院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

一年以上読まれている記事

2012-09-16 00:45:21 | その他
 このブログで、一年以上たってもよく読まれている記事は、以下のものです。

 「デパス(精神安定剤)とマイスリー(睡眠誘導剤)」

 「交互色彩分割法」の原著論文
 
 「正多面体が5種類しかないことの証明」

 「アライグマは何科の動物か?」

 「美容整形にかんする疑義」

 このブログには、3000名ほどのフォロワーが見えます。大多数は見知らぬ方々ですが、ご愛読ありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。

 AZB43会のみなさまにも、読者が見えます。コメントをくださったのは、ささがわさん、はらださん、ひらはらさん等です。

 AZB43会の方で、このブログを読まれた方は、「読んだ」の一言でよいですからこの記事に<実名で>コメントをください。いただいたコメントは私が読むだけで掲載はしません。よろしくお願いいたします。(結果がまとまったら、メーリングリストに書き込みます。)

NHKの医療番組「ドクターG」

2012-09-15 05:59:49 | 医療
 NHKに「ドクターG」という番組がある。ひとことで言うと、研修医3人が患者の日常に現れる「症状」のVTRのドラマを見て、それが何病であるかを当てる番組である。

 研修医は知識を総動員して、それが何の疾患であるかを推理する。答えはいつも非常に複雑だが、ほとんどの研修医が最終的には正解に行き着く。

 この番組を見れば、一般の人は医者がささいな徴候でも見逃さずに、論理的に診断を導くことに驚くのではあるまいか。診断の結果は一般の人が想像だにしないものだろう。そこがプロと素人の違いである。

 ところが最近、インターネットで調べたらこう書いてあったと、医者に疑問や意見を述べる人がかなり増えた。権威あるサイトを除いて、正確なことは、ネットにはまず書かれていない。とくに素人の体験談なぞは、極めて偏ったことが書いてある。ひどいのになると嘘が書いてある。詳しく書かれていても、プロから見れば、的を外している書き込みが多い。

 それは嘘だ、嘘でないまでも偏った考えだ、そういう論もあるが確立されていないと、患者さんを説得するのに苦労することがある。患者さんにとっては、ネットの体験談のほうが、目の前の医者の説明よりも信用に値するらしい。

 医者をあまり信用していない人には、この番組を見て、研修医でさえこれだけのことを考えているということを知ってほしい。

 私のひいき目かも知れないが、出演する研修医は、男性よりも女性のほうが鋭いような気がする。

根性がひんまがったマスコミ

2012-09-14 00:15:05 | マスコミ
 自民党の石原伸晃氏が「福島第一原発を福島第一サティアンと呼んだ」と2012年9月13日のネットニュースで時事通信が報じた。

 ここまで読んで、私は石原氏が被災者の身になって、福島第一原発を憎んでそう表現したのだな、と思った。

 だが、その先を読んで驚いた。時事通信は「(第一原発を第一サティアンと呼ぶのは)被災者の感情を逆なでするものであり、反発を呼びそうだ」と言うのである。

 私は自民党支持者でも石原氏の支持者でもないけれども、石原氏は総裁選に出馬を表明した微妙な立場に、今ある。

 その石原氏の被災者をおもんばかった発言に対して「逆なで」とか「反発を呼びそうだ」とは、時事通信社は反石原陣営からワイロでももらったのか?いや、ワイロによるものなら、まだ許せる。ワイロももらわずに石原発言をわざと逆に解釈するなんて、時事通信社の悪意を感じる。

