビはCRTと
呼んだ。CRTはモノクロで、しかもオシロスコープのように緑色だった。

 CRTについてはデマに似たことがいろいろ言われた。長く見ていると、目をやられるとか、CRTからは放射線が出ているとかである。

 むろん、家庭のテレビにはそんなことは言われなかった。新しい物に対する警戒感あって、CRTは普通のテレビと同じなのに、上のような疑いを抱かれた。

 その頃、単純計算ですむデータはコンピュータ化が急がれていた。むろん、年金データもコンピュータ化された。

 年金データを入力する役所の職員はキーボードに慣れておらず、何ストローク打ったら10分休ませろ、と極めて非効率な要求を出し、それが通った。

 上記のようにCRTをずっと見ているのはイヤだとも言った。そんなにいやいややっていた作業だから、誤入力がおびただしくあった。名前も読めないものは適当に読んで入力してしまった。

 年金担当職員組合の理不尽な要求が通ってしまったわけだ。組合はいつもサボろうとする。

 そこに現在の消えた年金問題の元凶がある。もう、取り返しがつかない。結局、紙にペンで書いた元データに当たることになったが、それにも限界があった。

 今言われている年金問題のかなりの部分は、コンピュータ化したときに、十分すぎるほどの種が撒かれていたのだ。

人為と天然

2012-07-07 17:44:17 | 心理
 たとえば道を歩いていて、土砂崩れがあり、回り道をせざるを得なくなった場合、人はしぶしぶ回り道をするが、怒りはしない。

 一方、土砂崩れではなく、人為的に誰かがバリケードを張って通れなくしているとしたら、人は猛烈に腹を立てるだろう。

 相手が自然現象なら腹を立てない、人為だと腹を立てる。まったく同じ労力を要求されるだけなのに、天然に対してと人為に対してでは、人間の情緒に与える影響はまった違う。

 これは、なぜだろうか?

 子どもに死なれた親の場合、子どもが雷に打たれて死んだのと、交通事故で死んだのとでは、恨みの強さが違う。

 法律もそのように出来ている。殺意があったか、なかったかが、量刑の違いの大切なポイントとなる。

 まったく同じ現象であっても、恨みは天然にはあまり向けられず、人為に向けられる。この違いは、当然のこととして、あまり考察の対象とはならないけれども、実は大難問なのである。

 「恨み」「怒り」に対する研究が、もっと行なわれてもよい。

術後の放屁

2012-07-07 00:00:50 | 医療
 高校生のころ、虫垂炎の手術を受けた。麻酔は腰椎麻酔というもので、下半身だけ麻痺させるものである。

 手術の翌日、看護婦さんから「ガスは出ますか?」と訊かれた。あんまり何度も訊かれるので、私は「いったい、どのくらい出ればよいのですか?」と看護婦さんに問うた。

 看護婦さんは、恥ずかしげに「いつもと同じくらい」と答えた。

 看護婦さんが放屁を問うのにはワケがある。つまり、麻酔で腸が麻痺したままだとガスは出ないのだ。ガスが出ないと、腸閉塞になって危険なことがある。

 高校生の私には、看護婦さんが「おなら」のことばかり訊ねるのを奇異に感じたが、実は以上のような次第があるとは、医者になってから知った。

銀行の種類

2012-07-06 05:00:14 | 経済
 以前からこの欄で何度も言っているように、私は経済の仕組みに弱い。

 最近なくなったが、相互銀行と普通の銀行の違いが分からない。相互銀行は普通の銀行に格上げになって消滅したが、普通の銀行になることがなぜ格上げなのか分からない。

 都市銀行と地方銀行の違いが分からない。単に規模の違いなのか、もっと根本的な違いがあるのか分からない。

 信託銀行というのは、最近、自分の遺言を預けたので、どういう仕事をしているのか、おぼろげに分かった。

 結論から言えば、信託銀行は庶民を相手にしていない。信託銀行が銀行業務以外に扱うのは、不動産売買とファンドの売買だ。いずれも庶民には無縁である。遺言も遺す財産がなければ、信託銀行のお世話になる必要はない。(私の場合、大した財産はないが、権利関係が複雑な資産があるので、遺言を書いただけである。)

 信用金庫が銀行とどのように違うのか分からない。信用金庫には通帳を作るときに出資金が必要で、また毎年一回、証書のようなものが届く。銀行ならそんな必要はない。

 信用組合となると、もっと分からない。なんだか「講」のようなもののような気がする。

 以上は、2,3時間、講義を受ければ全部分かってしまうことだろう。でも、この齢まで、その2,3時間に恵まれなかった。

歌謡曲「なみだの操」

2012-07-05 00:12:03 | 音楽
 宮路オサムさんが歌う「なみだの操」という歌謡曲は、みなさんご存じだろう。

 宮路さんが殿様キングスというコミックバンドにいたとき、大ヒットした歌である(1967年)。(殿様キングスは1990年に解散。)

 パチンコ屋は一日中この歌を流していた。まだ、自動玉打ち装置もなく、手で打っていた時代だ。むろん、パチスロもフィーバー台もなかった。

 当時、モダンジャズばかり聴いていた私の胸を、意外にもこの歌は打った。当時から「古色蒼然」とした歌だった。だから、今の若い人には、この歌詞の意味が分からないのではないか?

