いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

手作り文化が平和。

2009-05-19 20:00:42 | 日記
 街でこれを見ると、平和だなぁ、と実感する風景。工事車両の運転席
で、ポットをハンドルの前に立てて、自家製(弁当箱)の弁当食べてる
おっさん。箸でもくもく突いているのが、たまらなく平和。

 ひとりなのか、家族がいるのかわかりませんが、自分も含めて手作り
の弁当をとおしてだれかのお陰を受けて生きていて、それに応えようと
いう気持ちがまた溢れていて、それが平和だと実感する。

 自家製弁当から湯気が出ているわけじゃないけど、温かい雰囲気が伝
わってきて、平和を感じます。

 生活環境が変わってきたのか、勝手に変えてきたのか、人間の欲望の
なれの果てでもあるのか、「手作り」文化というものが時間性とか多様
性のもとに社会生活から消えていって、大事なものを家庭とか社会から
亡くしていった。何のために生きているのかとか、平和の価値とか。

 誰もが、汗をかいて生きている、と言うだろう。そこで、汗の種類に
違いがある、ということも考えて生きていきたい。

 誰かに支えられているものの結果が、それを支えているものをまた支
える人のお陰を力にしていることを理解すれば、平和は訪れる。
 街角の昼の運転席の手作り弁当を見ると、それがわかる。

 近年、外食に予算をまわす余裕がないとか、栄養上の問題とか、いろ
いろ理由はあるのだろうけど、サラリーマン(特に男性)の手作り弁当
が目だつと聞いた。
 朝の時間的な余裕も無い中、その精進も含めてそういった文化は歓迎
すべき傾向です。

 新幹線の移動での昼食は、もっぱら弁当です。特に最近は、目の前で
料理して、温かいままの弁当も多く、種類も多様になってきて、楽しめ
ます。野菜だけの弁当、特産の肉を使ったもの、家庭料理風のものとか
楽しめます。レストランよりも、選択の幅が広いのが特徴です。

 「手作り」文化が普通の社会生活に戻る、その余裕に見合った生活を
やれないかな、と自家製弁当を見て思う。そこには、人情とか、満足で
はないけど誰かのために頑張る汗とか、平和が見える。

 


 
 

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