 だが、こうした報道の仕方は今に始まったことではない。時事通信社に限らず、マスコミは往々にして信じられないほどの意地の悪さを見せる。根性がひんまがっている。

 このような記事を書く記者に、娘を嫁にやってはならない。

名古屋城の「お出迎え武将隊」

2012-09-13 06:51:44 | 歴史
 名古屋城に「お出迎え武将隊」という6,7名の青年たちがいる。これが、けっこう人気があるのだ。テレビで見た。

 青年たちは、それぞれ信長や秀吉などを名乗って戦国武将の装束をまっとっている。彼らは観光客に手八丁口八丁で名古屋城やその歴史について説明する役をしている。

 全員がイケメンである。どうも、名古屋市が非常勤職員として雇っているらしい。出自はフリーターだったりするが、名古屋大学の医学生もいる。

 たぶん、ひそかなファンが存在するだろう。地元のPR役には、地元のファンが必ず存在しているからだ。テレビに出るようなアイドルよりも身近である。握手もしてくれる。それで、一定のファンが生じるのだろう。

 名古屋市役所の担当者は、採用に際してルックスだけに拘っているわけではない、と言っていた。わざわざ、そんなことを言うのは、ルックスをもっとも重視していると白状しているのと同じである。

 こんど名古屋城に行くことがあったら見てみたい。私はナマの「お出迎え武将隊」をまだ見たことがない。

ベートーベンの交響曲「第九」

2012-09-12 08:04:11 | 音楽
 毎年年末になると、日本各地で「第九」が演奏される。日本人は「第九」が大好きなようである。「第九」は12月の俳句の季語にもなっている。

 「第九」の圧巻は「喜びの歌」であるが、この部分はそんなに素晴らしいフレーズだろうか?私は少し疑問を覚える。

 つまり、「喜びの歌」の旋律は単純すぎるのではないか。調は長調で半音を使わない。構造的には童謡の「咲いた咲いたチューリップの花が」と同じである。

 ドイツ・ロマン派の音楽の主旋律はみなそうである。単純なメロディーに一定の和声法で和音が付けられているだけである。だから、私は飽きてしまう。ロマン派の音楽は、みな同じように聴こえてしまう。

 ちょうど、演歌がみな似たようになるのと同じである。演歌ファンには似たような中でも「違い」が分かるのだが、そうでない人には、よくもまあ、こんなに似たような演歌があるものだと思えるだろう。

 私にとってはドイツ・ロマン派の音楽がそうだ。単純な旋律で、みな似ている。上述のように「咲いた咲いた・・」と同じである。

 だから、ドビュッシーがインドネシアのガムラン音楽を聴いて「これに較べれば、西洋音楽なんて、まるで子供の音楽だ」と嘆息したのが、よく理解できるのである。

ブロマイド

2012-09-11 00:09:22 | 芸能
 昔はブロマイドがどれだけ売れたかが、そのタレントの人気度を表していた。

 今でもブロマイドは存在するけれども、他にポスターなどの媒体があるから、昔ほど売れないだろう。もっとも雑誌やポスターの写真は印刷で、ブロマイドはナマ写真だから、マニアはブロマイドを欲しがる。東京にはブロマイド専門店がまだある。

 写真を焼き付ける印画紙(モノクロ)に、何種類かがあった。その中で、もっとも感度が低い印画紙は臭素(ブロム)の化合物である臭化銀(シルバー・ブロマイド)を用いていた。この印画紙を写真用語でブロマイドと呼んだ。

 私が写真少年だったころ、ブロマイド印画紙は安いけれども、焼付けに少し時間がかかるので、すぐに使用しなくなった。ブロマイドよりも感光時間が短い印画紙を使うようになった。(名称失念)。

 スターの写真は、だからブロマイドと称して売られるようになった。あるいはプロマイドと呼ばれることもあった。

 高校の親友が部屋に、当時人気絶頂だった天地真理さんのポスターを貼っていた。天地真理さんは、さして美人でもないし歌も下手だった。そんなタレントのポスターが、なぜそんなに有難いのか理解できなかった。

 その親友とは今でもたまに酒食を共にする。

おサルの電車

2012-09-10 00:04:11 | レジャー
 サルが運転手のように機関車の先頭に乗っている「おサルの電車」というのは、まだ遊園地にあるのだろうか?

