いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

青春の影。 (序章)

2009-08-26 19:41:02 | 日記
 最近、日本の時代をリードしたミュージシャン何人かの歌を聞く機会があった。
それぞれインパクトのある歌で、スキル、気迫が伝わってくるパフォーマンスを見
た。それはそれで、すばらしかった。そこで、つくづく思い知らされたのは、同じ
く、自らの時代と音楽を切りひらいた財津和夫さんの音楽の質の違い、高さへの
去来だった。
 つくりだす音楽のシンプルな強さ、清新さ、スキルの高度さが際立ってよみが
えってくる。

 今、後世に伝えたい日本の歌、ジャンルを問わずひとつを無理やりに選ぶとす
れば、「青春の影」かな。財津和夫さんは、37年間の音楽活動(現在も活動中)
で多作(800曲近く)で多様な楽曲をつくりだし、「アルバトロス」、「ムトウス」と
か、「渚に佇んで」とか、「This is my home-town」とか、隠れた名曲も多い。

 この「青春の影」は、1973年にチューリップとして発表した「心の旅」が全
国的に注目されて、一躍人気(アイドル)バンドとして走り出した後の1974年
にチューリップのシングルとして、財津和夫さんが作詞作曲して発表された。

 ビートルズの「The long and winding road」をモチーフ(動機、題材)にして、財
津和夫さん他チューリップが1974年4月にロンドンのアビーロードスタジオでア
ルバムのレコーディングのあと、6月にシングルとして発表したものです。
 「The long and winding road」は、事実上空中分解したビートルズのメンバー
に、ポールがもう一度やり直そうと送ったメッセージソングだと解説した記事を読
んだことがある。ポールがピアノで、切々と歌うバラードです。

 「青春の影」には、詞(Lyrics)の中にその影響はみられ、財津さんもピアノを
メインに歌っている。
 音(Melody)と詞(Lyrics)がそれぞれに「存在感」をもち、あわせて相互に隙
もなくアンサンブル(Ensemble)されて、財津さんの声質の音域の広さ、高さ、豊
饒(Mellow)で繊細(Sensitive)な高音が、シンプルで質の高い楽曲にしている。

 これだけスキルの条件が揃えば、一般的には歌うのはむづかしい。ヒットしな
かった。当初、チューリップが所属するシンコーミュージックの草野昌一さんは、
この時期でのこの曲の発表、発売に反対した。
 すでにチューリップは「心の旅」のヒットで、人気(アイドル)バンドになって
いたので、その路線を確実にする曲プランにしたい意向はあったようで、しかし、
当時の東芝のプロデューサーの新田和長さんの、チューリップの将来を考えたら、
この時期にこういう曲をだしておいた方がいい、との声で、発表、発売となったと、
聞いている。

 財津和夫さんにも、ビートルズに強い影響を受けてオリジナルの自信作「魔法
の黄色い靴」でデヴューして、その後、ヒットする曲を求められての結果、人気
(アイドル)バンド、チューリップの路線に沿った楽曲の制作のプロセスの中で、
本来のビートルズを意識した、時代と音楽を切りひらくサウンド志向の、財津さん
がつくりたい、歌いたい楽曲のひとつだった。

 ヒットはしなかったが、その後、チューリップとしても、ソロアーティストにな
ってからも、財津さんはライヴステージのセットリストに必ず入れて、歌いつない
できた。

 その結果、財津さんがソロアーティストになってからの現在まで、「青春の影」
はコンサートの終盤のメインを飾る楽曲になり、財津さんがピアノでイントロを奏
(かな)でると、客席から拍手が送られる印象深い楽曲に、育っている。

 草野昌一さんは、すでにお亡くなりになっていますが、そのお墓には、多くの
外国の曲の翻訳詞を手掛けた草野さんが生涯かけて愛した世界のいろんなジ
ャンルの曲名が刻まれている。名だたる外国の曲名の中に、日本の楽曲として
ただひとつ、この「青春の影」が刻まれている。

 財津和夫さんは、この「青春の影」を歌えなくなった時が、ミュージシャンをや
める時だと、語ったことがある。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする