エスプリ(風刺)を利かしたミュージシャンの忌野清志郎さんが永眠
した。3年前にミュージシャンとしては致命的なのどの病気が発覚して
1年以上もかけて治療に専念して昨年見事に復帰して、コンサート活動
も再開しています。
同じ病気を持つ人々に勇気と希望を与え続けたミュージシャンです。
(忌野さんというと「反骨のロックシンガー」という定評がありますが、
むしろ、サービス精神旺盛なエスプリを楽しんだ、ロックというのもど
うでしょうか、枠にとらわれない、ミュージシャンでしょう。)
忌野さんと言えば94年夏の福岡ドーム(現在のヤフードーム)での
キックオフコンサートが思い出されます。ほかに、財津和夫さん、南こ
うせつさん、中西圭三さんほか米国のロックバンドのザ・グレイトフル
・デッドも出演しています。
この時は、忌野さんのユニットバンドのタイマーズとしても出演して、
サービス精神旺盛なところを披露しました(これが、後に新聞沙汰とな
る問題を起こすことになります)。
午後4時予定通り忌野さんのアコースティックな大変真面目なライヴ
からスタートします。この時も忌野さんは、「僕のコンサートにこんな
に集まってくれてありがとう。もう終わりだから、後ろの人から順に帰
って」とジョークを飛ばしています。
プログラムは時間がのびのびになり、財津和夫さんが登場したのは30
分遅れの午後6時15分でした。ステージにはグランドピアノ1台が頭上
から四方にわかれるライトに照らしだされています。
登場した財津さんがいきなりジャズ風にアレンジした「神田川」の弾き
語りでオープニングして、「サボテンの花」をスローテンポなピアノソロ
で聞かせたあと、もう最後の曲ですと言って、「僕がつくった愛のうた」
をピアノソロバージョンで弾いて歌い終わって退場しました。
その後、南こうせつさん、さらにグレイトフル・デッドの演奏が続き、
午後9時前に忌野さん率いるタイマーズが登場します。いきなり、タイ
マーズの女性スタッフが涙ながらに(すごい演技)「福岡市と水道局か
ら入った緊急ニュースです。渇水のため断水をしていますが江川ダムで
トラブルが起きて今から3時間は完全断水になり、コンサートも中止し
ます。」とアナウンスしたのです。
当時は、特に福岡は夏の水不足が深刻になっていた時期で、このステ
ージ上のアナウンスに、観衆のかなりの人が本当に堰(せき)を切った
ように出口に殺到して帰ったようです。
騒ぎが落ち着いた頃あいを見て、ヘルメットにタオルスタイルの忌野
さん率いるタイマーズが広澤虎造の浪曲の口上にのってステージにあら
われ、演技オーバー気味に、アクロバティックな演奏もまじえてタイマ
ーズとしてのエスプリの利いた曲で会場を盛り上げました。
ミュージシャン忌野清志郎としてのポップな曲とは正反対の、しかし
テクニックに裏付けられたエスプリの利いた曲にこそ、忌野さんの真骨
頂が垣間見えるものでした。タイマーズというグループ名からしてエス
プリ利いています。タイマーズとしての忌野さん、そのエスプリ、スタ
イル、それに反比例するような高度なスキル、好きでしたね。
コンサートは午後11時近くに終了するのですが、この騒動が翌日の
新聞(ほとんど全国紙で報道)で悪質な冗談として問題になりまして、
忌野さんは謝罪することになります。
それまでの、タイマーズのライヴを知っているひとならば、必ず挟む
忌野エスプリの恒例ともいう一つの冗談だったのですが、あまりにもタ
イムリーで、深く反省させられることになりました。
ステージでは、ミュージシャンも観衆もなくいっしょに楽しむこと、
、そのため時期を得た(反省もあった)エスプリを考えて音楽を愛す
るものといつもいっしょの目線でいた男、そして、生き様では、復活
することにより同じ病気のひとに勇気と希望を与え続けた男、忌野
清志郎さん、グッバイ。
どんな時でも、一生懸命でプロフェッショナル、それを照れ隠しで
エスプリに替えた忌野清志郎さん、グッバイ。
忌野さんが井上陽水さんとのコラボでつくった「帰れない二人」を贈り
ます。
ボクが君をと 言いかけた時 街の灯が 消えました