 幼少のころ、おサルの電車に乗った。短い軌道を一周するだけのアトラクションだった。先頭に乗せられたサルは、首輪で繋がれて、運転装置のようなものを時折いじっていたけれども、子供の目にもそれはおざなりに見えた。

 サルはよそ見をしたり足で襟を掻いたりして、とても不真面目だった。だから、私にはおサルの電車はちっとも面白くなかった。

 おサルの電車を始めたのは東京の上野動物園である。戦争で猛獣が殺処分されて、戦後なにも呼びものがなかった動物園が、人寄せのためにおサルの電車を始めた。

 それが全国の遊園地に広まり、一時、おサルの電車は遊園地の代名詞だった。

 上野動物園はもうおサルの電車を廃止してしまった。動物愛護団体からの抗議があったからだという説もあるけれども、要するに人気がなくなったから止めたのだろう。

 サルを運転手に見立てて機関車の先頭に乗せれば、子供が喜ぶと考えたのだろうか?それは大人の浅知恵である。少なくとも幼い私には面白くなかった。「子供だまし」という言葉があるが、昔も今も、子供だましに喜ぶ子供はいない。子供はホンモノを好む。

 例えば白鳥型の足こぎボートでも、人間が漕がなくてはならないホンモノの装置だから、子供はことの他喜ぶのである。

「彼女はシャンだ」

2012-09-09 05:35:05 | 日本語
 「彼女はシャンだ」といって意味が分かる人がどれだけいるだろうか?

 シャンとは美人という意味である。ドイツ語の shoen つまりダンケ・シェーンのシェーンから来たものである。

 バック・シャンという和製外国語もあった。後ろ姿が美人だという意味である。ということは、前から見たら大したことないという意味が含まれていた。

 他にも「ハイカラ」とか「シャボン」が絶滅危惧単語である。これらは所詮流行語だから、いずれ絶滅する運命にあったのだ。

 「メチャ、カワイイ」や「チョーうまい」もいずれ絶滅するだろう。

「ゴレンジャー」と「仮面ライダー」

2012-09-08 01:11:46 | 芸能
 「5人揃ってゴレンジャー」という台詞を覚えている人は、もうけっこう年配である。

 赤、青、黄、緑、ピンクのヘルメットと衣装のヒーロー、ヒロインたちが悪の「黒十字軍」と戦う子供向け番組である。この番組は「仮面ライダー」の故石森章太郎の発案であるが、石森が思わなかった部分で便利なキャラクターとなった。

 それは、俳優が顔を見せないという点である。つまり、ゴレンジャーはイケメンや美女でなくてもよいのである。

 そのためかどうか、このヘルメットスタイルは全国に広まって数々の亜流を産んだ。各地の遊園地では、いろんな「レンジャー」が子供たちを興奮させた。俳優は美男美女でなくても、バク転のひとつもできれば務まった。

 3人組のレンジャーもある。その場合は赤、青、黄の光の三原色だ。3人でも5人のときと同じように一人だけ女性が含まれている。設定としては男のみより変化があって面白い。

 現在、「ご当地アイドル」ならぬ「ご当地レンジャー」というのがあって、それぞれの地方だけで人気がある。(全国的にはまったく知られていない。)本家のゴレンジャーよりも「ご当地レンジャー」のほうが、ひょっとすると人気があるかもしれない。

 今、全国レベルではゴレンジャーは子供たちにあまり人気がない。むしろ、それ以前の「仮面ライダー」のほうが人気がある。(これも石森章太郎のデザインだ。)仮面ライダーには何種類もあって、仮面ライダーオタクはそれらの区別がつくようである。

 5歳の甥は、今、何代目かの仮面ライダーに夢中である。(彼もいろいろある仮面ライダーの識別ができるようである。)

ご当地アイドル

2012-09-07 05:04:31 | 芸能
 農ドルという存在をご存じだろうか?農業団体が農業のキャンペーンのために擁立したアイドルである。

 その娘がとても可愛いのである。AKB48に入っていても遜色がない。

 他にも「ご当地アイドル」がいるが、みな美人である。昔はそうはいかなかった。昔の「ご当地アイドル」と言えば、「ミスりんご」とか「ミスみかん」とかがいた。地方の産業を売り込む点では「農ドル」と同じである。

