(1)2010年ノーベル平和賞(nobel peace prize)を中国民主活動家が授賞した。現在同氏は
国家反逆(政権転覆扇動)に問われて、中国国内で獄中の身(put in prison)だ。
ノーベル平和賞の趣旨がどういうものかという以前に、授賞理由が「言論、出版、集会、結社、
抗議活動の権利が極めて限定されている中国での人権運動の第一人者」と評価した。
これを中国政府は「授賞者は犯罪者で、授賞は平和賞を冒とくしている」と言う。中国としては
初めてのノーベル賞授賞を、素直に歓迎できない国だ。
選考決定機関のあるノルウェーに対して、さすがに内政干渉とまでは言わなくとも、早速、駐
中国ノルウェー大使を呼び同国に抗議した。前代未聞の筋違いの外交政治だ。
(2)ノーベル賞は、今や学術、経済、文化貢献の権威ある世界基準(universal standard)として
広く認知されてはいても、スウェーデンにあるノーベル財団が(平和賞のみ隣国友好関係を配慮
してノルウェ-の機関選考)選考し、発表し賞金(約1億数千万円)を授与する財団事業だ。
中には、候補と言われながら授賞の機会に恵まれない研究者もいて、逆に実績はないのに
メッセージだけで授賞した平和賞もあり、実際過去には一度だけ、授賞した研究者の理論が後
年になって別の研究者によって否定された事例もある。
しかし、財団事業の賞として、国家がその決定プロセスに対して「冒とく」などの言葉を使って
異議を唱える性質のものではない。
中国の、国内では基本的人権統制抑圧、国外には自説を曲げない唯我(ゆいが)の強圧外交
と成熟しない国家体制を自ら開示するものだ。
さらに、予測されたとは言え、ノーベル平和賞授賞のニュースをその場面になると中国向けの
海外ニュースの画面は真黒に反転したところが全世界に報道されて、言論統制(control of speech)
の現実があらためて認識されて、中国民主活動家のノーベル平和賞の授賞理由を際立てて正
当化させるものとなった。
はからずも「賞を冒とくする」と批判した中国政府がパラドックス(paradox)として、その平和賞
授賞理由の正当性を自ら演じて見せる結果だ。
(3)中国政府がこの機会に、国際関係、国内対応の方針を変える可能性は期待できないが、
世界は経済成長国で強大な軍事国家として露出の多い中国に対する硬軟のコンタクト(contact)
を何かと強めるだろう。政治、経済で中国は自衛、孤立化するのか。
その都度の中国の統制的で唯我の国家体制の対応では、好意的、協力的な関係にではなく、
警戒感ばかりを世界に増幅させることになる。
中国は、単に内政干渉とこれに国民を扇動、動員しにくいノーベル平和賞の授賞を抱え、一方
これによる中国の孤立化への流れも経済、軍事面での国外に及ぼす影響力も大きく、ノーベル
平和賞は国内外にむづかしい政治状況の一石を投じた。
この授賞に対する日本政府の対応は、両国関係の改善至上主義もあり、民主活動家個人の
評価、授賞ととらえて控えめだ。ノーベル賞の世界貢献の全体趣旨からもそれはそれで、いいの
ではないか。ノーベル賞が、国家レベルで利用されるのは本意ではない。
国家反逆(政権転覆扇動)に問われて、中国国内で獄中の身(put in prison)だ。
ノーベル平和賞の趣旨がどういうものかという以前に、授賞理由が「言論、出版、集会、結社、
抗議活動の権利が極めて限定されている中国での人権運動の第一人者」と評価した。
これを中国政府は「授賞者は犯罪者で、授賞は平和賞を冒とくしている」と言う。中国としては
初めてのノーベル賞授賞を、素直に歓迎できない国だ。
選考決定機関のあるノルウェーに対して、さすがに内政干渉とまでは言わなくとも、早速、駐
中国ノルウェー大使を呼び同国に抗議した。前代未聞の筋違いの外交政治だ。
(2)ノーベル賞は、今や学術、経済、文化貢献の権威ある世界基準(universal standard)として
広く認知されてはいても、スウェーデンにあるノーベル財団が(平和賞のみ隣国友好関係を配慮
してノルウェ-の機関選考)選考し、発表し賞金(約1億数千万円)を授与する財団事業だ。
中には、候補と言われながら授賞の機会に恵まれない研究者もいて、逆に実績はないのに
メッセージだけで授賞した平和賞もあり、実際過去には一度だけ、授賞した研究者の理論が後
年になって別の研究者によって否定された事例もある。
しかし、財団事業の賞として、国家がその決定プロセスに対して「冒とく」などの言葉を使って
異議を唱える性質のものではない。
中国の、国内では基本的人権統制抑圧、国外には自説を曲げない唯我(ゆいが)の強圧外交
と成熟しない国家体制を自ら開示するものだ。
さらに、予測されたとは言え、ノーベル平和賞授賞のニュースをその場面になると中国向けの
海外ニュースの画面は真黒に反転したところが全世界に報道されて、言論統制(control of speech)
の現実があらためて認識されて、中国民主活動家のノーベル平和賞の授賞理由を際立てて正
当化させるものとなった。
はからずも「賞を冒とくする」と批判した中国政府がパラドックス(paradox)として、その平和賞
授賞理由の正当性を自ら演じて見せる結果だ。
(3)中国政府がこの機会に、国際関係、国内対応の方針を変える可能性は期待できないが、
世界は経済成長国で強大な軍事国家として露出の多い中国に対する硬軟のコンタクト(contact)
を何かと強めるだろう。政治、経済で中国は自衛、孤立化するのか。
その都度の中国の統制的で唯我の国家体制の対応では、好意的、協力的な関係にではなく、
警戒感ばかりを世界に増幅させることになる。
中国は、単に内政干渉とこれに国民を扇動、動員しにくいノーベル平和賞の授賞を抱え、一方
これによる中国の孤立化への流れも経済、軍事面での国外に及ぼす影響力も大きく、ノーベル
平和賞は国内外にむづかしい政治状況の一石を投じた。
この授賞に対する日本政府の対応は、両国関係の改善至上主義もあり、民主活動家個人の
評価、授賞ととらえて控えめだ。ノーベル賞の世界貢献の全体趣旨からもそれはそれで、いいの
ではないか。ノーベル賞が、国家レベルで利用されるのは本意ではない。