(角川書店刊。)
俳句の本質を指す言葉として「存問」がある。「病人を存問する」というように安否を問うことである。
この言葉は、高濱虚子が昭和32年12月29日の朝日新聞の「小俳話」というコーナーに書いてから有名になった。そこには「お寒うございます。お暑うございます。日常の存問がすなわち俳句である」とある。
私の解釈では、日常の軽い挨拶だが、そこにも型がある。挨拶だからこそ型破りなのは危険である。たんに「お暑うございます」と言っておけば無難なのだが、芸がない。
型破りになるかならないかギリギリのところで勝負をするから、俳句は面白いのである。
これまでの私の代表作を3つ挙げろと言われれば、次の2句である。3つ目はまだできていない。
夜振りの火二つに割れてゆきにけり
手話の子の声なけれども息白し
俳句の本質を指す言葉として「存問」がある。「病人を存問する」というように安否を問うことである。
この言葉は、高濱虚子が昭和32年12月29日の朝日新聞の「小俳話」というコーナーに書いてから有名になった。そこには「お寒うございます。お暑うございます。日常の存問がすなわち俳句である」とある。
私の解釈では、日常の軽い挨拶だが、そこにも型がある。挨拶だからこそ型破りなのは危険である。たんに「お暑うございます」と言っておけば無難なのだが、芸がない。
型破りになるかならないかギリギリのところで勝負をするから、俳句は面白いのである。
これまでの私の代表作を3つ挙げろと言われれば、次の2句である。3つ目はまだできていない。
夜振りの火二つに割れてゆきにけり
手話の子の声なけれども息白し