 だが、こう言っては失礼だが、「地方ミス」はたいてい、さほどの美人ではなかった。度胸さえあれば誰でもなれるという感じだった。

 「ご当地アイドル」が美人になったのは、社会の壁が低くなったことが挙げられるだろう。昔は娘が「ミス」とか芸能人になるのを親が反対した。人前で水着になったりするのは、もってのほかだった。

 今日び、そうした壁が低くなった。ために、現在のアイドルはみな美人だ。アイドルのオーディションに10万人以上が押しかける。親は反対するどころか、逆に応援する。

 こうして私たちは、テレビをつければ美女を見ることができるようになった。

パラリンピック放映を歓迎する

2012-09-06 06:09:06 | スポーツ
 今、ロンドンオリンピック後のパラリンピックが放映されている。身体障害者の身体能力のすごさに驚かされる。車椅子テニスなぞは、私が車椅子ではなく参加してもまったく勝負にならないだろう。

 陸上競技もそうだ。義足の選手に私は勝てない。このような競技を見ると、身体障害者に対する画一的な見方が、どんなに偏ったものかが分かる。

 私がパラリンピックを初めて見たのは1998年の冬季長野五輪に際しての放映だった。この放送によって、私の身体障害者に対する意識は根本的に変えられてしまった。

 2008-09-04 のこの欄の記事で、私は日本以外の国で開催されるパラリンピックも放映されるように望んだ。しかし、北京オリンピックでは放映されなかった。

 そして今回、ロンドンオリンピックでは放映されている。まことに喜ばしいことである。この放送によって、どれだけ身体障害者に対する正確な見方が普及するか、その効果は計り知れない。

モダン・ジャズがオールド・ジャズだって?

2012-09-05 05:38:13 | 音楽
 おおざっぱに言うと、ジャズは1910年代にニューオーリンズジャズに始まり、次いでダンス音楽であるスイングジャズに発展した。ダンス音楽を、単体で聴く純粋音楽に高めたのがグレン・ミラーである。

 1940年代からからは難解と言われたバップと呼ばれる即興ジャズが始まり、1960年代に天才チャーリー・パーカーによって完成されたのがモダン・ジャズである。

 モダン・ジャズは、西欧クラシックとは違う音階や和声法を用いて、クラシックとはまったく異なる音楽世界を築いた。

 少年だった私は、モダン・ジャズをこよなく愛した。ピアノならウイントン・ケリーやレッド・ガーランド。彼らの即興の演奏の美しさは今でも色あせていない。

 サキソホンならソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン。トランペットならマイルス・デビスである。彼らの音楽は鳥肌が立つほどに美しい。

 1960年代のモダン・ジャズが美しい音楽であることの証拠は、現在、飲食店のBGMに盛んに使用されていることだ。酒場に行ったらBGMに注意して欲しい。たいていモダン・ジャズが流れている。中華料理店でもそうだ。

 60年代のモダン・ジャズは、BGMに使用してもうるさくないのである。

 先日、アメリカの放送を聴く機会があった。60年代のモダン・ジャズがかかっているなと思って、じっくり聴いていたら、米人のアナウンサーがなんとオールド・ジャズと紹介していた。

 確かにオールドかもしれない。現在、六本木あたりのジャズクラブに行くと、生演奏しているのはみな若者で、彼らは60年代のモダン・ジャズをコピーして演奏している。

 60年代も後半から70年代になると、ジャズ・ロックとかフュージョンなどが出てきた。だが、それらはすたれてしまって、やはり60年代のモダン・ジャズが生き残っている。モダン・ジャズは古典(クラシック)になったのだ。

 だから、それらをアナウンサーがオールド・ジャズと呼んでも、奇異に感じる必要はないのかもしれない。

毒をもつ植物が存在するのはなぜか?

