

公園の道端にコケ(スギゴケの仲間・コスギゴケと思うがどうだろう)が(さく)を付けていた
コケ植物は小型で簡単な体制を持ち 胞子で増え 受精する時には水が必要な事や維管束を持たないことから今の陸上植物の中では最も原始的なグループと言われている
蘚類 苔類 ツノゴケ類に分けられ セン類にはスギゴケに代表される一番多くの種がある
スギゴケの一番下には仮根が有り上に葉が付いていて 合わせて配偶体という
更にその上に茎(柄という)が出て 先にと呼ばれる部分が付いている
柄とと 隠れて見えないが足と言う部分を 併せて胞子体と言う
の先には歯と呼ばれるギザギザが有り 胞子の準備が出来ると開いて胞子を飛ばす
胞子体は胞子を出した後も 足で配偶体に繋がっており朽ちるまで配偶体上に残る
小さな小さな生き物ではあるが そこらじゅうで良く見かけ じっくり見ると面白い
オオルリ
2015-04-24 | 野鳥

冬鳥が北へ渡りまだ見られるのはツグミくらいだろうか
代わって夏鳥情報が賑やかだ ラッキーなことに都心近くの公園でオオルリ♂に出会った
オオルリはオスの鮮やかな瑠璃色(青色)から「るりてう」と呼ばれていたがコルリと区別のために 江戸時代から「おほるり」となった 瑠璃とは七宝の一つとして古代インドや中国で珍重された青色の宝石 鳥の名前で「ルリ」と言えば青色 「アオ」と言えば緑色を指す場合が多い
夏鳥として九州以北に渡来し 平地から山地の主に渓流沿いの林に住む
渡りの季節には市街地でも見られる事が有る
繁殖期には一定の縄張り内を動き回り 昆虫類 クモ類などを採食する
姿も美しいが鳴き声も素敵で ウグイス コマドリと共に3鳴鳥と言われる
全長16cm メスは喉と下腹部は白く 上面と胸から脇腹は淡褐色


都心では桜がそろそろ最終段階で遅咲きの八重が真っ盛り
フゲンゾウ(普賢象)は花弁20~50枚の代表的なサトザクラの栽培品種
葉に変化した2本の雌しべと花弁の様子から普賢菩薩が乗る白象に見立てた
フクロクジュ(福禄寿)荒川堤から広がったサトザクラの栽培品種
福禄寿は7福神の一人
花弁は硬質で大きく捩じれるように波打つ
荒川堤から広がったと言われる品種は多い
江戸時代には武家屋敷で栽培されていた桜が 明治になって栽培する人が少なくなったため 江北村(今の足立区)長の清水謙吾が染井村の植木屋高木孫右衛門に依頼して 1886年江北村から西新井村にかけて78種類3000本の桜を植えたのが「荒川堤のサクラ」 1924年には国の名勝にも指定され サクラの栽培品種に関しては荒川堤は中心的な存在になった その後堤防の改修 戦時の伐り出しなどで1940年には絶えてしまった


今日は24節季の穀雨 穀物の芽が伸びる頃で生長を助ける雨のこと
桜の花びらが黄色~黄緑色を帯びる品種は非常に少ない
ウコンとギョイコウの2種類がそうだったが フゲンゾウの枝替わり種でスマウラフゲンゾウと言うのが普及し始めていると言う そのうち見られる様になるかもしれないと楽しみにしている
ウコンもギョイコウもサトザクラの栽培品種で江戸時代には栽培されていた
サトザクラはオオシマザクラ ヤマザクラ等を元に作り出されたと見られる品種の総称
人が作り出した園芸品種を総称してサトザクラと言う場合もある
ウコン(鬱金)・・淡い黄色の花で稀に緑色部分がある花もある 花色をウコン染めの布の色に見立てた命名
ギョイコウ(御衣黄)・・花弁に緑色の筋が入る変わった花色をしている この花色を貴人が着用する衣服の色に見立てたと言われる
いやはてに鬱金ざくらかなしみの ちりそめぬれば五月はきたる(北原白秋)
鳥の渡り
2015-04-18 | 野鳥


葛西臨海公園で一時よりだいぶ減った感じはするが まだ海鳥が大群れを作っていた
目の子勘定で20000羽位かな
一番多い時期には40000羽にもなると言う
冠羽が有って大きい方がカンムリカイツブリ 白黒の小さい方がスズガモでその他の鳥もいるようだ
渡りは気温が高くなり日照時間が長くなると始まり この時期には北に向かって渡る
生まれた故郷への回帰願望が本能として遺伝子に記憶された衝動的な移動が渡りだと考えられている
長い地球の歴史で氷河期と間氷河期が繰り返され本能として記憶され季節移動になったのが渡り
カモなど日本で越冬していた鳥(冬鳥)は北に去り ツバメなど南に居た鳥たち(夏鳥)が日本にやって来て繁殖する 日本を通過して更に北を目指す鳥もいる(旅鳥)
渡りの際の方向判断は太陽説 星空説 視覚説 地磁気説その他色々有り 幾つかの方法を使って方向を見極めているとも言われている
足環調査 発振器を付け人工衛星で調査するなど研究が進んでいるが分からないことも多い