 曰く「守り通した女の操、いまさら人に捧げられないわ」。
 曰く「あなたの決してお邪魔はしないから、おそばに置いてほしいのよ」

 当時すでに、こんな女性は珍しかった。だから、余計に受けたのだろう。珍しいが意味は分かった。

 曲もいいし、歌詞もいい。宮路さんのコブシもいい。3拍子そろって、この歌は300万枚も売れた。音楽には少しうるさい私でも、よいと思った。だから、いまだに宮路さんはこの歌で稼いでいる。

 この歌謡曲は、数少ない名曲である。ついでに言うと、普通の楽曲は4小節の倍数でできているが、この曲のイントロは17小節という半端な数である。珍しい構成である。それも、よかったのだろう。

貨物列車の最後尾の車両

2012-07-04 00:01:28 | その他
 昔、SLが引いていた長い貨物列車があった。その最後尾に貨物車でない車両が必ず一両付いていた。

 幼いころ、なんだろうと思ってその車両を覗いてみた。2,3畳の部屋があって、ベンチがついていたと記憶する。明らかに貨物を乗せる車両ではなく、人を乗せる車両だった。

 車掌さんが乗るのかとも考えてみた。または、運転士の交代要員が寝る場所か?それにしては、眠るようなしつらえになっていなかった。

 いつの間にか、貨物列車からその車両は消えてしまった。

 あれは、いったいなんの車両だったのだろう。父親に聞いても知らなかった。そのため、あれは何だったのか、私は未だに知らない。

 鉄道ファンなら、当たり前に知っていることだろう。

坂本龍一さんの原発再稼動反対の曲に寄せて

2012-07-03 00:01:55 | 音楽
 坂本龍一さんが、原発再稼動反対の声をサンプリングして、新規な音楽を作ったそうです。

 坂本さん、何を血迷っているのですか。坂本さんは音楽家でしょう?音楽で具体的なメッセージを送ることが、どんなにくだらないことなのか分かっているはずでしょう?

 メッセージは、岡林信康さんやラッパーたちが発すればよいのです。そして、岡林さんやラッパーは、実は音楽家ではありません。アジテーターに過ぎません。

 私は具体的な発想を超えたところに音楽はあると思います。歌詞のない音楽は抽象度の極めて高い文化的営為です。

 モーツァルトの音楽から、メッセージ性が汲み取れるでしょうか?あれはあれだけで完成した世界です。世の中がよいとも悪いとも言っていません。

 坂本さんが、原発再稼動反対のメッセージを音楽で送ろうとするなら、坂本さんは人気取りに堕した言われても仕方がありません。私はまだ具体的な作品を聴いていないから、確かなことは言えませんが、サンプリングの音源に原発再稼動反対のシュプレッヒコールを使用することに、作意を感じます。

 坂本さんには、俗世間から離れて、もっと超然としていて欲しかったです。

保健師の勤務時間

2012-07-02 00:00:58 | 医療
 保健所保健師の主な仕事は家庭訪問である。仕事はかなり多い。

 保健所保健師はクライアントに対して親身である。形だけではなく、本当に熱心に相談に乗り、世話をする。

 そこまで仕事熱心なのに、不思議なことがある。それは、彼女(まれに彼)らは、絶対に超過勤務や、休日出勤をしないのである。

 彼女らは、いつも忙しい忙しいと言っている。だが、それは所詮9時から5時までの忙しさなのだ。

 昔、ある保健所に相談係として通っていたころ、一人暮らしのお婆さんがいて、その人に熱心にかかわっていた保健師がいた。一人暮らしだから、保健師は毎日訪問した。ただし、土日を除いて。

 あるとき、そのお婆さんが亡くなったと、近所の人から連絡があった。なぜ近所の人からだったのか?それは土日だったからである。

 私は「間が抜けているな」と思った。お婆さんのことが、そんなに心配なら、土日も含めて毎日訪問するのが普通でしょう。遠くの保健師より近くの他人ということになってしまった。

 病院なら、24時間365日、いつでもやっていますよ。医者も看護師もふらふらになるまで働いていますよ。

 保健師もそのようにやっています、というような顔をしないでほしい。病院と保健所を両方経験した私から見れば、保健師なんて遊んでいるようなものである。(これは必ずしも保健師が悪いのではない。体制がそうなっているのだ。)

 このたびの育児放棄による1歳児の死亡事件が、行政が毎日訪問していたにも関わらず、日曜日の訪問しない日に起こったニュースを見て、思い出した次第。

大型コンピュータの昔の名称

2012-07-01 00:03:37 | コンピュータ
 30年前、大型コンピュータを電機各社が競争のように造っていたころ、各社がコンピュータにつけた名称が面白かった。ほとんどダジャレなのである。

 名称の末尾は「・・ック」というのが流行った。日本電気(NEC)は「ニアック」、日立は「ハイタック」。東芝にいたっては「トスバック」と笑えてしまうような命名だった。

 ひとり富士通だけは「ファコム」で、ダジャレ度が低かった。富士通は唯一、部品を全部国産にするのにこだわった会社である。私の同期で優秀な連中が富士通に大量採用されたのも、この時代だった。会社としては大きな賭けだっただろう。むろん、応募した者にとっても。

 彼らが切歯扼腕した結果として、今のスーパー・コンピュータ「京」(けい)がある。富士通は他社と違ってテレビや冷蔵庫などには手を出さなかった。コンピュータだけで商売になると分っていたかのごとくである。

 「京」が最近、アメリカのスーパー・コンピュータに抜かれたという。今度は富士通が抜かす番である。あたかも五輪競技を見ているような感じがする。