もう 月は 帰ろうとしてる 帰れない 二人を 残して
した。3年前にミュージシャンとしては致命的なのどの病気が発覚して
1年以上もかけて治療に専念して昨年見事に復帰して、コンサート活動
も再開しています。
同じ病気を持つ人々に勇気と希望を与え続けたミュージシャンです。
(忌野さんというと「反骨のロックシンガー」という定評がありますが、
むしろ、サービス精神旺盛なエスプリを楽しんだ、ロックというのもど
うでしょうか、枠にとらわれない、ミュージシャンでしょう。)
忌野さんと言えば94年夏の福岡ドーム(現在のヤフードーム)での
キックオフコンサートが思い出されます。ほかに、財津和夫さん、南こ
うせつさん、中西圭三さんほか米国のロックバンドのザ・グレイトフル
・デッドも出演しています。
この時は、忌野さんのユニットバンドのタイマーズとしても出演して、
サービス精神旺盛なところを披露しました(これが、後に新聞沙汰とな
る問題を起こすことになります)。
午後4時予定通り忌野さんのアコースティックな大変真面目なライヴ
からスタートします。この時も忌野さんは、「僕のコンサートにこんな
に集まってくれてありがとう。もう終わりだから、後ろの人から順に帰
って」とジョークを飛ばしています。
プログラムは時間がのびのびになり、財津和夫さんが登場したのは30
分遅れの午後6時15分でした。ステージにはグランドピアノ1台が頭上
から四方にわかれるライトに照らしだされています。
登場した財津さんがいきなりジャズ風にアレンジした「神田川」の弾き
語りでオープニングして、「サボテンの花」をスローテンポなピアノソロ
で聞かせたあと、もう最後の曲ですと言って、「僕がつくった愛のうた」
をピアノソロバージョンで弾いて歌い終わって退場しました。
その後、南こうせつさん、さらにグレイトフル・デッドの演奏が続き、
午後9時前に忌野さん率いるタイマーズが登場します。いきなり、タイ
マーズの女性スタッフが涙ながらに(すごい演技)「福岡市と水道局か
ら入った緊急ニュースです。渇水のため断水をしていますが江川ダムで
トラブルが起きて今から3時間は完全断水になり、コンサートも中止し
ます。」とアナウンスしたのです。
当時は、特に福岡は夏の水不足が深刻になっていた時期で、このステ
ージ上のアナウンスに、観衆のかなりの人が本当に堰(せき)を切った
ように出口に殺到して帰ったようです。
騒ぎが落ち着いた頃あいを見て、ヘルメットにタオルスタイルの忌野
さん率いるタイマーズが広澤虎造の浪曲の口上にのってステージにあら
われ、演技オーバー気味に、アクロバティックな演奏もまじえてタイマ
ーズとしてのエスプリの利いた曲で会場を盛り上げました。
ミュージシャン忌野清志郎としてのポップな曲とは正反対の、しかし
テクニックに裏付けられたエスプリの利いた曲にこそ、忌野さんの真骨
頂が垣間見えるものでした。タイマーズというグループ名からしてエス
プリ利いています。タイマーズとしての忌野さん、そのエスプリ、スタ
イル、それに反比例するような高度なスキル、好きでしたね。
コンサートは午後11時近くに終了するのですが、この騒動が翌日の
新聞(ほとんど全国紙で報道)で悪質な冗談として問題になりまして、
忌野さんは謝罪することになります。
それまでの、タイマーズのライヴを知っているひとならば、必ず挟む
忌野エスプリの恒例ともいう一つの冗談だったのですが、あまりにもタ
イムリーで、深く反省させられることになりました。
ステージでは、ミュージシャンも観衆もなくいっしょに楽しむこと、
、そのため時期を得た(反省もあった)エスプリを考えて音楽を愛す
るものといつもいっしょの目線でいた男、そして、生き様では、復活
することにより同じ病気のひとに勇気と希望を与え続けた男、忌野
清志郎さん、グッバイ。
どんな時でも、一生懸命でプロフェッショナル、それを照れ隠しで
エスプリに替えた忌野清志郎さん、グッバイ。
忌野さんが井上陽水さんとのコラボでつくった「帰れない二人」を贈り
ます。
ボクが君をと 言いかけた時 街の灯が 消えました
もう 月は 帰ろうとしてる 帰れない 二人を 残して