2012-09-04 06:25:00 | 生物
 猛毒をもつ植物すなわち毒きのこや毒草は、なぜ毒をもっているのだろうか?

 植物が毒をもっているか否かは、それを食べる動物には分からないはずである。だから、動物が毒きのこや毒草を食べても、食べた個体が死ぬだけで、その情報が他の動物個体に伝わるわけではない。だとすると、捕食者から身を守るために植物は毒をもつわけではなさそうである。

 昔、あるアメリカの公園に野生の鹿がいた。その鹿を同じく野生のピューマが捕食して困ることがあった。そこで、公園の管理者はピューマを殺して鹿を守ろうとした。その結果どうなったか?天敵のピューマが減ったおかげで鹿が大繁殖した。

 面白いのは、その後である。大繁殖した鹿は公園内の植物を食べつくし、食べ物がなくなって、今度は鹿が大量に餓死したのである。

 こんな話を出したのは、もしかしたら毒のある植物は、一定数の動物を殺すことにより(すなわちピューマの役割を果たすことにより)生態系の安定性に寄与しているのではないか?

 毒をもっている植物や、そうでない植物が存在することにより、自然界の平衡は微妙にコントロールされ、あらゆる植物種や動物種が絶滅しないで済んでいるのではあるまいか?

 むろん以上は、毒きのこや毒草の存在理由にかんする私の想像に過ぎないが。

マスクを外さない保健師

2012-09-02 16:38:48 | 社会
 昔、患者さんの身の回りのことで、担当の女性保健師が私に面会したいと申し込んできた。患者さんのことなので面会を快諾した。

 患者さんの身の回りの問題点は、すぐには解決できそうもないことばかりだったが、私も保健師と一緒になって知恵を絞った。むろん、都合の良い答えは出なかった。

 そのとき、非常に気になったことがある。それは、保健師が初対面の最初から最後までマスクをしていたことだ。こちらからマスクを外してくれというのも憚られたので、とうとう保健師の顔が分からなかった。後味が悪かった。

 そうしたら、しばらくしてまた同じ保健師から同じ問題について面会の希望があった。前回の面会以後、患者さんを巡って保健師が何か行動を起こしたかと訊ねると、なにも行動していないとのことだった。

 何もやっていない保健師と面会だけしても時間の無駄だし、当方も忙しいので二度目の面会は断った。

 だが、面会を断った理由の大きな点はもっと別のところにあった。それは、再び顔が分からない人と話をするのが、気味が悪かったからだ。彼女はまたマスクをしてくるだろう。マスクは強盗の目出し帽と同じである。

 彼女が初対面でマスクさえ外してくれていたら、二度目も断らなかったかもしれない。

大歌手・北島三郎さん

2012-09-02 05:15:37 | 芸能
 北島三郎さんが「なみだ船」でデビューしたのは、私が中学生くらいのことだったろうか?

 ラジオから流れてきた「な~みだの~」という美声と小節に驚嘆した。こんな声は初めて聴いた、そんな感じだった。とにかく迫力があって上手いのである。

 皆そう感じたのだろう、この歌はまたたく間にヒットして、ミリオンセラーとなった。「流し」の歌手の出身と聞いて、重ねて驚いた。

 昔の歌手は、最初からものすごくう上手かったのである。まず、デビューしてそれから修行していくというようなアイドル歌手とはワケが違う。デビュー時から圧倒的に優れていた。

 北島さんは紅白歌合戦のトリを何度も勤めたが、今は若手に譲ってしまった。あの美声も何十年も聴いていると飽きる。

 最近は演歌歌手でも、デビュー時にあっと言わせる人はいない。石川さゆりさんがそうだったが、彼女も古くなってしまった。

 もっとも北島さんの「なみだ船」は、デビュー曲ではなく、デビュー2作目だという。

 蛇足だが「流しの歌手」というのは、私が大学を卒業したてで、先輩に酒場に誘われたときにはまだ存在した。すぐにカラオケが流行して、ギターを一本持った「流しの歌手」は絶滅してしまった。