いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

強制起訴。自然な流れ。 compulsory prosecution

2010-10-05 19:22:52 | 日記
 (1)検察審査会が2度目の起訴相当との判断議決を示し、民主党前幹事長が政治資金規正
法違法(虚偽記載)共謀容疑で強制起訴(compulsory prosecution)されることになった。
 事件は、土地購入にかかわる原資となった前幹事長の手持ち資金の4億円の出入り、購入
事実について、04年と07年の政治資金収支報告書に記載しなかった同虚偽記載に問われた
もの。

 当時の会計責任者(現衆院議員)は、4億円の資金の出入りについて資金管理団体の責任
者である前幹事長に「報告した」と供述し、前幹事長は資金処理は会計責任者にまかせて「聞
いていない」と関与を否定して、「言った」、「言わない」のそもそも証拠不在(non existence)の
世界に検察を引きづり込んでの2度の検察捜査による証拠不十分で前幹事長(共謀罪)の不起
訴処分となっていた。

 (2)結論的には、検察審査会の強制起訴の判断は適当だと思える。事件構図から見れば、4
億円にも及ぶ政治資金原資の出入りについて資金管理団体の責任者が承知、関与しないとい
う構図は、社会常識、パラダイム(paradigm)から大きく逸脱している上、当時の会計責任者は
一貫して「報告した」と供述していることから、責任者である前幹事長は十分に知り得る状況に
あったと考えられる。

 事はそもそも「言った」、「言わない」の証拠不在の世界で展開されており、証拠にかかわらず
前幹事長の4億円の原資の出所の説明が二転三転して、信用性に疑問が大きく、しかも一貫し
てこの事に対する当事者の説明責任がまったく果たされず、事件の全容解明には検察以外の
司法(裁判所)の場での「開示性(indication)」が求められる必要性、利益があるからだ。

 (3)一部メディアに検察審査会の判断が証拠によらず、供述の信用性のみの予断に基づくもの
で不適切との報道もある。
 しかし、検察審査会の性格から言って、証拠の再検証による判断であるなら、それは検察の二
番煎(せん)じ、検察捜査の再確認にすぎなく、むしろ証拠不在の中の「核心部分」の解明が事
件解明に欠かせないとの、論点、視点からの判断が本旨(国民感情)だ。

 事件は自白や供述偏重でえん罪をつくりだしてきたものとは異質の証拠不在の、そもそも証拠
が成立しない世界のものだ。「核心部分」は闇、不透明のままだ。
 当事者が積極的に機会あるごとに、その機会がありながら自ら説明責任を果たしてこなかった
消極的姿勢にも、裁判による公開による事件の全容の解明、開示性を求める起因にもなっている
のは自然な流れだ。

 (4)本事件では「検察のプロ」という言葉がよく出てくる。検察のプロが2度まで捜査しての証拠
不十分による不起訴処分だ。その検察への信頼性が大きく損なわれているのは周知の通りだ。
 本事件では、そもそも証拠不在の世界に検察が引き込まれてのものだ。事件の全容解明には
もうひとつの司法、裁判による事件の開示性が求められるのは自然の流れ、妥当な結論だ。

 (5)事件と並列で、「政治とカネ」の国民不信にも説明責任は残る。政治資金での土地購入とい
う使途目的の適性、資金管理団体責任者としての資金管理の不備、その政治責任は前幹事長
自らの問題でもある。

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