今日は土用丑の日
特上蒲焼が¥3500とか・・
南相馬市で行われた相馬野馬追を見てきた
行った日27日は お行列 甲冑競馬 神旗争奪戦が行われた
行列は400騎もあったと言う 小さな子供の乗った馬もいたが暑くて疲れたのか泣きべそだった
競馬と言うものを見たことがないが 多分先頭から最後まで何秒かの差でゴールだろうが こちらは忘れたころにやって来る馬もいる牧歌的なレースもあって面白い
神旗争奪戦は打ち上げられた2本の神旗がゆっくり落ちて来るのを勇猛果敢に奪い合うのだが 砂埃がひどく良く見えないうちに終わり興奮だけが残った
その昔相馬家の祖と言われる平将門が軍事訓練として行ったものが1000年以上も受け継がれ続いている
会場まで行く道筋の川俣や飯館村では除染作業中の旗竿が風にはためいていて人影もなくさみしい光景だった
日本三景のうち天橋立だけまだ見ていなかったので行ってきました
股のぞきをすると竜が天に昇るように見える とか どうでしょう
以下天橋立散策マップより
天橋立は陸前(宮城県)の松島 安芸(広島県)の宮島と共に日本三景の一つに数えられる景勝地である
「丹後国風土記逸文」に 国を産まれた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が天に通うために梯(はし)を作られたが 命(みこと)が寝ていられる間に倒れ伏したと言う記事があり これが名の起こりである
「日本三景」という発想が最初に見られるのは林春斎が寛永20年(1643年)に天橋立を松島・厳島と共に「三処奇観たり」と述べた「日本国事跡考」
その後元禄2年(1689年)に福岡藩の儒学者 貝原益軒が天橋立を旅行した記録「己巳紀行」の中に初めて「日本三景」という言葉が登場する
神秘的で美しい姿は 野田川から流れ出る砂粒と外海から流れ来る砂粒とがぶつかり合って出来たと考えられている
約500年前に描かれた雪舟画の国宝天橋立図には現在より短い天橋立が描かれている