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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

使命感などと、ほだされてはいけない。

2009-08-04 20:58:05 | 日記
 8月3日、裁判員裁判が本格的に開始された。法廷では、裁判の進行に
あたって見直しされたものがある。
 難しい法律用語をわかりやすく、検察、弁護側の主張も大型ディズプレイ
を使って、イラスト、言葉も表示して、陳述(意見を口頭で述べる)を少なく、
ビジュアル化した。
 難解という言葉の遊びに終始していた法廷が、ビジュアル化で焦点をわ
かりやすく、よく伝わることになるだろう。

 被告は、従来の裁判官と合い面した被告席から、弁護側の席(弁護人と
並列)に移り、犯人であるとのあらかじめの予見を取り除く配慮をしたと
している。

 そこで、裁判官、裁判員はどうかというと、従来と同じ一番上段の席
(法壇)に、中央3席を裁判長、裁判官の3名、同列でその両側に3名づ
つの6名の裁判員が配列されている。

 裁判官、裁判員はそれぞれの立場から与えられた役割にもとづいて、
裁判を審理するものだ。審理には加わるけれども、おのずから役割、立場
は違う。裁判員は量刑の種類、範囲を決めるけれど、決定し言い渡すのは
裁判官。

 あらゆる予見を取り除く配慮をしたのであれば、裁判官と裁判員が同列、
同席というのは、どうか。
 しかも、一段高い場所の裁判官をはさんで法廷を見下ろす位置である。

 裁判を審理する機会も少なく、庶民(市民)感情(感覚)からの情状判
断を期待されている裁判員が、客観的に審理し、事実を冷静に見極める
場所としては、ふさわしいのか、ふさわしくないとみる。

 今回は、裁判員が検察、弁護側に質問する段になると、その前に裁判
長が裁判を休止して裁判員を別室に呼んでいる。再開してからも、1日目
は裁判員からの質問は皆無との報道(2日目にして初質問があった)。
 この間、裁判長からは休止の経緯の説明はない。

 裁判員の席は、裁判を客観的、事実にもとづいて審理できる余裕、連帯
感のもてる席に(集める)する方がふさわしい。
 本物は見たことはないけれど、陪審制度の米国の同様の映画では(裁
判員とは日本独自の名称。わかりにくい。陪審員で、現行同様の役割とし
てよかったのでは)、陪審員の席は裁判官とは別の席に全員集まって座
っていたのを見たことがある。

 裁判員裁判は本格的に始まった。従来(本来)の裁判は、専門知識と
経験を有する裁判官による審理。その役割のひとつを、裁判を複数、また
同時にかけもちで担当する現在の裁判官の実態など、など、などの解消
もあって導入された制度。

 裁判員に選出された人。制度として始まった。確実にわかること、できる
ことの個人の「領域」をしっかりわきまえて、あとは専門知識と経験を有す
る裁判官にまかせたらいい。

 けっして、「使命感」などと、ほだされてはいけない。

 

 


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