『自分でも、自分がどんな人間なのか、よくわからない。
後藤浩輝とは何者なのか。
自分でもよくわかっていないのだ。』
後藤浩輝騎手の自署『意外に大変。』の書き出しの部分である。
この自著の中で「生まれ育った特殊な環境」として綴っているのが、
『驚いた。父が「落ちてきた」のである。一瞬、状況がまるでわからなかった。なぜ父は落ちてきたのか。(中略)
父は首を吊ろうとしていたのである。(中略)父が自殺しようとした衝撃だけが僕を襲った。
(中略)
しかしこれだけでは終わらなかった。その日からまだ何日も経っていないある夜のことである。僕はすでに床に入って寝付いていたのだが、突然、息苦しくなって目を覚ました。呼吸ができず、とにかく苦しいのだ。なぜそんなことが起きたのか、咄嗟には理解できなかったが、目を開けたときに恐ろしい事実を知った。父が僕の首を絞めていたのである。』
後藤自身、そのことが逆に、何があっても自らが死を選ぶということを留め、どれだけの影響を及ぼすのかわかっていたはずであり、自殺を否定していた。
自身の生まれ育った環境を特殊と思い語っていたが、
完璧な環境で生まれ育ってきた人間などいないし、完璧な人間などいない。
もっと悲惨な時代があり、ゆがんだ思想がある。
人は常に不満足なものであり、過ちを犯す。
親はそれを叱り、それを正す。そして深い愛情で守り、包み込む。
親となり未完成な子供を授かり、育てる中で、また未完成な自分を知る。
やがて人は老いはて、許しを請う年になる。
その時にどんな人間が周りにいるのかが、生きてきた証なのだと思う。
私には『意外に大変』『後藤チョップ』『後藤浩輝の”戯言”』と三冊の著書の中でしか後藤浩輝を垣間見ることができない。10年以上の歳月が流れ、後藤浩輝を取り巻く環境も変わり「後藤浩輝スイッチ」の数も変わっただろう。
すべてにおいて完璧な「後藤浩輝」を演じていたとすれば「後藤浩輝」は壊れてしまう。
100%のリハビリで戻ってきたが、100%の騎手というよりも「アーティスト後藤浩輝」は自身の感覚とは違っていたのかもしれない。
それを許す「後藤浩輝というスイッチ」はなかったのか。
完璧などということをこの世にはないことを諭し、甘え、託す、後藤浩輝スイッチは無かったのか。
人に優しいのは孤独の裏返しだ。
騎手復帰前のフジテレビの解説に出演した際に
「ここにはもどっては来ません」
と言い切ったのは、深い決意があったのだろう。
本当に首を吊ったことが事故でなく、故意ならば後藤は一番やっていけないことを選択した。
もうすぐ誕生日を迎える娘にどういう誕生日を迎えろというのか。
ターフに冷たい風が吹く。
後藤浩輝とは何者なのか。
自分でもよくわかっていないのだ。』
後藤浩輝騎手の自署『意外に大変。』の書き出しの部分である。
この自著の中で「生まれ育った特殊な環境」として綴っているのが、
『驚いた。父が「落ちてきた」のである。一瞬、状況がまるでわからなかった。なぜ父は落ちてきたのか。(中略)
父は首を吊ろうとしていたのである。(中略)父が自殺しようとした衝撃だけが僕を襲った。
(中略)
しかしこれだけでは終わらなかった。その日からまだ何日も経っていないある夜のことである。僕はすでに床に入って寝付いていたのだが、突然、息苦しくなって目を覚ました。呼吸ができず、とにかく苦しいのだ。なぜそんなことが起きたのか、咄嗟には理解できなかったが、目を開けたときに恐ろしい事実を知った。父が僕の首を絞めていたのである。』
後藤自身、そのことが逆に、何があっても自らが死を選ぶということを留め、どれだけの影響を及ぼすのかわかっていたはずであり、自殺を否定していた。
自身の生まれ育った環境を特殊と思い語っていたが、
完璧な環境で生まれ育ってきた人間などいないし、完璧な人間などいない。
もっと悲惨な時代があり、ゆがんだ思想がある。
人は常に不満足なものであり、過ちを犯す。
親はそれを叱り、それを正す。そして深い愛情で守り、包み込む。
親となり未完成な子供を授かり、育てる中で、また未完成な自分を知る。
やがて人は老いはて、許しを請う年になる。
その時にどんな人間が周りにいるのかが、生きてきた証なのだと思う。
私には『意外に大変』『後藤チョップ』『後藤浩輝の”戯言”』と三冊の著書の中でしか後藤浩輝を垣間見ることができない。10年以上の歳月が流れ、後藤浩輝を取り巻く環境も変わり「後藤浩輝スイッチ」の数も変わっただろう。
すべてにおいて完璧な「後藤浩輝」を演じていたとすれば「後藤浩輝」は壊れてしまう。
100%のリハビリで戻ってきたが、100%の騎手というよりも「アーティスト後藤浩輝」は自身の感覚とは違っていたのかもしれない。
それを許す「後藤浩輝というスイッチ」はなかったのか。
完璧などということをこの世にはないことを諭し、甘え、託す、後藤浩輝スイッチは無かったのか。
人に優しいのは孤独の裏返しだ。
騎手復帰前のフジテレビの解説に出演した際に
「ここにはもどっては来ません」
と言い切ったのは、深い決意があったのだろう。
本当に首を吊ったことが事故でなく、故意ならば後藤は一番やっていけないことを選択した。
もうすぐ誕生日を迎える娘にどういう誕生日を迎えろというのか。
ターフに冷たい風が吹く。