いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

識別眼と検証眼。そして度量。

2009-08-27 20:12:04 | 日記
 企業の不祥事が続いた昨年度頃によく見られた光景。代表数人が記者会見を
開いて、おわびのため一斉に立ち上がって深々と(テレビに向かって)頭を下げる。
 二度と不祥事を起こさないよう、業務改善を徹底するという、この頃になるとすで
に信頼性のない、むなしい言葉だけが、宙を舞う。

 食品業界の産地偽装などは、その言葉のあとも、確信犯的に次から次という位、
マスコミを賑わす始末。

 ところで、政治家の不祥事になると、また様相が違ってくる。彼らには、選ばれた
ものという変な高揚感が、根底にはあるんだと思う。
 役職の肩書があれば、マスコミが押し寄せるのもなんのその、無視してかきわけ
(または逃げて)、党首、代表者と密室で直接会って意向を伝え、そのまま騒ぎか
らいつのまにか消え去っていき、その後、スポークスマンが出てきて、本人は責任
をとって役職を辞任するとマスコミに発表して、終わり。

 政治家が、衆人の前で、深々とおわびしたのを見たことがない。辞職してしまえ
ば、議員の資格は、国民に選ばれたものと居座り、次の機会を待ってのあわよくば
選挙の洗礼を受けて、再生フィルターを通ったとばかりに不祥事は過去のことと、
堂々とバッジをつける。

 その後、自分のことは差し置いて、こともあろうに、政治運営にしたり顔で注文
をつけてまわる。
 これが、典型的な政治家の責任のとり方で、あり方。

 政治というものが、地域、組織(団体)の利益代表者として、「ミクロ視覚」でしか
評価されてこなかった歴史の汚点だ。
 総選挙が小選挙区制になって、その(地域、組織との)力関係がますます濃密と
なってきて、さて、今回の政権選択選挙では、少しは良識という傾向が示せれるの
か。

 いいこと。悪いこと。の普遍的な「識別眼」と、あらためること。変えること。の「検
証眼」で、とにかく、国と国益と市民生活、正義と自由と平和と健康を的確に守って
くれるエクセレント(優良)な人を見極め、8月30日の総選挙投票日には、ここ一番
の「度量」で、少しは「まとも」な政治家を選択しよう。

 後世の歴史が、あの時はよくやってくれたと、言われるような度量だ。


 

 

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